昨日、浜松城の藩主繋がりで唐津城を紹介しましたが、今日はどうしようかなー
お城リレーでもしようかな。
お城やその藩主のエピソード等をテーマに、訪問したことのあるお城をリレー
紹介していこう!
唐津城繋がりで
①同じ佐賀県で近隣にあり豊臣秀吉が朝鮮出兵時に築いた名護屋城
②唐津城藩主だった水野忠邦繋がりで「寛政の改革」を断行した松平定信の
居城であった小峰白河城
今日は①、明日は②でリレーしましょう。
名護屋城は、上記で記載したように、文禄・慶長の役の拠点として築かれた
お城です。今は、「つわものどもも、夢の跡」状態で、石垣と各曲輪の広場に
草が生い茂るだけのお城です。
(三の丸南東櫓台)
(三の丸南西櫓台(右)に鏡石、本丸旧石垣(左))
(本丸大手階段)
当時は桃山時代の贅を尽くした大城郭であったことが、名護屋城博物館内に
展示されている「肥前名護屋城図屏風」からわかります。
(肥前名護屋城図屏風(名護屋城博物館内))
縄張りは、秀吉の懐刀の黒田孝高、普請奉行は黒田長政、加藤清正、小西行長
だったそうです。
天守閣を含めて6基の重層櫓が建ち並び、300畳敷の対面所が存在したり、
秀吉が滞在して興を楽しむこともできた太閤居館が建つ山里丸もありました。
(名護屋城博物館の模型西方向より)
(天守台跡碑、五層七階の天守があった)
(天守台から本丸御殿跡方向)
(山里丸太閤居館跡)
朝鮮出兵は、秀吉の死後中止されましたが、徳川家康が朝鮮との国交回復
を進めるにあたっては、朝鮮出兵の拠点となったこのお城を徹底的に破城
するよう指示が出されたので、現在でも、石垣などを破壊した跡が見られます。
(伝馬場下の石垣で何か所か破却されている)
(馬場西側櫓台跡と弾正丸、左下之石採場を本丸より臨む)
また、お城の周辺には、当時出兵する大名が集められて、陣屋を構築して
居住もしていたようです。陣屋の数は、約50もあったそうで、現在でも発掘
調査されて跡が多数残っています。
(木下延俊陣跡 内の石塁跡)
名護屋城の最大の遺構だった言われている仙台城の大手門は。太平洋戦争
で焼失してしまい、非常に勿体ないことをしましたが、唐津周辺の寺院にも
遺構が残っています。
(浄泰寺山門-名護屋大門)











