アラレの医療事故と裁判を通して、私が痛感したのは「説明義務」と「インフォームドコンセント」の足りなさでした。
人間医療では、医師は患者や家族に治療法やリスクを丁寧に説明し、同意を得ることが法律で義務づけられています。
患者が理解し納得して初めて治療が進められる。それが当たり前の仕組みです。
一方、動物医療ではその仕組みが不十分です。
獣医師にも説明義務はあるはずなのに、実際には飼い主が十分な情報を得られないまま治療が行われることが少なくありません。
二次動物病院なのに、アラレの検査のときも、私はリスクについて何ひとつ聞かされていませんでした。
検査にサインをした記憶もなく、同意書さえ交わしていませんでした。
検体採取が麻酔下で行われること、そして麻酔に伴うリスクがあることも知らされていません。
もし「敗血症の危険がある」と説明を受けていたら、私はその病院での検査をぜったい選ばなかったはずです。
さらに、最期の入院先でも「もう助からない」という言葉を私は一度も聞いていませんでした。
何度も「先生、この子を助けてください」と叫び続けた私に、担当の先生は本当のことを言えなかったのかもしれません。
けれど、もし「望みはない」と言われていたら、私は迷わずアラレを連れて帰ったでしょう。
私の腕の中で見送りたかったからです。
裁判を通して改めて突きつけられたのは、人間医療であれば当然に行われる説明や同意が、動物医療では必ずしも保障されていないという現実でした。
私は「説明不足」「インフォームドコンセントの欠如」を訴えましたが、裁判でそれを法的に認めてもらうことは非常に困難でした。
最終的には不本意な和解で終わりましたが、私が痛感したのは、動物医療における説明義務は、裁判所ですら十分に守ってはくれないということです。
日本の法律ではペットは「物」として扱われます。
そのため、命の尊さや飼い主の思いが後回しにされ、裁判をしても命の尊さが数字に換算されてしまう。
私はこの現実に深い不信感を抱きました。
アラレを失った今、私は強く願います。
動物医療にも、もっと誠実で具体的な説明が必要だと。
飼い主が理解し、納得したうえで検査や治療を選べるようにすること。
それが獣医師と飼い主の信頼を守り、そして命を大切にする社会につながるのだと信じています。

