
ル・マン24時間レース
ル・マン 24時間レース(ル・マンにじゅうよじかんレース、仏24 heures du Mans )は、フランスのル・マン近郊で行われるカーレースである。24時間でどれだけ長い距離を走ることができるかを競う。
日本で「ル・マン24時間」と言うと、通常は一年の内で最も昼の長い毎年6月の初めから中頃に開催される自動車による耐久レースのことを指すが、現地では毎年4月にオートバイによる24時間耐久レースも開催されている。また、ル・マン24時間耐久レースと記されることもある。
世界三大レース
フォーミュラ1のモナコグランプリとアメリカのインディ500と並び「世界三大レース」と呼ばれる。またデイトナ24時間レース、スパ・フランコルシャン24時間レースとともに「世界三大耐久レース」とも呼ばれる。
開催地
競技は、フランス中部にあるル・マン市のサルト・サーキットと呼ばれる全長13kmを超える周回コースで行われる。その殆どは一般道で、スタートおよびゴール地点とその周辺は競技専用のブガッティ・サーキットの一部を使用する。各ストレートやコーナーには「ユノディエール」や「ミュルサンヌ」、「テルトル・ルージュ」、「ポルシェカーブ」、「フォードシケイン」などの名称がついており、これらの名称は世界的に著名である。
サルト・サーキットの特徴といえばユノディエールという全長6kmに及ぶストレート(コース図で言う上のストレート区間)であったが、マシンの進歩により1988年には最高速が405km/hに達するなどしたため、安全上の問題から1990年に二箇所のシケインが設けられた(コースに独自性を持たせたいACOに対し、FIAが再三勧告をしたためである)。

(Circuit de la Sarthe track)
マツダ悲願の総合優勝
事実上最後の年になった1991年、日本のメーカーとして初めて総合優勝を果たした。優勝車両はマツダ・787B、ドライバーはジョニー・ハーバート/ベルトラン・ガショー/フォルカー・ヴァイドラー)。同時に参戦していた他の2台も6位と8位に入った。なおこの年はファイナルラップ中に24時間のゴールタイムを迎えたため、終了前に観客がコースになだれ込んでしまい、マツダはピットロードにてチェッカーを受けることになってしまった。更に、ゴール時にドライブしていたジョニー・ハーバートが脱水症状を起こして、ゴール直後に医務室に搬送された為に表彰台に姿を現さない一幕もあった。
大資本をバックに大々的に参戦してきた他の日本勢と違い、ロータリーエンジンという独自の技術とともに、長い年月をかけて地道に参戦を続けてきたマツダの総合優勝は、多くの地元観客のみならず、他の参戦ワークスチームや世界中のモータースポーツファンから大きな賞賛を浴びた。
このとき優勝した55号車に施されていたレナウン・チャージカラーの塗装は、スポンサーであったレナウンの当時の社長がルマン以前のマツダの戦いを目にし"こりゃ勝つのは無理だ。じゃあとにかく目立て”と指示を出し、レナウンの社内デザイナーが布地のアーガイルの柄をベースに考案したものである。

マツダは、この年を最後に事実上ロータリー車が締め出されるため、当初1991年を以てル・マンを撤退する予定であったが、優勝したために急遽レシプロエンジンの車両であるマツダ・MX-R01を開発し、1992年にディフェンディングチャンピオンとして参戦、総合4位に入賞するが、マツダの業績悪化に伴い、この年を最後に撤退した。
(wikipedia)
ル・マン24H マツダ787B 優勝記念ビデオ
http://hama-sush-jp.pro/ghostripon/entry-10239213566.html
LeMans 24h 2000 土屋 圭市のサルト解説
LeMans 24h 2000 土屋 圭市のサルト解説
http://www.youtube.com/watch?v=wGFkVsLjy8g