「 あ~、楽しかった!」
夏休み中の子どもが
そう言って帰ってきた_
こんな時に一番、
「 自分と向き合ってきて良かった 」
と、わたしは思うのだ。
自分と向き合ってきて良かったことは?
と、聞かれたら、
不安と恐怖ではなく、
安心と静寂と穏やかさと心地良さの中で
過ごせるようになったこと
無理して相手に合わせた
自分を削るような人間関係を手放せたこと
生きる未来が楽しみになったこと
わたしがダメなんだという
自分責めではなく、
わたしは愛される価値ある存在なんだと
心底思えるようになったこと
もっとたくさんあって、
挙げだしたらキリがないんだけれど、
一番は、子どもとの関りのなかで
穏やかな空気が流れるようになったこと_
わたしが、
自分の存在を信じられるようになって
子どもの存在をまるっと「信じる」ということが
感覚的に掴めてきた。
あと、わたしが周りの人に怒られたくないから
その不安や恐怖から
子どもに怒ったり、
色々言ってたなって今、振り返ると思う。
実際に子どものことで
わたしが色々言われることもあったけど、
(そもそもこれが境界線なくて
踏み込まれすぎだったし、
引き合わせてた現実や人間関係で)
そういう時に怒ってて、
でも今は、それはあの人のことなんだと、
境界線が引けるようになって
だから、自分の聖域に持ち込んで
子どもに色々言わなくなった。
わたしの人生、
子どもが生まれてから、
それまで怖くて向き合えなかったことと
向き合えるようになった。
10数年前から本当にコツコツと
それが今に繋がっているんだけど、
「子どものため」じゃなくて、
わたしが子どもを自分なりに
精一杯愛したかったんだと思う。
この子たちの存在を
心底から、信じられる自分になりたかった。
でも、当時の自分じゃそれが出来なくて、
自分の存在すら、信じられなくて、
子どもを信じられに自分だってどこかで気付いてて、
それで自分と向き合ってきた。
わたしは、
わたしが自分らしく生きることが
精一杯子どもを愛すること
それは無意識にも当時から
自分のなかではっきりしていたことで
わたしが譲れなかったこと。
わたしが、自分らしく生きる「土台」は、
子どもたちが自分らしく生きる「土台」に
繋がっていくんだろうと
わたしは思っている。
その「土台」とは、
自分の価値の決定権を他者に委ねるのではなく、
わたしが自分を認め、愛してあげること
正しい子育てがなんなのか、
わたしにはわからない。
でも、わたしのなかで譲れなかった
精一杯、子どもを愛すること
それは、わたしが自分らしく生きること
ゆずれないから、
怖くても進んできたし、進んでこれたし、
自分だけでは乗り越えらえなかったことが
子どもの存在で向き合えたこと、
感謝している。
とはいえ、今日も朝から
「脱いだ靴下ずっとここにあるけど、
洗濯かごに入れて!!!」とか、
そういうガミガミはね、変わらないよ^^
はじめましてのみんなへ
自分と向き合うタイミングが来ている方へ
こんな場所を用意しました↓
上手に話さなくてもいい
あなたがそっと、
自分の心と向き合う場所です





