2021年は前年に続いてコロナに明け暮れた。一時は1日に2万人を越える新規感染者を出しながらも東京五輪を強行した菅政権は、安倍政権と同様、コロナ禍に対する有効な手立てを打ち出せないまま迷走を繰り返した挙げ句、9月末に退陣に追い込まれた。皮肉なことに後を引き継いだ岸田政権が誕生する頃には、日本国内の新規感染者の数は一気に減少に転じ、2021年の終盤にはコロナの直接の脅威は一頃に比べるとかなり低下した感があるが、海外では今まさにオミクロン変異種が猛威を奮っていることもあり、まだまだ予断を許さない状況が続いている。
ところが、収束とまではいかないにしても、コロナの危機的な状況がひとまず落ち着いてくると、そこには決してバラ色とは言えない日本や世界の現実が待っている。
コロナ後の世界はどのようなものになり、その世界を生き抜く上で、何が鍵となるのだろうか。
今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は中国の武漢から感染拡大が始まったとされるが、その一方で、コロナの感染爆発のような国家規模の危機に対する対応能力という意味では、必要に応じて政府が権威主義的な権力を行使できる中国が、西側先進国と比べていち早くコロナの抑え込みに成功したことが世界の注目を集めた。新型コロナ流行の原因を作ったとされる中国を褒める気にならない気持ちはわかるが、中国のコロナ対策の成功は、民主主義の危機が叫ばれて久しい欧米の民主主義陣営にとって実はとてもショッキングな出来事だった。
一方、中国の権威主義に対して民主主義陣営の盟主たるアメリカは、日本とは比べものにならないほどの大規模なコロナの流行にのたうち回る中、鎮静効果のあるオピオイド系麻薬の過剰摂取による死者の数が年間10万人を越えたことが報道されている。また、アメリカでは同時に、医療用ではなくレクリエーション目的での大麻利用を合法化する州も日一日と増えるなど、特に白人の間で麻薬常習者の数が年々増えていることが報告されている。
これはコロナに限ったことではないが、今回のようにまともに直視するのが辛い艱難辛苦を度々経験させられ、底知れぬ不安ややるかたない不満を覚えた時、人は強い権威主義的な政府に頼りたくなったり、オピオイドや大麻に代表される麻薬に逃避したくなる。かつてSNSでそうした不安層・不満層の取り込みに成功しビジネスで大成功をおさめながら、民主主義の破壊者として政治的な批判に晒されたフェイスブックが、社名を「メタ」に変更し、次なるビジネスチャンスを仮想現実のメタバースに見出していることは、決して偶然ではないだろう。
今世界には「権威主義対民主主義」とほぼ平行する形で、「ユニバース対メタバース」のせめぎ合いが起きているのではないか。それはコロナが流行するかなり前から社会の底流を流れていた対立軸だが、コロナによってその対立軸がより顕著になったと言えるだろう。
実際に世界の政治状況を見ても、アメリカのトランプ現象見るまでもなく、自由主義陣営ではほぼ例外なく権威主義的な主張を掲げる勢力が支持を拡げている。そしてそのほとんどすべてがポピュリズム(大衆迎合主義)的な主張やスタイルを採用し、SNSを支持拡大の最も有効なツールとして利用していることを見ても、彼らがどのような戦略に基づき、どのような人々を標的に勢力の拡大を図ろうとしているかを如実に物語っている。そして、この点については決して日本も例外ではないことは、昨今の選挙でも実証済みだ。
ますます権威主義と大衆迎合主義への傾斜と、麻薬やメタバース的仮想現実への取り込みが横行するコロナ後の世界において、そうしたものにかすめ取られずに生き抜くために、われわれは何をしなければならないか。
今年最後の5金スペシャルは、人々の不安や不満に付け入る形で忍び寄ってくる権威主義や大衆迎合主義に騙されないためのキーワードが「仲間」にあるという立場から、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、2021年を総括し2022年を展望する。
①
17:00〜
この2年間、コロナ以降、何が変わり、何が変わらなかったのか?
