赤い線は 12月30日の,紫の線は 1月2日の,青い線は 12月14日の軌跡
じつは、暮れの 30日には、「パノラマ台下やぐら群」には到達しなかった。そこで、その部分は 1月2日のリベンジ記録から抜き出しておくことにしよう。
「パノラマ台」からハイキング・コースに戻ってほんの 10メートルほど進むと、谷底に下りていく・か細い径がある。ヤブに半ば塞がれているし、急だし、廃道化しているので 30日には敬遠したのだが、帰宅してから地形図を見ると、実線路になっているではないか。もとは、しっかりした道だったのだ。ほかに、「パノラマ台」の南面にアクセスできる路は見当たらないので、2日は、この小径を慎重に下ってみた。 分岐点の標高は、92メートル見当。
標高84メートル付近まで降りると、上下2段に分かれて「やぐら」が並んでいるのが見える。深いヤブに邪魔されて容易に近づけないし、カメラを向けてもヤブしか写らない。かろうじて、いくつかの穴は撮すことができた。
下の段。2個の「やぐら」だけ撮せた。左の「やぐら」↓。
右の「やぐら」↓。中に五輪塔が、少なくとも2基ある。
上の段は、↓かろうじてこれだけ撮せた。四角く掘られた「やぐら」だということは分かる。
標高67メートル付近。ここにも「やぐら群」がある。あるいは、さきほどの「やぐら群」が下方に続いている。
2段以上あるようにも見えるが、見分けられるのは最下段の2穴。左から右へ。
標高57メートル付近。斜面の森から抜けて平地に出ると、岩の崖が現れる。ところどころ窪みが見えるが、「やぐら」ではないようだ。「大切岸」のような石切り場の跡かもしれない。
さて、稜線のハイキング・コースを南へ進むと、まもなく「お猿畠の大切岸」になる。
「お猿畠」は地名で、日蓮がサルの群れに助けられて難を逃れたという場所。「大切岸」は、この故事とは別で、鎌倉時代の石切り場の跡。
石材を伐り取って形成された岩壁が、その後 600年にわたって風化して、このような景色になったのだろう。
要するに、ただの石切りの跡だが、800メートル以上にわたって、これだけの規模で続いていると壮観だ。
「大切岸」が終って少し往くと「石廟 せきびょう」が2基置いてある広場に出る。
鎌倉市指定文化財とのことだが、鎌倉後期~南北朝時代に造られたというだけで、誰を祀った「廟」なのかも分からない。ここは、「お猿畠」の日蓮宗法性寺との岐れ道なので、やはり日蓮宗の関係なのかもしれない。
このあとは、まもなく「名越 なごえ 切通し」の路に出会う。「切通し」の途中に「まんだら堂」がある。
が、その手前で、また広場に出た。真新しい石碑だが「無縁諸霊の碑」というのが立っている。これまた、何の無縁仏なのか分からない。
「名越切通し路」に合流↓。
「まんだら堂やぐら群」は、左へ折れて 100メートルほどだが、年2回春秋の公開期間を除いて、保存のために閉鎖されている。25年秋の公開期間中に見学しているので、回を改めて、(3) では、その時の写真を出すとしよう。
タイムレコード 20251230 [無印は気圧高度]
(1) から - 1213「パノラマ台」[104mGPS] 1218 - 1239「お猿畠の大切岸」終点[75mGPS]1242 - 1244「石廟」[81mGPS]1251 - 1308「名越切通道」合流[80mGPS] 1020 - 1311「まんだら堂」入口[78mGPS] - 1319「緑ヶ丘入口」バス停[36mGPS]。
踏査記録⇒:YAMAP






























