御三家のお城「和歌山城」(和歌山県和歌山市)は、昨日のブログで「松の丸」跡までたどり着きました。

 

松の丸櫓台と表坂登り階段

 

本日は、松の丸の南側で、現在動物園になっています「南の丸」からスタートします。「南の丸」の南側には、「不明門」跡の石垣がクランク状にあり、その脇には高櫓台石垣が「不明門」を監視するかのようにそびえています。「不明門」の古写真が残っていますので、また復元されることを期待したいですね。

 

南の丸跡(現動物園等)

不明門跡石垣

不明門(大正4年取り外し前の古写真-和歌山城内案内板より撮影)

 

「南の丸」跡から西側に進みますと、現在は和歌山県護国神社がありますが、その脇を通り抜けると、赤い高麗門が構えています。これは、後段で述べます「砂の丸」と南西箇所を固める「追廻門(おいまわしもん)」で、乗馬して入ることができました。殺伐とした中に鮮やかな赤色ですのでよく目立ちます。岡口門と並んで現存重要文化財の建造物です。

 

重用文化財「追廻門」(砂の丸と南西への虎口を固める、乗馬で入ることができた)

重用文化財「追廻門」

 

当門の北側が「砂の丸」跡で、「南の丸」から堀を造らないで、屏風折れにした石垣だけで守備しています。特に「砂の丸」は高石垣が続いていていますが、藤堂高虎の手によって整備されたものらしいです。

 

砂の丸の高石垣(堀を持たず高石垣で防御-人間の高さと比べると石垣の高さがわかります)

 

また、「南の丸」から南にかけて岡山という丘陵地になっていましたが、三年坂の堀切を造り、現在では三年坂の南側の岡山には、宝形づくりの見た目がかわいい「時鐘櫓」が現存しています。

 

岡山の時鐘堂(県指定史跡、和歌山市吹上)

 

「砂の丸」の北側から北東側にかけては「西の丸」が広がっています。「西の丸」跡との間には、「鶴の門」と「勘定門」の各跡の石垣が残りますが、そこを通り抜けると「西の丸」跡にたどり着きます。

 

吹上門から勘定門跡

 

「西の丸」は、徳川頼宣が造営した西の丸紅葉渓庭園で、藩主やその家族の憩いの場となっていました。池の中には「鳶魚閣(えんぎょかく)」が復元されていて、庭の西側では立石、石組み、泉水からなる庭園が幽玄さを醸し出しています。

 

西の丸紅葉渓 (江戸初期の大名庭園、池泉回遊式、石は御船石)

西の丸紅葉渓 (復元の鳶魚閣と御橋廊下)

 

「西の丸」の庭園へは、東側にある藩主やその家族が居住していた「二の丸御殿」から「御橋廊下」を渡ってきたようです。「御橋廊下」は現在復元されています。廊下は外から見えないように建物で囲われ、二の丸の方からは傾斜し、中は滑らないように滑らかな板が重ねられています。

 

西の丸から二の丸に架かる復元廊下橋(北側から)

廊下橋の西の丸側入り口

御廊下橋(二の丸側から下り、滑り止めで床板を鋸歯状に)

 

傾斜した廊下橋は珍しいですが、福井城、大分の府内城が復元されているほか、高松城にもありました。

 

「御橋廊下」はスリッパに履き替えて中を渡ることができます。傾斜しているので、なかなか上りづらい感じでしたが、昔の人は着物を引きずりながらの上り下りは大変だったでしょうね。

 

登り切った広場が「二の丸御殿」跡地でして、大きな御殿が建っていたようです。白書院、黒書院、遠侍の三建造物が、明治19年に、大坂城内に陸軍の第四師団司令部庁舎として利用すべく「紀州御殿」として移築されました。太平洋戦争では、戦火から免れましたが、昭和22年に連合軍管理下の失火で、惜しくも焼失してしまいました。本当に、もったいない!

 

二の丸御殿跡 (多くの石が転がっているが、石庭の跡か)

大坂城内に明治19年に移築されていた紀州御殿(二の丸御殿の大広間中心-和歌山城内案内板から撮影)

 

天守曲輪を除き、一周してきました。明日は、いよいよ天守曲輪に迫ってまいりたいと思います。

 

 

 

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