宮台
たぶん日本人の自意識が変わった。
日本は劣等な国であり、日本人には劣等性が刻印されている。
それが自覚されたのではないか。
それまでは「日本すげえ」という方々がウヨウヨ湧いていた。
本屋には「日本すげえ」系の本がたくさん並んでいた。
それがいかに恥晒しなことなのかという自覚ぐらいは進んだのかなと思う。
背後にあるのは、ヨーイドンのコロナ対策で圧倒的に負けたということがある。
これはファクターX問題で東アジアは全体的に欧米の30分の1〜100分の1という感染率死亡率のオーダーだったけれど、東アジアだけに限れば、人口あたり日本は中国の40倍、台湾の100倍、韓国の3倍、人が死んでいる。
圧倒的なコロナ敗戦。
コロナ敗戦の理由はgovernability、「統治能力のなさ」。
「統治能力のなさ」と言えば、当時の太平洋戦争の敗戦の理由と同じである。
それはセクショナリズム、あるいは沈みかけた船の座席争い。
それゆえに全く合理性のない戦略を連発しまくって、死んだ人の9割以上が餓死とマラリア死みたいな作戦だった。
それで極東軍事裁判で永久戦犯として尋問されるや「内心忸怩たる思いはあったが、空気に抗えなかった」。
ほとんど同じことが繰り返されている。
僕にとって学びだったのは、殊、世界ひろしといえども、日本だけは憲法を変えても法律を変えても、人が、あるいは、人の性能が上がらない限りは、同じことを永久に繰り返すという、この法則がわかったということだ。
神保
日本の無策ぶりという話では、政権がそれで二つ倒れている。
しかも一強と言われた政権、その資産を受け継いだ政権が倒れているので、それは自明だと思う。
本当の理由がわからないファクターXで日本は欧米に比べて感染者が少ない。
ここ数ヶ月、アジアでも韓国は感染者が増えていたのに日本は少ない日は東京が一桁だった。
コメンテーターたちは、手洗い、マスクをして人流を抑えたからだという話しか基本的にはしない。
児玉龍彦先生だけウイルス自戒説をちょっと言っていた。
宮台
一番有力だと思うのは、コロナ対策の中で「ワクチン接種に失敗した」から。
各国に比べて2ヶ月遅かった。免疫抗体は長く保つ。
神保
第五波のピークの段階で、日本人の大半はワクチンの抗体のレベルが高かったという説もある。
だけどアメリカやドイツなどに比べて、日本が感染者数だけ良いために「日本がコロナ対策に失敗した」ということをちゃんと見ていない人たちからすると、「失敗なんかしていない」という言説が出始めている。
宮台
頭が悪い人は放っておいて良いと思う。
そういう人たちは横に置いて、本当のことを伝えていくことが大事。
神保
二つの政権が倒れた。安倍一強。
森友、加計、桜を見る会と出てきたが、野党の支持が伸びているわけでもなかったので、
ずっと「安倍一強」「官邸主導」を我々はずっと議論してきた。
「内閣人事局」という幹部の人事権を手中にしただけでなく、内閣府、内閣官房の人員から何から何まで官邸に権限が集中した結果、簡単には揺るがないぞと、少なくとも2年前は思っていた。
一応安倍さんは体調不良が辞任の理由。菅さんは...
宮台
「コロナ対策に専念するため」だった。
神保
それは「総裁選に再選するための活動をしていると、コロナ対策に専念できない」という訳のわからない理屈。
辞めた理由は、我々は番組で「あれは降ろされたんだ」と「党内の派閥力学で降ろされた」、ある意味で「クーデターに失敗したのだ」ということを申し上げた。
「安倍一強」という見方は間違っていたのか?
コロナ対策もダメだった。しかも簡単に倒れた。どう考えるか?
