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Hans Dahl, A young woman in the meadow, 1894.  ©Wikimedia.

 ハンス・ダール『草原の若い女』1894年。

 

 

 

 



 

 

【40】 「婦徳」と「みやび」――

男たちへの「媚態」としての詩歌・芸術

 


 「下田歌子〔…〕冊子『にはのをしへ』で、家庭の衛生に挺身することこそ婦人の要務だ」との「をしへ」に続いて、「[冗事に時を費す無からん]という勤勉の徳に触れている。」「他人の誹謗」や「猜疑」といった「益体 やくたい もない噂話で時間を潰す」のが「女子の通弊」であると。そして、余暇があればむしろ「詩歌」,習字,奏琴といった「みやび」を「楽しみたらんこそ、真に、人類の快楽」だと言うのです。「女性の生活倫理を論じる下田が、日々の[家事経済]の合間を縫って[みやびを楽しむ」ことを推奨し〔…〕ていることは注目に値する。」

 

 ただし、これらはあくまでも「手すさび」として、「お稽古ごと」として、為すことが奨められているのであって、「芸術」ないし「芸」として本格的に追求することはむしろ禁じられます。「芸ごと」に入れ込むあまり、「裁縫や洗濯のような」家事がおろそかになり、「家事経済への挺身」という婦人本来の「職務」から逸脱してしまっては「元も子もない」からです。

 

 「ここで[みやび]が、女性にのみ許された美的特権として」描かれている「ことは明らかだろう。ただし」そこでの「特権」を「逆の側から見れば、女性の精神活動を審美的領域に特化しそこに閉じ込めることで、男性にとって御し易い家庭婦人を成型することが、下田歌子の目的だったとも言える。〔…〕よく働いて抜かりなく家事を遂行するうえに、その合間には優雅な芸事を感性豊かにこなしてのける[美的]存在」が「明治の男たちが伴侶に求める理想像だったのであり、そうした・男たちの嗜好への意識的・無意識的媚態が、下田の女性教育の基盤を形づくっている」のです。

 

 下田歌子は、同時代において、「伊藤博文をはじめ明治政府の多くの顕官たちを籠絡した悪女」と噂されていました。彼女に帰せられた山のような醜聞のすべてが事実ではないとしても、そう噂されるだけの生き方をした下田の形成した思想が、上記のような “貞淑” を絵に描いたような「婦人倫理」であったことは、まぎれもない事実なのです。

 

 樋口一葉の所属した歌塾「萩の舎」も、下田が宣揚しているのと同様の「女性観に沿った教育施設であったと言える。」そこに集まった「上流階級の姫君令嬢は、」古典的な花鳥風月を「賞翫しうる美的感性を」身に着けるべく努め、それによって、花嫁候補市場における「理想的な家庭婦人としてのみずからの価値を高めようとした」のです。

 

 「萩の舎」は、もともと「千陰流」の書道塾で、そこに和歌創作や古典文学講義などを加えた歌塾として発展しました。これらはいずれも、当時の上流階級女性に必要とされた教養技芸で、一葉もこれらをすべて学び、みずから「萩の舎」の講師として「源氏」「枕」を講義できるまでに大成しています。「一葉は、『闇桜』『たま襷』『五月雨』のような習作〔すべて 1892年発表〕を書き出した時点では、自分を下田的女性観からとりたてて逸脱した存在とは感じていなかった」。(『明治の表象空間 下』,pp.40-43.)

 

 

『だが、ある時点で彼女はそこから決定的に離脱する。『大つごもり』『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』のような傑作群には、もはや下田が言うような意味での「みやびを楽しむ」心の余裕はない。そしてその移行は、「衛生を司る専門家としての女性」といった下田的な「婦徳」観が一葉の内部で崩壊してゆく過程と正確に呼応している。』

松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,p.43.  

 

 

William-Adolphe Bouguereau(1825-1905), Une vocation,

  A Calling (1896), Cleveland Museum of Art. ©Wikimedia

ウィリアム=アドルフ・ブグロー『召命』1896年。

 

 

 

【41】 「婦徳」と「衛生」の教え

 


下田歌子には、端的に『女子の衛生』〔1906年〕という〔…〕著作がある。以下、その「第6章 遺伝及び伝染病』から〔…〕引用する。

 

 人は、容貌や骨格の〔…〕遺伝せらるゝと同じく、悪 あし き血統、すなはち疾病や悪癖 くせ をも遺伝せらるゝもので、〔…〕血統は極めて注意すべきもので遺伝は甚だ恐るべきものであることを知らねばならぬ。

 

 大抵の疾病は、兎角遺伝するものが多いが、最も遺伝し易いのは精神病,神経病である。そして殊に恐るべきは、大刑を犯したる血統の遺伝で、殺人犯の如きも亦、確かに遺伝するとのことであるから、深く注意をせねばならぬ。

 

 肺結核は、遺伝せらるゝものとて其血統に注意すべき〔…〕 恐るべき伝染病であることは、1882年に於ける独逸のコッホ氏が報告によって始めて解ったのである。

松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.43-44. .  

