夜はアラレを留守番させないという我が家のルールを守るために、ツレだけが、アムステルダムのコンセルトヘボーでの演奏会に行ってきました。以下はツレの代筆。
「コンセルトヘボウ(Concert Gebouw)」とは、オランダ語で「コンサートホール」の意味で、伝統と建物自体の実際の重さの両方を感じさせる立派な建物です。
日本のコンサートホールも音響効果を十二分に考えたものが多いようですが、コンセルトヘボウの中に入ってまず実感したのは、音響効果を倍増させる「視覚的効果」です。決して豪華ではないのですが趣味のよい大きなシャンデリアと、天井や壁の装飾とが、観客の目を通して演奏される音に特色を与えているように思いました。
またホール全体にも、長年の名演奏の音が染み渡っているようでもあり、それもまたコンセルトヘボウにおける種々の演奏にこのホールならではの味わいを付加しているようにも思いました。妙なたとえですが、それは、老舗のうなぎ屋が江戸時代から代々使い続けている「タレ」とその「こく」を連想させました。(たぶんしばらくの間ウナギを食べていないからでしょう。)
内部は舞台と客席の間に幕がなく、まさに演奏者と観客が一体になれる構造で、壁には、向かって正面右には「Bach」、左には「Hendel」の名前が刻まれ、以下、「Copin」 「List」…と続きます。
演目はマーラーの最後の交響曲、第9番でした。
マーラーの交響曲というと、第一番の「巨人」と、番外の「大地の歌」以外はあまり好きではなかったのですが、上記のような立派な会場で、しかもアムステルダムコンセルトへボウ交響楽団の一流の演奏で聴いて認識をあらたにしました。
たしかに第一楽章から第三楽章まではマーラー的な、クラリネットのわけのわからない調性無視の、悪ふざけのような旋律が唐突に鳴り響いたりするのですが、最終楽章の第四楽章になると印象は一転します。
あたかも彫刻のような実体を有しているような音楽が、ときに内面的に激しく、また時にはフルート、あるいはチェロ一本の旋律になって静かに、しかし荘重に鳴り続けます。
それはあたかも、愚劣な現実や内面の苦しみ(マーラーは指揮者としては楽団員から、生活者としては妻の恋愛問題に悩まされ、精神的にはフロイトの精神分析をうけなければならないほどに苦しんだと聞いています)の最後に、たどりついた、彼の「歓喜の歌」、さらには「勝利の歌」のようでした。
演奏が終わるとごく自然に全員がスタンディングオベーションに入りました。当然のことながら、精神的な深みに浸らせてくれた演奏の余韻をぶちこわす、ブラボーなどという、とってつけた下卑た声はあがりませんでした。
演奏会終了後、多くの人はホール内のカフェでワインやコーヒーを飲んで名演奏のあとを楽しんでいました。観客の音楽生活の豊かさに脱帽。
ホームトリミング後のアラレ。