宮台
何事も前提というものがある。
「安倍一強」「官邸主導」など、現象が起こったとして、現象を支えている前提を調べる必要がある。
それはもう1992年から30年の歴史があるといえる、「自民党の絶対得票率の低下」それに伴う「
都市浮動票(無党派層)」を巡る集票争いにシフトしていく。そこにインターネット化が20〜25年前から急速に進んだということがある。「インターネット世論」を配慮する必要があるということが出てきた。
さらにもっと長い長い歴史が背景にあるのだが、日本はまず地域が空洞化して、法則的に家族が空洞化して、法則的に個人が空洞化して、三島由紀夫がいう「空っぽな状態」になっていく。
そうすると、まさにフィルターバブル、あるいは「見たいものしか見ない、見たくないものは見ない」そういう感受性でメディアに接触していくことになる。一方で家族で一台のテレビを見るということがなくなるし、個人に分断された人たちが寂しかったり孤独だったり鬱屈していたりする自分の感情的な埋め合わせのために報道の情報さえ使っていくようになるという、こういう大きな流れというのも実はある。こうした流れは日本だけでなくインターネット以降の25年間くらいは、多かれ少なかれどこの社会でも、中国を含めても進んできた。
そういう中で、議員さんたちは落ちればただの人だから、集票するために合理的な行動をしようとする。その時に安倍晋三が、ある種の自民党の新しい岩盤として、カッコ付きだけれども”右翼層”というものを固めた。
もう一つ重要なことは「政治主導」というのは、政治学的摂理からいえば、政治家の資質、能力に依存する。当たり前のことだ。
政治家が無能力であれば無能力な官僚ばかりを選び、政治行政のパフォーマンスは全体として滅茶苦茶に落ちる。なので政治主導の前提条件は「政治家の高い民度」で、政治家の高い民度の前提は「有権者の高い民度」あるいは「政治家の育つ土壌」の豊かさなのである。その両方とも「有権者の民度」も「政治家の育つ土壌」も実は同じもので、要するに人々の「民度」ということだ。それがどんどん下がってきている。
僕はそれを「感情的能力」と言っている。それがどんどん下がってきている。
段階的に非常に長い流れがあって、その中で「安倍一強」という現象が出てきている。なので、「安倍が悪い」「菅が悪い」と言っている人たちがいるのは、本当に呑気だなぁと。そのレベルでオツムを回しているのだったら人生、楽だよなぁと思う。
神保
日本社会の感情がどんどん劣化している原因は、そもそも何なのか?
宮台
日本人に倫理がないからだ。
社会システム理論の立場では、倫理というのは、貫徹への思考。
貫徹への思考は、学習への思考である。
自分にとって都合が悪ければ今までの主張を変えて、都合のいい方にするとか、実際にそれによって考え方が変わるというのは学習learningへの志向orientationだ。
それに対して自分が不利になろうが同じ立場、主張を繰り返す、価値を貫徹するのが、実は倫理なのだ。
日本は4〜500年のオーダーでそういう意味でのpersistが非常に薄い。それは根本的な問題なのだが、柳田國男が言ったように、「日本には社会がない」つまり「公はないけど世間はあった」
ヴィトゲンシュタイン的な概念なんだけど、誰もが自分と同じように生きているという確信なのだ。地域があって地域に縛られて、家族があって家族に縛られて、場合によっては終身雇用的な会社があってそれに縛られてみたいな。ちなみにそういう会社は昭和以降なのだが、誰もがどこでも同じように生活していると思えるから、”袖擦り合うも多生の縁”とか”お互い様”のように、全くの赤の他人なんだけれども、全く赤の他人として意識しない。そういう在り方があった。
