訪問介護で
利用者の逝去に向き合い
わたしなりに
思うことを書きます。


人を傷つける意図はありません。
どうかご承知おきくださいお願い


断り)私は介護職なので、
ご家族の思いとは別の視点から書いています。


こちらは↓
今日の記事とは違い
ほんわかとした
ご家族との交流など含まれています。


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今まで、
利用者の逝去について
数記事 書いているのですが、


介護職を
続ければ続けるほどに

最期まで、
その人はその人でしかない、と

思うようになっています。
思いは強くなってる。


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ネガティブな部分も含め、
数名の利用者のことを書いてみます。


ある利用者は
「息子のために
 お金を残すのだ」
と1円2円にこだわる。
買い物代行で、
ヘルパーが選んだものが
意にそぐわないと、
延々と説教する。
始まったら止まらない。


ある利用者は、
ヘルパーの容姿、
一挙手一投足に
「全てが気に入らない」と
ヘルパーをこき落とす。
誰が行ってもこき落とされる。


ある利用者は、
入浴介助に入ってくれた
訪問入浴さんに
「この大男、二度と来んな!」
と捨て台詞をはく。


ある利用者は、
訪問医や看護師に
「お金をぶん取りやがって」
と暴言をあびせる。


ある利用者は、
「わたし、そろそろよ」
と最期を予告しつつも、
最後まで、
重箱の隅を叩くような
掃除を所望する。


もっと沢山あるけど、
この辺にしておきます。



で、
翌朝とか、
数日後とか、
「その人は その人のまま」
最期を迎える。


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四柱推命や算命学の
学びを始めるまでは、

「酷いことをして、
全くなんだからむかつき」

という類の感情を抱いていたんです。



でも、今は違う。


「きっと、わたしも同じ。
 こんな終わり方を
 するんだろうな」って…



亡くなった時に、
周りから
「立派な人だったね」
「いい人だったね」
という理由で惜しまれる人は
どれだけいるのだろうか…。


聖人君子のような生き方してる人って
案外少ないのではないかと。


けど、
それで良いのですよね。
殺人とかは別です。



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何故、こんなことを
書いているかというと、


今、

強烈な個性の持ち主で、
ヘルパー仲間で
「あの人は本当に難しい人」
で通じる利用者宅へ
訪問してるんですが、



昨日も、
訪問時刻少し前に、
わたしに対しての
厳守 三本柱
みたいな連絡が届いた。

ただでさえ
気が重いのに、さらに気重。
(私にだけ厳しいわけじなくて
 皆んなに厳しい。
 わたしも昔に比べ冷静)


でも、単に、
その人はそういう人
ってことなのですよね。


その人は今後、
自分を変えることは出来ないだろうし、
変える必要もないんじゃないかな。



だって、
その人がその人として
最期を迎えることの方が大切だから。



私もダメ出しされると
心身が縮こまるけど、
ダメ出しの中にも学びはあるしね。
改められるところは改めます。



でもね、
人と人は対等だから、
私からもその利用者に
送りたいメッセージがあるんです。


信頼できる事業所だったでしょ、と。
(算命学の五徳、信徳。
 行き着くところはそこです)


最期にそう言えるように、


クビにならない限りは
務めたいと思う。
やつれそうだけどネガティブ意地だね。

この一件には意味があるよ、
気づきなさい〜!
って事なんだと思います。



最後までお読みくださりありがとうございました。