裁判官の心証がすべて決まる日本の裁判所 | グルコサミン博士のブログ

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アラレを亡くしたあと、私はずっと考え続けています。


 

命に「軽重」はあるのだろうか。
そして、動物の命は人間の命に比べて軽く扱われてよいのだろうか、と。

 

裁判の場で突きつけられたのは、「犬はもの」という法律の扱いでした。
その瞬間、アラレの存在が、私たちにとってかけがえのない命から、単なる所有物へと置き換えられてしまったのです。

どれほど大切に思っても、どれほど深い絆を結んでいても、裁判の中では「命」ではなく「物産」としてしか見てもらえない。
それが、現実でした。

しかし、飼い主にとって動物は、家族そのものです。
その命を託す場所が動物病院である以上、そこで問われるべきは医療としての技術だけではなく、倫理としての姿勢でもあるはずです。
命に向き合う姿勢は、人と動物で分けてよいものではありません。

 

残念ながら、動物医療の現場にはいまだに「飼い主は医療知識がないから分からないだろう」と軽んじる体質や、「事故が起きても責任を取らなくていい」という空気が広く残っています。
その結果、アラレのように不幸な事故で命を落とす子が後を絶たない。
ここにこそ、動物医療における最大の倫理的課題が潜んでいるのだと思います。

 

命に軽重はあるのか。
私は、答えは「ない」と信じています。
ただ一つの命は、かけがえのない存在であり、数字で計れない重みを持っています。
その視点を、医療の現場に携わる人こそ、大切に持ち続けてほしい。

アラレの裁判は不本意な和解で終わりましたが、それでも私が声をあげた意味は、ここにあると思っています。
「命を軽んじてはいけない」という当たり前のことを、あらためて問いかけるために。

 

私のnoteを獣医療関係者の方々も読んでくださっています。
この声が少しでも届き、動物医療の倫理のレベルアップにつながり、アラレのような不幸な子がひとりでも減ることを、私は心から願っています。