そういう意味で言うと、空っぽなんだけれど、周りに縛られるわけである。
神保
それが、よく言われる「空気の支配」というもの。
島国であり、なおかつ農耕ばかりであったということから来る同質性というもの。
宮台
そう。現象としては一夜にして、「天皇主義者」から「民主主義者」に変わるし、一夜にして「フェミニスト」になったり「LGBT主義者」になったりする。
それは一見、価値と同じような作用を果たしているけれども、若い人たちが”意識高い系”と言っているように、それは本当は倫理ではなく、ポジション取りだろ?という風に見極められている。
神保
よく言えば、それが学習。良く言えば。
宮台
その通り。一番になるために必要な学習を表明しているわけである。
それを三島由紀夫は、「一番病」と表現していた。
神保
『鬼滅の刃』にキーワードとして出てきた「だから何だ?」これだ。貫徹というのは。
宮台
「そんなことはどうでもいい」というのが僕の口癖。
どうでも良いことはどうでも良い。それが貫徹の思考にとっては非常に重要。
かつて世間は一枚岩だったが、今申し上げたこの4、50年の地域や家族の空洞化で、誰もが同じように生きているなんて誰も思っていないわけである。得体の知れない奴がウヨウヨしていると思っている。そうすると当然、柳田の言うように「世間は機能していない」。そうすると人々はamorph形がないものになっていく。
その象徴が、官邸官僚、それを使っている政治家たちの浅ましくもさもしい姿だ。
にも関わらず、それに「反吐が出ずに」支持している国民の浅ましさ、さもしさということだと思う。
神保
「だから何だ」というのは、英語では”So what?"という言葉で、本当に良く使う。
特に外国人は日本人と話していると、そのセリフを多発しなければいけなくなる。
それは、大元の考えを変える理由になっていないよね?ということを意味している。
宮台
僕が20年くらい前から良く書いているように、これって例えば三島由紀夫とか丸山眞男にとって、日本人の劣等性だった。僕もそういうふうに言っている。これは間違いなく日本人の劣等性だ。
何を20年間言ってきたかというと、インターネットが25、6年前に急に一般化してから以降、日本人的劣等性と同じ機能を果たす出来事が、インターネットが広がったところから順次世界に出てきていて、いわゆる日本は課題先進国だったんだなと。
神保
劣等先進国?
宮台
そう。日本人の劣等性ゆえに、世界のある種の流れが最も早く現れる場所だったということで、逆にこの日本のダメぶりを分析をして上手い処方箋を出せれば、実は世界にも通用することになるというのが僕の考え。
神保
それは皮肉じゃなくて。
宮台
皮肉ではなく、本気で言っている。
神保
劣等先進国ですね。
宮台
僕はデュルケミアンに近い社会学者、あるいは社会学主義者だが、例えば人類学者であり尚且つ無政府主義者でもあるデヴィッド・グレーバーとか、自由主義者としられるノーム・チョムスキー、言語学者でありアクティビストである僕のティーンエイジャーの頃からのアイドルだった人だが、この3人がイデオロギー的な立場も政治的な履歴も全然違うのに同じ処方箋を出している。
何に対する同じ処方箋なのかというと、「民主制を支えるの必要な感情の豊かさが失われていくこと」に対する同じ処方箋を出している。
みなさん、同じ問題を見ているということは確かなのだ。
神保
その処方箋とは、一言で言うとどういう?
