日蓮宗 上行寺の副住職をしております遠山玄秀です。
昨日は、「大切な人を亡くすと必ずグリーフになるわけではない。」ということを書かせていただきました。
そして、グリーフの定義も書かせていただきましたが、実際その人がグリーフかどうかということを判断するのは本当に難しいと思います。
ですから、サポートをする人は、もしかしたらグリーフなのかもしれない。
あるいは、グリーフになってしまうかもしれない。
という心持ちで居なければいけません。
そして、もしかしたら、その人は今は大きなサポートを必要としていないかもしれません。
そんな時、サポートする側の人は、傍にいることしかできません。
傍にいることしかできませんと書きましたが、傍にいるというのはその人にとって大変心強いものです。
誰かが傍にいてくれている。という気持ちは大変心強いものになります。
あなたが傍にいるというだけで、その人は一人じゃないんだと思えるのです。
それはは本当に大きなものなのです。
グリーフになった人はその表現の仕方は人によって様々です。
もしかしたら、全く口を利かなくなるかもしれません。
もしかしたら、ずっと自分を責め続けるかもしれません。
もしかしたら、亡くなった方の食事を作り続けるかもしれません。
もしかしたら、いつもずっとハイテンションになるかもしれません。
これらは、大切な人を亡くした悲しみからグリーフの状態になってしまったのです。
一般の常識にはあてはまりませんが、これは精神的におかしくなってしまったわけではないのです。
グリーフになってしまったのです。
もしも、あなたの周りにそんな方がいらっしゃいましたら相談いただけたらと思います。
誠心誠意サポートさせていただきます。
遠山 玄秀