「ダメな自分」を隠しているということは、
隠すために「やる」行動
バレないために「やらない」行動
「こんな自分がバレたらどうしよう」という不安
相手の顔色がすぐれんければ、
「こんな自分がバレて、
嫌われたんじゃないか、
ダメな人と思われたんじゃないか」
と、不安になる。
こんなサイクルが、
人生の悩みや問題となっている人がいる。
要するに、
この嘘の仮面がはがれて
本当のダメな自分がバレたら
嫌われる
ダメな人と思われる
拒絶される
だから、バレるようなことはやらない
隠すための行動しなきゃ
あれ?嫌われた?
バレたか???
と、不安になっているし、
行動も本当にやりたいことをやるというより、
本当の自分がバレないように行動して生きてるから
生きづらいし、楽しくない。
結局は、周りに嘘がばれないように生きてる
みたいなもの。
そして、それだけ、
自分の価値を他人に委ねているし、
それだけ自分が自分を認められていないと、
どうしてもその価値を失うわけにいかないから、
嫌われないように
ダメな人と思われないように
拒絶されないようにしないと、
生きていけなくなる。
わたしも、本当のわたしがバレないように
ここを目的に行動していた頃があった。
自分の人生を生きてる、というより、
全ての根源が、
本当のわたしがバレないように
喋り、笑い、行くし、行かないし、、、
人生の問題や悩みにぶち当たるたびに、
本当のわたしがバレないようにしてたことをやめていった。
本当は自分はこう感じるし、
こう思うということ
嫌われないため
変な人と思われないために飲み込んでいた言葉を言う
本当は行きたくないのに、
付き合いのために無理して行くことをやめる
愛想笑いして、喋って、
うまくその場を取り繕うことをやめる
結局、これをいくことは
自分のなかで自分が統合していくことで
自分らしさを取り戻すことだった。
自分らしさを取り戻す分、
嫌われる覚悟も
怒られる覚悟も、
波風立つ覚悟も、
悪口言われる覚悟もしたし、
それが自分を生きる、
今世の責任のようなものになって
前よりずっと、
人の都合がいいように動かなくなったなと思うし、
うまく取り繕ってない分、
周りの人が思うことや感じることは
それぞれなんだろうけど、
それは、その人の人生のことだし、
確かなことは、
わたしが私を大切に生きられるようになった、
ということ。
あと、すごく窮屈な世界から飛び出せた、
これがわたしにはとても大きなこと。
窮屈、自分のこうしたいという気持ちより、
誰かにこう思われないようになんて
そんな枠組みで生きるなんて
わたしには窮屈だった
嫌われないようにしてた時の方が
ずっと、不幸せなんてもんじゃないくらい
生きるのが苦しかった。
周りに嘘の自分を振りまいて、
嘘の人間関係のなかでうまくいっても、
自分の心ってぎすぎすなまま、、、
嬉しくもないし、楽しくもない
嘘をやめると、
嘘で積み上げられてきたものは
絶対に、崩れる
最初は、その崩れていく怖さに足がすくむかもしれない。
「誰もいなくなったら、どうしよう」
「嫌われたら、どうしよう」って、
恐怖で引き返したくなる。
でも、その「嘘の土台」が崩れた後に残るものこそが、
はじめて手に入る「本当の安心感」なのだ。
周りの目を気にして生きるのをやめるのは
最初は怖い
波風を立てることも、
ダメな人と思われる、嫌われる恐怖に震えることもある。
でも、嘘の自分を卒業して、
自分のために生きる世界は
ずっと息がしやすくて、優しい世界だからね^^
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