宮台
それは、わかりやすく言うと中国との闘いなのだ。
中国というのは、権威主義。
しかも厳しい選抜と実績のシステムの中で、民主集中制的(by共産党)にトップを選んでくる。
歴代のトップの優劣は議論されるけど、安倍や菅や岸田のオツムのレベルとは桁が違う。
例えば中国の古典については暗唱するほど熟知している。三国志とか史記は熟知している。
マルクスの文献よりもむしろそちらからさまざまな教訓を引き出す力がある人間たちが上にいるわけである。
そういう人間たちが「政治以外は様々なことが全て自由だ」「政治だけは俺たちに任せろ」というのが権威主義だとすると、これはユヴァル・ノア・ハラリが言っているように、場合によっては、コロナ対策に物凄いパフォーマンスを示せる。あるいは今後、メタバース問題https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021092800002.htmlとして僕は最近喋っているが、「インターネットのおかげで皆さんはユニバースを全く共有しなくなっていく」ということが起こっていくという時にも、おそらく中国は権威主義によって非常に適切な統治がなされ得ると思うが、さて、それに対して民主主義というのはそうではない。
人々が劣化すると民主主義の決定はデタラメになる。
とりわけ既得権益者が、自分達が既得権益に固執した結果がどうなるかをちゃんと分かっていたとしても”頰被りして引き回す”ということが起こっていく。”強者による引き回し”。
一つは気候変動問題などは典型。原発問題も典型だけれども、”雇用不安に怯える労働者という弱者”、これもまた民主制を引き回す。
日本で言えば、連合とそれに支持された野党勢力が典型である。
この”強者と弱者による民主制の引き回し”によって、中国ができるような妥当なコロナ対策とか、原発対策とか、気候変動対策とかは少なくとも日本では、かなりの未来に渡って決定を出すことができないということになる。
そういう問題が他の国にもどんどん生じるようになるから、じゃあどうするか?というと、「民主主義を回すサイズを小さくしろ」というのが、最後の処方箋になるのである。
神保
この規模のままでは、民主主義は中国に太刀打ちできないと。
宮台
そう。トンマが引き回すことによって、ぐちゃぐちゃになって負けていくということだ。
神保
大衆迎合主義的なポピュリズムにやられてしまうということ。
もっと小さく、顔の見える範囲内でやらないと本来の民主主義、ルソーが言うような民主主義というのは実際は機能しないということ。しかも「中国に負けたくなければ」という前提がつく。
神保
さっきの官邸官僚の話だけど、末期の安倍政権の方で...
マル撃を見ている方は耳にタコができるほど効いていると思うが、民主党政権の時に記者会見というのはオープン化された。安倍政権はとにかくメディア対策をあらゆる面で熱心にやる政権だったが、安倍政権ができても、さすがにオープン化はやめられないと。本当は神保とかあの辺りが来てくれなければ外国人メディアの記者は来ても良いと思っているかも知れないけれど、その線の引き方は難しい。だから、結局オープン化はやめなかったけれども、「質問はさせない」ということで7年間通した。そして事前質問を出させていた。「内閣記者会」では、安倍さんに擦り寄って軍門に下っている記者が記者会に何人かいるが、残念なことにいくつかの外国の報道機関の外国人記者も、事前質問を出していた。
ただ「モリカケ」があって「桜」があって、だんだん弱って、コロナがいよいよ来て、「内閣記者会」だけそういうことをやっているということへの批判に耐えられなくなって、記者クラブ以外のフリーも当て始めた。
僕が質問を出来始めたのは、最後の4ヶ月だった。
僕は事前に質問を提出していないから、その場で総理が考えた答えを出すしかない。
それ以外は官僚が答えを事前に考えたものを総理が読む。
安部は読んでいるだけだが身振り手振りで自分の言葉のように見せる演技派で、岸田も実は演技派。
ところが菅は、棒読みになってしまう。そこで総理答弁の原稿は誰が書いたのかと注目された。
僕は菅総理にいくつか重要な質問をした。
この質問はNHKはフリーの質問は中継しないので電波には乗っていない。
