皆さん、きっと奈良県天理市に鎮座する石上神宮に一度は訪れたことがあると思います。
私も十数年前に訪れました。
石上神宮を訪れた記念に、そのとき描いた油絵です。
さて、石上神宮の主祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)です。
神剣は、その布都御魂大神が宿る布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)です。
明治7年(1874年)に石上神宮の大宮司である菅政友が、石上神宮の拝殿の裏にある禁足地(石上布留高庭)から七枝刀などとともに1振りの鉄刀を発掘し、鉄刀は七枝刀以外にこれ1本のみであったのでこれを布都御魂剣と判定しました。
形状は、通常の日本刀とは逆に刃の方に湾曲した「内反り」の環頭太刀で84.5cmの長さです。
環頭が刀身と共づくりになっている鉄刀です。
なお、分類として鉄刀は片刃で、鉄剣は両刃のものをいいます。
こうした「内反り」の環頭太刀は、朝鮮半島には出土せず、中国大陸でも事例は少ないものの、石上神宮のそばにある東大寺山古墳からは類似の5本の環頭太刀が出土しています。ただし、環頭と刀身が別づくりのようです。また素環頭(すかんとう)ばかりではないようです。「中平」鉄刀を除き主に4世紀のものとされます。
現在、石上神宮には、
布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)
布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)
布留御魂剣(ふるのみたまのつるぎ)
の3本の神剣に宿る大神を主祭神として祀られています。
布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)と布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)、布留御魂剣(ふるのみたまのつるぎ)の名は似ていますが、それぞれ全く異なるものです。
最初の布都御魂剣は、国土平定の功を称えられた神剣で神武天皇の下にもたらされた剣で、神武の治世には宮中に置かれましたが、第10代崇神天皇の代に神託をうけて石上神宮に移されたものです。
2本目の布都斯魂剣は、須佐之男命が八岐大蛇を退治した剣で、天十握剣(あめのとつかのつるぎ)とも呼ばれ、後に石上神宮に祀られることになります。
最後の布留御魂剣(ふるのみたまのつるぎ)は、饒速日命(にぎはやひのみこと)、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)に関わる神宝で八握剣と呼ばれます。
明治の初め、大宮司の菅政友が発掘した当時の写真や絵で見る限り、布都御魂剣とされる刀身は、近隣の東大寺山古墳の4世紀頃の鉄刀と較べると極めて太いです。
岡山県赤磐市の石上布都神社には、布都斯魂剣のレプリカとされる木刀がありますが、石上神宮の禁足地で発掘された布都御魂剣とは外観がまったく異なります。布都斯魂剣のレプリカは、弥生時代の平原遺跡1号墳の素環頭太刀と「内反り」の点で似ていると思います。
そもそも布都御魂剣は、神武東征の際に高倉下が神武天皇の下に持参した剣であり、神武が大和征服のきっかけとなった剣とされます。
とても重要な鉄刀ですが、石上神宮の禁足地で発掘された4世紀の環頭太刀が布都御魂剣といえるのか疑問に思います。
というのも、石上神宮の公式サイトによれば、饒速日命(にぎはやひのみこと)が授けた天璽十種瑞宝の布留御魂剣(ふるのみたまのつるぎ)は、崇神天皇7年に禁足地(石上布留高庭)に遷されたとされるので、石上神宮の大宮司である菅政友が禁足地から発掘し布都御魂剣と判定した鉄刀は、この布留御魂剣ではないかと私は考えます。
ところで、神武の天皇即位日は、紀元前660年2月11日であり、現在、これをもとに2月11日を建国記念の日と定められています。
現実的な神武の即位は、専門の学者によれば、藤貞幹の紀元前60年を始め寺沢薫の3世紀とする様々な意見がありますが、およそ弥生時代と考えられているようです。
ですから、布都御魂剣は、弥生時代の神剣とするのが妥当であり、弥生時代の遺跡である平原1号墳から出土した素環頭太刀に近いと私は思います。弥生時代の素環頭太刀は、北部九州の出土例が顕著です。
神武の出発地について、一般的には、南九州、宮崎などの日向(ひゅうが)としますが、弥生時代の素環頭太刀の出土が顕著な北部九州と考えるのが最も妥当であり、私は北部九州の糸島の日向(ひなた)と考えています。
さて、先日の古代史の研究会では、この石上神宮の神剣について、私の考えとも異なる異色の発表がありましたので、動画にまとめてアップしました。
ご興味があれば、ご覧ください。