 

 

 「1882年のコッホの報告」とは、結核菌の発見ですが、これによって「遺伝」などの曖昧な原因論は否定され、病原菌を除去すれば結核は治ることが明らかになった、というのが、現在の私たちの常識でしょう。ところが、下田はそれを、「結核は遺伝するものであること」の発見だと理解しているのです。

 

 下田は、「遺伝するもの」の範囲を無制限に広げているだけでなく、それらのなかでも、「殺人犯」などの犯罪傾向、「精神病」および、当時「不治の病」とされた「肺結核」を取り立てて、「恐るべきもの」「注意すべきもの」として強調しているのです。

 

 

下田がここで開陳しているような考えは、当時の一般通念とさしたる懸隔はなかったはずであり、生前の一葉が、遺伝なり伝染病なりをめぐってどのような観念によって織りなされる社会的文脈に囲繞されていたかを〔…〕推量することができる。〔…〕

 

 下田にとって遺伝と伝染病は「恐怖」の対象だったのであり、その「恐怖」は、女性に特化した要務である衛生的「注意」によってのみ克服される。この「恐怖」が一葉にとってなまなましい現実感を帯びていたことは言を俟たない。一葉の長兄泉太郎が肺結核でタヒんだの『は樋口家の没落の始まりと時を同じくしていた。』この時期に一葉と婚約しかつ婚約を破棄した渋谷三郎『翻意の理由の一つとして、うかうかと婚約してしまった女の兄のタヒ因となった「恐るべき」病と、それが「遺伝せらるゝものとて其血統に注意」しようという今さらながらの決意がなかったとは言いきれまい。事実、渋谷が危惧したように、まもなく一葉『自身もまた結核で早逝することになる。


 「三代伝はつての出来そこね」「気違ひは親ゆづりで折ふし起るのでござります」といった『にごりえ』の「お力」の台詞に、こうした宿命論的「恐怖」の倍音が鳴り響いている

松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.44-45. .  

 


William Lionel Wyllie, Opening of Tower Bridge. 1895, Guildhall Art Gallery, London

ウィリアム・ワイリー 『タワーブリッジの開通式』1895年。©Wikimedia.

 

 

 『にごりえ』のプロットのなかで、お力が、凍りついたどぶ板の上で転んで、買ってきたばかりのコメを全部、どぶの中に落としてしまった失敗体験から、「私は其頃から気が狂ったのでござんす」と言うほどのトラウマを病み、およそすべての「理性」の能力を自分は喪失してしまったと確信するに至る経緯は、「あまりに唐突で不連続な」考えの飛躍を感じさせます。しかし、「この飛躍は、そこに下田歌子の・[恐怖]と[注意]をめぐる衛生学的言説を挿入することによって〔…〕理解可能」なものとなるのです。 

 

 私は、以前このプロットを紹介した時に、「遺伝の恐怖」という・個人を超えた一族レベルでの強迫観念を読みとることによって、それを理解可能にすることを考えました。松浦氏は、それに加えて、「恐怖」を中和すべき〈女性の使命〉たる衛生的「注意」→ それを欠いた「不注意」による〈婦徳〉からの逸脱・放逐というプロセスによって、お力がみずからを公序良俗の埒外へ,狂気と「」の領域へと、追い詰めざるを得ない論理関連を推論しているのです。

 

 

『「恐怖」を「注意」で抑え込めると確信していられるかぎり、人は、平穏で「濁り」のない日常世界に棲み、幸せな結婚によって良き家庭婦人となることを夢見つづけることができる。「みやび」な手すさびとして古典の教養を積み、詩歌の実作を自己陶酔的に楽しむこともできる。その余裕はもはや一葉にはない。かくして、下田的な理想の女性像は一葉のうちで瓦解せざるをえない。彼女は〔…〕」へ、「濁り江」へと赴くことになる。

 

 それは、「衛生」への配慮を棄て、みずから進んで恐怖と汚穢にまみれること、「ゑゝ何 ど うなりとも勝手になれ」と開き直ること、丸木橋を渡ること、「気違ひ」になること――つまりは、いかなる「注意」によっても抑圧も排除もできない恐るべき疾病としての「書くこと」の中に〔…〕一気に身を投じることにほかならない。


 かくして、「みやびの楽しみ」といったのどかな慰戯とは一線を画した「文学」のエクリチュールが始動する。樋口一葉が、趣味的な文芸愛好家から「作家」へと変貌したのは、その瞬間である。

松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,p.46. .  

