昨日は、松平定信が藩主だった白河城にスポットを当てました。
本日は、松平定信の政敵であった田沼意次が、初代城主となった相良城(後に相良陣屋として存続)です。
相良港防波堤に描かれた相良物語の一部-相良城天守を描いたもの(静岡県牧之原市相良)
相良史料館内にある相良城復元絵図
田沼意次とは、紀州足軽の家から旗本、大名、側用人、老中まで駆け上り、10代将軍家治(いえはる)に信認厚く、政策としては重商主義を採って景気は非常に良くなったそうですが、一方で、贈収賄がはびこった時代となりました。
しかし、支えだった将軍家治の死去と、田沼意次の息子意知が殿中で暗殺されると、一気に意次が失脚となり、相良城の天守閣を始め城中は破却される報復を受けたようです。
政権が替わると、その部下達が左遷される世の中は、現在でも変わらないですねー
更に、田沼意次批判を行っていたを松平定信が、「寛政の改革」を行い緊縮政策がすすめられることとなりましたが、それが行き過ぎだったこともあり、次のような落首が読まれました。
・田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水
・白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき
「あまりにも、白河(松平定信)の政策が清すぎて住みにくい、田や沼(田沼意次)
の濁った水の方が恋しいなー」
相良城は、廃城となりましたが、その後田沼家の親族が陣屋として入城し、幕末まで続きました。
現在は、「つわものどもも夢の跡」の様相で、外海と内海を結ぶ船着き場である仙台河岸、外堀の石垣、陣屋時の土塁に植わっているクロマツ群などが、相良小学校の周辺に残る程度です。
「仙台河岸」(外海と城内を結ぶ船着き場跡)
外堀跡の石垣
相良小学校の南側にある二の丸土手のクロマツ
相良城・陣屋跡にある相良小学校グランドと史料館
ただ、藤枝市には相良陣屋の御殿が、大慶寺の庫裏として再利用されていてすごく立派ですので、ご覧あれ!
お城の建物の再利用については、私のホームページ「城をしろう・城はおもしろい」の「お城の建物こんな所で見つけた!」
をご参考にしてくださいね。
相良陣屋御殿-現「大慶寺庫裏」、唐破風の玄関
相良陣屋御殿-現「大慶寺庫裏」の内部
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