自分の価値を
人に預けてしまっていたんだ_
少しずつ自分の足で立てるようになって
こう気付いた。
だから、嫌われないように
変な人と思われないように
ダメな人と思われないように
「わたしはこれで価値があるのか」
という決定権を、
自分ではなく他者に譲り渡していた。
だから、
周りの人との会話では
変な人と思われないように
合わせて思ってもないこと言って
無理して笑って、周りに合わせてた。
ダメな人と思われないように
非常識な人と思われないように
ちゃんとしている人として、
思うことを言わないで
周りみたいに振舞ってた。
怒られることが怖くて、
「嫌だな」
「行きたくないな」
という気持ちを無視して合わせてた。
わたしにとっては、
自分の感覚をなかったことにして
周りに合わせることが
価値を証明してもらうことになっていた。
だから、それは
自分の足で立つんじゃなくて、
人が良い評価を与えてくれて立てるもの
価値を得られるもの_
だから、人からの評価がもらえないと
価値がない、生きていけなくなるような
恐怖に怯えていた。
この基準を他者に預けてしまうと、
「相手が自分をどう評価したか」
「嫌われないでいられたか」
「ダメな人と思われなかったか」
「非常識な人だと思われなかったか」
そこに自分の価値を置くから、
価値が上がったり下がったりする。
そして、
「ダメな人と思われたかもしれない、
わたしはダメな人間だ、価値がない」
と、自分の存在価値までゼロにしてしまう。
でも、この価値が他者にある限り、
人からの評価や機嫌が良ければ、
「価値がもらえた」と、安心し、
それが脅かされると、
不安で怖くなり、
怖いから価値がもらえるように
行動する
と、「価値をもらうため」に行動し、
「価値が脅かされたら」
自分の存在が否定されたかのように絶望する。
この繰り返しになってしまう。
自分と向き合う過程で
この価値を他者の手から、
自分に戻すときに
わたし達は、「すごく怖い」という
感覚を覚えるのだ。
まだ自分で自分を認めることが出来ずに
そこが育っていないから、
もう生きていけなくなるような恐怖におびえる
そこから、自分を守ろうとして
脳も「こんなこと起きるよ」と
最悪な未来を警告アラートとして鳴らす
そこの自分の価値を自分に戻すまでの期間が
もう生きてけなくなるような恐怖に襲われて
怖くてしんどかった。
でも、ずっとは続かなくて
必ず道は開けていくよ^^
自分の足で立つとは、
どんな強い風が吹いても
揺るがない土台をつくること。
じゃあ、他者に譲らずに
自分の価値を自分で決めるとは_
「わたしが今の私に、OKを出す」
「わたしが今の私を、認める」
自分の基準が真ん中にあること。
わたしは、人に良い評価をもらうために
やっていた行動をやめて、
怒らせないようにとやっていた行動もやめた
嫌だけど無理してたこともやめた
自分の気持ちや感覚を大切にし、
「自分で自分を認めてあげる」
ということを繰り返していった
自分を取り繕っている鎧を手放し
生身のあるがままの自分として立つ。
生身の自分で立つと、
心の傷が痛んだりしみる。
そんな過程があって、
自分の足で立つことが出来る




