こんにちは。
小夜子です。
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夫(夜明けさん)に拒否される側のレス妻です。
新婚からずっとセックスレス。
気づけば干支一周回ってました。
私と夫の夜明けさんが本当の意味で向き合い始めるまでの12年間の歩みを綴っていきます。
本ブログはセックスレス解消指南ブログではありません。
「どう生きるか/死ぬか」に真剣に向き合った私の人生のターニングポイントの記録です。
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前回の記事にコメントもありがとうございました!
子どもは順調に育っていき、お座りが出来るようになり、ズリばいも出来るようになり、
そしてハイハイが出来るようになりました。
離乳食もよく食べますし、思い描いていた赤ちゃん像よりかは「だいぶデカい」ということ以外は、
特にこれといった困りごともなく育っていました。
わたしはこれまでの自分史上最も規則正しい生活をしていました。
もともと子どもの頃から早起きが苦手で、夜更かしが得意。
ずっと夜型で過ごしてきていた私が、
子どものためなら朝早くに起きてすべてを完璧にこなそうとここまで努力できるものなのか、
子どもの持つ力は偉大だなと驚いていました。
赤ん坊がいる生活というのは想像以上に忙しいもので、
ありがたいことにこの忙しさのおかげで特に深く夫婦関係について考える暇もなく過ごせていました。
夫は仕事で忙しく、妻は子育てに没頭する。
よくいる夫婦だと思いました。
お金にも困っていませんでしたし、家も3人で暮らすには十分な広さがありましたし、
リストラに遭いそうな雰囲気もなさそう。
ただ夫が私に女としての興味を示さないということ以外は、
どこにでもいる、よくある典型的な3人家族だと思います。
今でこそ亭主関白な風潮はタブーとされますが、当時はこれといって別に不思議なことでもなく、
仕事に行く夫を支えるのが妻の仕事だと私自身も思っていましたし覚悟もしていました。
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しかし、この頃の私の考え方の末尾には必ずある言葉がくっついていました。
「幸せだし・・・」
「もっと大変な思いをしてる人はいる」
夫は私を求めてこないけど・・・でも、幸せだし。
夫は私とセックスは出来ないけど・・・でも、幸せだし。
もっと大変な思いをしてるひとはたくさんいるし、
もっと悲惨な結婚生活を送っている人だってたくさんいる。
浮気をされて悲しんでる奥さんもいれば、
借金をしてきて苦しんでる奥さんもいるだろうし、
親族間のいざこざで頭を悩ませてる奥さんもいるはず。
それに比べたら私はなんて幸せなんだろう。
ただ
セックスがないというだけ。
そんなことで悩むなんてありえない。
金銭的にも物質的にも満たされて、
親族付き合いもなく、平和に暮らせている。
ないのは「セックス」だけ。
だからどうしたっていうのよ。
そのぐらい「どうってことない」と思わなきゃ。
むしろそんなことで悩んでると知られることの方が恥ずかしい。
子どもも無事に生まれたし、これ以上何を欲しがるのよ。
人生なんでもかんでも手に入るわけじゃない。
今あるもので満足しなきゃいけない。
足るを知らなきゃいけない。
セックスしてほしいって頼んでしてもらうのが幸せなのかというとそれも違う気がする。
頼んでしてもらうことほど情けないものはない。
泣いて頼んでしてもらうぐらいなら、
このまま忙しさに没頭して、子育てに集中して、
何も考えないで済むように夜は早く寝てしまおう。
理想が全て叶えられるわけじゃないし、
夫が私とセックスできないのはたぶん私のせい。
わたしに魅力がないからそうなってしまったのでしょう。
わたしがもっと魅力的だったら・・・
わたしがもっとその気にさせられたら・・・
全部私のせい。
嫌がってる相手に頼んでしてもらうほど私だってプライドがないわけじゃない。
だから自分の持ってる幸せだけを数えて、
「幸せだし」を思考の末尾にくっつけるようにしていました。
まるで自分に言い聞かせるかのように。
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本当は誰にでも自分が望む幸せを最大限求める権利は持っているはずなのに。
何かを諦めないと願いがかなわないわけじゃないのに。
不満を抱えながらも最後に「でも、幸せだし・・・」をつけてしまうのは、
本当は心の底から幸せに思えてない証拠。
少なくとも私はそうでした。
手の中にある幸せを数えて満足することと、
手の中にある幸せで満足しなきゃ・・・と言い聞かせることは、
似ているようでまったく質の違うもの。
自分の本当の気持ちに自分で「そんなこと考えちゃダメだ」と言い聞かせて蓋をし続け、
セックスがないごときで悩んでるなんてあの時は誰にも言えなかったし、
12年間、誰にも言えなかった。
必死で「ごとき」と言い聞かせていたのもまた、
自分の気持ちを大切に出来ていない証拠でした。