 

 

 つまり、一葉が「下田的女性観」から「決定的に離脱」した「ある時点」(p.43.)とは、「ゑゝ何 ど うなりとも勝手になれ」との「お力」の「にごり江」の境地を自らのものとし、「」と狂気にまみれることをも厭わない「エクリチュール」の中に身を投じることを決意した時にほかならない。松浦氏が言うのは、そういうことだと思います。

 

 

Alexandre Séon, Lamento de Orfeo (1896), Museo de Orsay, París.

アレクサンドル・セオン『オルフェウスの嘆き』1896年。©Wikimedia.

 

 

 

【42】 「忠君愛国の精神も遺伝である」――

「遺伝」宿命論とナショナリズム

 

 

 下田歌子は、『女子の衛生』「第6章 遺伝及び伝染病」において、遺伝の「恐怖」を強調した恫喝的警告を並べたあと、章の最後で、「ほんのひとことだけ」遺伝の「肯定面にふれている。」

 

 

 『斯くの如く、悪いことも遺伝する代りに、善いことも遺伝するは勿論である。故に、我が日本国民が、忠君愛国の精神も、亦必ず我れらが祖先よりの遺伝と思はるゝのである。

 

 

 ここで、「忠君愛国」思想が、〈遺伝〉と結びついて出てくるのは、偶然ではありません。明治以後における「忠君」の「君」とは、一義的に「天皇」のことであり、下田は、天皇制ナショナリズムに、〈遺伝〉という科学的装いを塗 まぶ しているのです。

 

 結論を先取りして言うと、『教育勅語』と、「お力の独白」とは、近代日本における〈カント理性の崩壊〉という一つの出来事の両面をなしています。下田流の価値観からいえば、一方は、その「善い」面であり、他方は「悪い」面です。(『明治の表象空間 下』,pp.47-49.)

 

 

 『『教育勅語』と「お力の独白」という・これら2つの言説を両極とし、そのあいだに張りめぐらされた表象的力学の磁場こそ、明治20年代以降〔1887~〕の日本の表象空間の核心に位置するものなのではないか、という仮説が浮上する。「お力の独白」に対置されるべきは、〔…〕同じく一人称主語〔朕〕の語りで組み立てられた『教育勅語』という・この高度に政治的なイデオロギー装置なのではないか。

 

 一方における[善]の提唱と、他方における[悪]の告白は、[啓蒙]的言説の自壊以後の明治の表象空間に、それぞれ別のしかたで、一種の ねじ れた近代性を定礎しようとした〔…〕試みだったのではないか。』

松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.49-50.  .

 

 

Briton Rivière, Phoebus, Apollo, 1895.

ブリトン・リヴィエール『アポロン』1895年。 ©Wikimedia.

 

 

 ところで、前節で松浦氏が、〈一葉は、「みやび」の慰戯とは一線を画した「文学」のエクリチュールを始動させ、趣味的な文芸愛好家から「作家」へと変貌した〉と述べた時、私たちは、そうした氏の価値づけに、いかにも「文学」至上主義臭い・鼻持ちならなさを感じなかったでしょうか?「文学」やら「作家」やらが、そんなに偉いのか? ふつうの人間には解らないことを得々と述べ立てて自己陶酔している点は、「みやび」や文芸ディレッタントと何ら変わらないではないか。‥‥

 

 それは誤解なのですが、じつはその問題が、上での松浦氏の「仮説」と大きく関わってくるのです。ですから、私たちが感じた「鼻持ちならなさ」は、問題の核心に入っていくための有効な取っ掛かりにほかなりません。

 

 そこで、私たちは、樋口一葉について・さらに深い考察へと進むためには、ここで大きく回り道をしておかねばなりません。回り道は、ひとつには『教育勅語』とその起草過程であり、もうひとつはボードレールです。

 

 回を改めて、次回はボードレールから始めたいと思います。
 

 

 

 

 


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    Henry Scott Tuke