こんばんは
雨降りの夜のさいたま市です
ふと これまでに天国に行った
猫たちを思い出しています
猫に限らず、犬でもそうですが
ペットって(いえ、ペットと呼んでいいのか
さえも疑問ですが)
飼い主にとって何なのでしょう
飼い始めたばかりの頃は
興奮と新しい、素敵な友達が
できた喜びでものすごくワクワクしているのに
そのうち毎日そこにいることが
当たり前になって
毎日のごはんや
トイレのお世話、獣医さん通いが
面倒だ、なんて思う人は
多いのではないでしょうか
ペットは言語を喋らないし
ゴシップもわからない
社交ができるわけじゃない
ついつい人間の友達との
食事や飲み会、おしゃべりの方が
楽しくなる…なんて
ことがあるのではないか
分からなくはないのです
猫を溺愛している私にも
他の飼い主さんがそういう気持ちを
持つことがよくあることだということが
ただ 人間がそうして
外で過ごしている間
おうちでずっと待っている猫が
(いや、寝ているだけかも知れないですが)
どんな気持ちでいるんだろうと
思うと私はなんだか泣けてしまうのです
ちょっと病的に感情移入し過ぎかも知れません
「いや、動物には分からないよ
大丈夫」
そう思う人もいるかも知れません
でも、彼らにもとても豊かな感情が
あるようです
たとえば私が子供の頃
子猫が5匹生まれて私の家族が
全員 子猫たちに夢中になったことが
ありました
すると親猫が全く鳴かなくなり
人間と距離を置き、
そばに寄ってこなくなりました
「自分はもう用済み」
そう諦めているかのように。
そんな風にさせてしまったことに
気づいて、それから私は
事あるごとに親猫に話しかけ、
何でも親猫に1番にご馳走をあげて
遊ぶようにしたら…
子猫時代みたいにものすごく
甘えん坊になりました
それからの日々は
毎日 その子と一緒にいることの
喜びを伝え、それを感じる日々に
なりました
それから二十年余り…
その子はとうに天国に帰りました
亡くなった翌日に学校で
少々シックスセンスの強めの生徒が
「今日 先生のオーラがものすごく黒い」
と唐突に言いました
バカバカしい、苛だたしい、と
思われたらここで捨て置いてください
「友達」(昨今のSNSで「友達」は
本当の友達かどうかよく分りませんが)
は多分一生の間に何度も何人も
現れては消えていきます
寂しい話ですが事実だと思います
でも、ペット、いえ家族になった動物は
自分の都合で他の仲間と楽しむために
消えていくことは多分ありません
その子が老いて、または病に侵されて
永遠の別れが近い頃になって
初めて飼い主は我にかえるのではないかと
思います
どんなにその子に心の平安の多くを
頼ってきたか、ってことを。
当たり前のように一緒にいた毎日に
終わりが迫っていること
深淵のような黒い悲しみが
口を開けて待っているということに。
そしてそこまで行ってしまったら
もう何をしても留守にしてひとりぼっちに
した日々はやり直すことはできません
動物は「死ぬ」と決めたら
ものすごく潔く死んでしまう子が
いるものです
今になって「ちょっと待って」って
言っても自然は愛おしい子を
残酷にも奪っていきます
これまでに悲しみで見送った子達がいたから
我が家の子達が病気に倒れたり
障害で苦しんだ時
真っ黒な不安と格闘しつつ
全部を投げ打ってでも助かってほしい
と思いながら一緒に暮らしてきました
キーちゃんが生き残ったから
リバーくんが障害を乗り越えたから
真っ黒な不安は黄金の喜びになりました
(あくまで私の私見であって
犬猫の飼い主全員が同じじゃなくちゃいけない
なんて思いません
「死んだらまた飼うから大丈夫」
そういう人もいて然り
かつて「人間と動物はそもそも全く違う」というのが西洋の生物観だったわけで
「人間=魂と肉体」、「動物=物体」ぐらいの
思想だったってことも知っています
私は決してそうは思わない、
というだけのことです)
うちの子たちにとって
決して裏切らない人、強くて優しい
(彼らのことだけは決して裏切らない😆)
飼い主でありたい、と
思います 🌹

