おはようございます。
日蓮宗 上行寺の副住職をしております遠山玄秀です。
【受け手次第】というところから、ちょっと飛躍してしまったかもしれませんが。。
人が自分の「お葬式」や「死」を意識する時とはどんな時でしょうか。
恐らく、身近な人が亡くなった時などもそうでしょう。
それも、その時の年齢によって意識する強さは変わるはず。
「次は俺の番だな。」と思うのは、やはりそれなりの年齢にならないとなかなか思わないものです。
だから、「お葬式」や「死」のイメージの強いお寺には、お年寄りが多かったり、お寺へ行くのは親の役目だからというのが多いのだと思います。
だからこそ、普段はあまり関わりがなくても、その時になったら、もしもの時に必要になるのだから、お寺はそこにあるだけで安心感が得られることが出来るのかもしれません。
何百年と続いてるお寺だからこそ、そこにあるだけでいいのかも知れません。
これが、受け手次第でお寺もそうかもしれません。といった理由です。
ところで、その安心感は無条件で得られるものでしょうか?
いかがでしょう。。
続きます。。
本日も沢山の幸せと笑顔が届きますことを祈ってます。
しっかりと生きましょう!
4月29日に第4回 チームビハーラ勉強会を開催いたします。
こちら
∞遠山玄秀∞