テレビのニュース番組に鳩山内閣の〇〇大臣が出演し、久しぶりに一億総中流ということばを聞きました。格差社会になりつつ、ごく一部を除けばむしろ一億総庶民がただしいではないかと述べられました。
多くの国民は兔小屋なんていわれる小さなアパートに住みながら、年に2週間の休暇もとらず、仕事の虫みたいな生活をしています。働いて働いてローンの返済と子どもの教育費で金が消えていく。自動車を買ってもガソリンは高いし暇はなしで、乗り回して楽しむよりは、ピカピカに磨いて楽しんでいる・・・そう思うから一億中流意識を皮肉ってみたくもなるのだろう。
日本語に、下流という言葉はある。しかし、それは川下の部分をさすだけで、日常的に社会の下層を示す意味では使われない。つまり上流、中流があって、下流がなければ、上中下の「中」だということを意味していない。
中、つまり「並み」であると思えば不安は解消する、不満も出なくなる。人間の不安は根元的なものだから、結局は不安のまま生きざるをえないののだが、「みんなも同じ悩みを抱えている」と考えると悩みも軽くなる。つまり、「中」を求めるのは根元の不安を麻痺させるからだ。
この現状を政治家に知ってほしい。そして真の「一億総中流」の実現をめざし、国民のための政府を作り上げてほしい。