裁判官の心証がすべて決まる日本の裁判所 | グルコサミン博士のブログ

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愛犬アラレを医療過誤で失い、裁判まで経験しました。


 

その中で私は「なぜこんなにも理不尽なのか」と悩み、法律や制度を勉強し、整理することになりました。
今日はその気づきをシェアしたいと思います。

 

民法では「動物=物」

日本の民法は明治時代に作られたもので、今もその基本が使われています。
そこには「物とは有体物をいう」とあり、動物も「物=財産」と扱われています。

どんなに家族同然の存在であっても、裁判では「代替可能な財産」としか評価されない。
私はこの現実を突きつけられました。

 

動物愛護法の理念との矛盾

一方で、1973年にできた動物愛護法には「動物は命あるものである」と繰り返し書かれています。
改正のたびに「命」や「福祉」を守る視点は強化されてきました。

けれど、この法律は主に行政や飼い主に向けたルールで、裁判で直接の根拠になることはほとんどありません。
だからこそ、「物」としての民法と「命」としての愛護法、そのギャップが埋まらないまま残っているのです。

 
なぜ裁判で反映されないのか

私が経験した裁判でも、次の壁を強く感じました。

  • 民法が優先され、愛護法は裁判の枠組みに入りにくい

  • 判例が少なく、裁判官は従来の考え方に「心証」を固めていく

  • 医療記録は病院が握り、飼い主は立証がとても難しい

  • 社会的な議論や法改正が遅れている

諸外国との比較

世界を見渡すと、日本の遅れは明らかです。

  • EUでは2009年のリスボン条約で「動物は感受性ある存在」と規定

  • ベルギーは憲法に動物福祉を追加

  • ニュージーランドや欧州各国でも「感受性のある存在」として法律に明記

それに比べると、日本は「命ある存在」と言いつつ、裁判では「物」のまま扱われている。
このアンバランスは、国際的に見ても大きな課題です。

 

今後に向けて

アラレのような悲劇を繰り返さないために、できることがあると思います。

  • 民法に「動物は特別な存在」とする特則を設ける

  • 動物医療での説明義務(インフォームドコンセント)を徹底

  • 医療事故を検証できる第三者機関をつくる

  • 病院情報をもっと公開し、飼い主が判断できる環境を整える

  • 保険やADR(裁判外の仕組み)で飼い主を支える

最後に

アラレがいなければ、私はここまで調べたり考えたりしなかったでしょう。
彼女の命を通じて、社会と法律の矛盾に気づかされました。

動物は家族です。
それなのに制度の中では「物」。この矛盾を、私たちはいつまで放置するのでしょうか。

みなさんはどう思われますか?