神社の境内の真ん中には鏡がありますね?
鏡は、ありのままの姿を映し出すものです。
神道の本質は「鏡」にあるとも言われています。
日本には「鏡岩」と呼ばれる巨石がご神体となっており、反射した太陽の光を神さまの 御光として拝んでいる聖地(日吉大社の金大巌など)があります。
それが平野に降りてきて、鏡として祭るようになったのでしょう。
神社の丸い神鏡は太陽神を、その台(雲形台)は雲を表しています。
神話では、太陽神である天照大御神が、岩戸から外を覗いたときに自分の姿を鏡で映し 出されたことで、自分の神性の貴さに気づくシーンがあります。
同じように私たち人間ひとりひとりにも、貴い自分の太陽があるのです。
神社の社殿の鏡は、参拝する人自身の姿を映し出すとともに、その人の自分の中にある神 (自分自神)を思い出し、自覚する場所でもあるのです。
自分が神であることを自覚するには、鏡「かがみ」の真ん中の「が(我)」をとることだ と言われています。
ここでいう「我」とは・・・、 「自分だけが」というふうに周りと自分に分離感を生じさせたり、自分への過大評価 (特別意識)や自分を卑下したりすることです。
ですから、「我をとる」というのは、そのままの素直な自分を認めることであり、つまり、 自分らしさをとるということではなく、むしろ、自分は貴い存在であるとともに、周りも 貴い存在であることを認め、すべてはつながっていると感じる境地です。
これを言葉に表すと、ただ「ああ~ありがたい!」と、思えることでしょうか・・・
たとえば、神社でお参りさせていただいた後、心地よくなり、「有難いな~」と、 感じておられる人は、その瞬間だけは「神」の心になっています。
神社に鏡があることは、外なる神さまを拝んでいるようにみえて、実は鏡に映った内なる 自分自神を拝んでいるということに気づけば、自ずと拝み方も分かってきます。
要するに、発した祈りが、そのまま自分に返ってくるということですから。
無理ある祈りには、無理なる人生が。
笑顔で祈ると、笑顔の人生が。
不満の祈りには、不満の人生が。
感謝の祈りには、感謝の人生が。
と、いって、本音ではない祈りをしても、自分の神さまを通じて、神社の神さまにも情報が 漏れており、すべてお見通しなので嘘は通用しません。
では、 上手くいかないときや落ち込んでいるときは、どうすればいいの?
そういうときは、神さまからみれば、「今は学びのとき、成長せよ!」 と、いう時期なので、じたばたせず、「気づき、学ばせていただきます」と、腹をくくって、今できることをすることです。
それとともに、どんな状況であれ、生きていることに感謝し、言葉にします。
具体的には、自分の中に光の存在である「自分自神」がおられることを信じ、手を合わせて、自分自神に向かって、「ありがとう・・・」と何度もねぎらいと感謝をこめて、気の済むまで言い続けます。
そして、自分の身勝手や傲慢、卑下、思い込み、やり過ぎで、自分自神を傷つけ、弱らせてしまったことに「ごめんなさい・・・」と、心に響くまで謝ります。
「ありがとう」は、感謝の言葉ですが、謝る「ごめんなさい」も感謝に通じます。
この2つの言霊は「自分自神」を元気にして、輝かせることができるだけでなく、肉体で ある「自分自身」をも健康にしてしまうので一石二鳥です。
「自分自神」と「自分自身」が元気で輝けば、笑顔と感謝、賛美の神社参拝が自然と できるようになるので、発した祈りのエネルギーに神社の神々の応援が加わって数倍になって返ってくるでしょう。
鏡、か我み、我、自分自神、しん、心(神)、親(神)、身(神)、森(神)
日本人は八百万の神といって色々なところで神の存在に触れながら生きてきたのです。