「なぜ病床が増えないのか?」「なぜpcr検査をしないのか?」などをあの手この手で聞いたが、「なぜ病床が増えないのか?」という質問の時に、総理が、”国民皆保険の見直し”について触れた。
※ 菅総理会見 (2021年1月13日)最終盤 神保さんの質問
https://www.youtube.com/watch?v=0KKfkfFYymw&t=2171s
日本の総理が国民皆保険に言及するというのは大変なことだ。次の日の新聞一面に出ないといけないような話だ。
ところが、そのやり取りは、ほぼ完全に黙殺された。
永田町にとっては、記者にとっても官僚にとっても政治家にとっても、これは「神保があの場で聞いて、総理があの場で答えているだけなので、何の意味もないのだ」と言う。
事前質問を提出して答弁を官僚が作文したものは総理の考えではないじゃないか?と普通は思うが、逆なのだ。それは、政府内で全部調整が済んでいることなので、これ以外は意味がないということ。
つまり、実は、「一強」と言いながら、結局、99%仕切っていたのは全て官僚である。
でも「官邸が仕切っていた」というappearanceで「得をする官僚たち」がいる。
「官邸官僚」である。
官僚支配というのは、実は全然変わっていなかったのではないか。
ところが、コロナになった時にその官僚支配では全く対応できなかった。
コロナ対策というのは、国民に不便益とか無理をお願いしなければならない。選挙で選ばれていない官僚にはそれができない。だとすると、「安部一強」「官邸主導」、「内閣人事権」があるからとは言うが、何万件も決定されている中の一件「ふるさと納税」に逆らった官僚は飛ばしたと。しかし、他の人事は官僚が決めたものがそのまま通っている。
携帯の料金を下げるのに抵抗した奴は飛ばしたり、前川喜平さんを追跡して読売に売ったりということはあったが、実は、官僚とメディアが握っていて、政治家はただ神輿に担がれている。だから日本は変わらない。
宮台
短く言えば、国民は情報の非対称性、情報不足の中に置かれて、民主制の一端を委ねられているという状況なのだ。情報の非対称性というのは、官僚と政治家の間にも存在して、官僚の方が沢山情報をもっている。政治家は情報を持たないが、人事権、予算権をもっている。そういうバーター取引の中である種のバランスが成り立っている。ということは実は政治家がちゃんとした情報を知らない。
コロナ対策を考える場合に、なぜ厚労省の医系技官が決定におけるイニシアチブ、主導権をとれるのかということを考えるときに非常に重要だ。
神保さんが仰った、僕の汚い言葉で言えば、なぜマスメディアが政治家の臭いケツを舐めてでも言うなりのことを書くと、国民にとってはどんどん情報の非対称性が拡大されてしまうかということ。このもとで選挙に、世論調査に応じろと言われているという状況だから、当然のことながら、それは政権にとって官僚にとって都合のいい世論調査しか出ないようになっていて、それが全体として沈みかけた船の座席争い以外のゲームを始められない根本的な理由だ。なのでメカニズムは非常に単純なこと。簡単なメカニズムだから変えられないのである。
だから日本は25年間、どこよりも経済指標も社会指標も悪いが、これからはもっともっと悪くなっていく。
神保
実際に日本を誰が支配しているのかというのは、メディアと癒着関係にある実は官僚機構であるという実態が変わらないということになると、例えば民主党政権ができる直前に、政権交代がほぼ確実になった段階で、突然、間もなく政権を取るだろう野党の党首の秘書が逮捕された。「西松、及び、陸山会事件」だ。
マル撃では、春名さんを呼んで「ロッキード事件」を取り上げたときに、”巨悪眠らせず”と検察が大ヒーローになって特捜部長だった吉永さんが検事総長にまで上り詰めた事件。総理が逮捕された疑獄史に残る事件。春名さんの粘り強いアメリカの公文書館での調査で、”田中角栄はアメリカにとって危険人物であった”と。対中独自外交、中東独自外交、アメリカへの依存を減らして、日ソ国交正常化を行った田中角栄を危険視した。
実際には、アメリカの議会でコーチャン発言が出て、アメリカの証券取引監視委員会が調査をした報告書の内容を堀田力(東京地検特捜部検事)に渡したが、実は前半の半分しか渡していなかった。堀田はホクホク顔で帰ってきて「これで田中を挙げられるぞ」と。しかし、後半部分には、角栄のもらった5億円よりもはるかに大きい金額をP3Cの導入をめぐってもらった児玉誉士夫の名前などがあった。
宮台
70億円以上。
神保
はい。だけどそれを出すと、アメリカにも困る人が一杯いる。日本にも困る人が一杯いる。だけど児玉誉士夫は(アメリカにとって)危険人物ではない。これからも使いでがある人物だ。右翼の大物、児玉誉士夫の等々力の自宅にポルノ男優の男がセスナ機で突っ込んだという事件もあった。
調査報告書には児玉誉士夫の名前もあったのに、田中角栄を狙い撃ちして失脚させるためにその情報をもらった。でも検察にしてみれば、お手柄として、十分だったのだ。
検察、警察のメンタリティーというのは、4億をこえる詐欺(浄水設備販売会社・中林正善の融資詐欺事件)を立件するよりも、最年少の市長(藤井浩人・岐阜県美濃加茂市長)30万円の汚職をどうしてもあげたい。
角栄の逮捕は、最大のお手柄になるということで飛びついた。
検察が政治に対して危険人物をあげて、主導権を官僚がもっていく。メディアがそこにくっついているから、国民は喜んで溜飲を下げるということを今でも繰り返している。
そこから抜け出すシナリオというのが見えない。
宮台
そんなに簡単に見えてもらっては困るのだ。いま神保さんがお話しされたことの大事なことは、日本には大ボスがいないということだ。例えば、検察トップ検事総長のような存在が、何か特定の理念やイデオロギーや価値観をもって、さまざまなシナリオを一手に描いているんであれば、その方が、僕らにとっては都合が良いのだ。だってそいつをぶっ殺してしまえば良いのだから。
日本の場合は、昔から、アメリカが太平洋戦争が始まって日本を分析して、すぐに問題になったことだけど、日本は”どこに大ボスがいるのか分からない。” ラスボスが何なのかもわからない。天皇陛下はラスボスでもなんでもなかった。なので、極東国際軍事裁判における大ボスだと思う奴を捕まえて聞くと、「いや、内心忸怩たる思いはあったが、空気には抗えなかった」という。は?という感じ。
これが三島も注目していた日本人の劣等性そのものなのだ。
何が問題か? 路線を変えられないのだ。
大ボスをぶっ殺して、正義のボスを立てればいい。そういうシナリオが使えないのだ。
対戦ゲームなどは必ずラスボスがいる。ラスボスがいないゲームというのは、恐ろしい。
神保
それはなんでなのか?
宮台
それは地政学的問題だと一般には理解すべきだと思う。地政学的問題ゆえに倫理がない。
150年間の期間を除いてはジェノサイドがなかったから。
神保
悲劇の共有ができていないということ。
宮台
僕たちは昔、9割くらい森林で覆われていて点在する小さな集積平野に縄文人が住んでいるという状態だった。なので狩猟採取だったのに定住だった。狩猟採取なのに定住というのは非常に珍しい生活様式。
それ故に、狩場を争って殺し合うということをしなくて済んだ。殺し合いの中で悲劇を共有すれば共同体存続機関は存続できるがそれが縄文の時代になかった。春秋戦国時代に弥生の人たちが渡来人として入ってくる。戦国時代から逃げてきた。最初はこの人たちと縄文の人たちの間でジェノサイドはあったが、やがて婚姻によって混ざり合って、縄文的なものに飲み込まれていった。なので僕たちは相変わらず悲劇を共有しておらず、共同体存続機関はない。
話は飛んで、田中角栄の日本列島改造。イコール、バイパス化なのである。新幹線化よりもモータリゼーション化なのだ。これに諸手を挙げて賛成して以降、70、80年代以降、日本の地域がボロボロに空洞化していく。ヨーロッパなら必ずそこで空洞化が起こる。70、80年代にスローフード、スローライフ運動が起こった。日本にはそれに似たものは1mmも起こらなかった。
ただ学習していった。もう時代は違う。モータリゼーションの時代、地元商店じゃない、ロードサイドストアの時代なんだと。この劣等性が相当、古いルーツに基づいているということを理解することが大切。
一朝一夕にいい政治家が出て来れば、民主制に任せれば上手くいくということは絶対にあり得ない。
(以下略)
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