似ているなぁ…
やっぱり、似ているなぁ…
と思ってしまうのが、
ユエン・イーピン監督の『蛇拳』や『酔拳』の
あのチャーミングなカンフーマスター。
脳ある鷹は爪を隠す、
飄々とした佇まい、
見窄らしい身形に赤鼻の老師、
ユエン・シャオティエン(袁 小田)さん。
イーピン監督の実のお父上ですね。


ね?もう、見分けがつかないほど、
似てるでしょ?
今日のお題の主人公は、もちろん、中村哲先生なのですが、
当ブログでも時々書いてきましたように、
私は、熱烈なカンフーファンなのです。
当代のカンフーマスターの中で最高だと思うのは、
武当道教功夫学院の学部長 Zhong Xueyong 師 ですが、
カンフー映画人の中で最も好きなのが、
このユエン・シャオティエン爺さんなのであります。
ということで、中村哲先生とシャオティエン爺さんの糸を
二本どりにして編み編みしながら、寄り道します。
…というのも、
意外にも、シャオティエン爺さんと中村哲さんは、
風貌が似ているというだけではなく、
彼らの人生は、
歴史を巡って、それほど遠くない地下水脈で
繋がっているように感じるのです。
火野葦平という作家を挟んで…
まあ、私の妄想の中では、ですが f^_^;
彼らは、ルックスもそうだけれど、
火野葦平が愛した〈河童〉のよう。
シャオティエン爺さんも、中村哲先生も、
地球の底を流れる綺麗な水脈を泳ぎ回る河童の神で、
日本でヒョッコリ、中国でヒョッコリ顔を出し、
自分も汗びっしょりになりながら、
戦争の側にいる乾いた人間に、水をかけてやることを喜びとする、
そういう、鯔背で優しい河童なんです。
中村哲先生の 母方の叔父(母上の兄)は、
「麦と兵隊」「花と竜」などで有名な芥川賞作家・火野葦平。
火野葦平は、日中戦争に出征し、
軍の方針の戦意高揚、占領地の精神教育などに徴用された作家であり、
戦後は、戦争責任の批判を受けながら、自省の中で作品を書き続け、
1960年〈安保〉成立の直後、自殺してしまいました。
人命を救う医師としての中村哲先生の生き方に、
火野葦平が、どれほどの影響を与えたのかは解りませんが、
戦争の真の姿に向き合った作家の作品は、
後々まで広く多くの人々に影響を与えたのですから、
作家の魂から発する波紋の中心に近い場所にいて、
終戦の翌年に生まれた少年の心を
揺さぶらないはずはないでしょう。
一方、
ユエン・シャオティエンさんは、
1912年、北京生まれ。
京劇の家柄で、幼少から、北派拳法(内家拳)を学びました。
つまり、先祖は道教の僧、あるいは寺に由縁のある者だったのでしょう。
シャオティエンさんは、火野葦平とは同年代で、
新生国家・中華民国が誕生するも軍閥が乱立し分裂状態にある中国で、
伝統武芸の腕を磨いていた青年でした。
日本軍が、大東亜、日満支の新秩序という欺瞞的な野望の元に、
占領を狙う中国で、大いに迷惑を被った一民間人だったのです。
シャオティエンさんが生まれたこの年は、
ちょうど、辛亥革命によって、
清の最後の皇帝・愛新覚羅溥儀が退位した年です。
シャオティエンさんは、
あの、映画『ラストエンペラー』の時代に生まれ、
激動の中国近代を演劇人として生きた人なんですね。
第一次世界大戦中の1915年、
日本は、山東省の利権などのドイツ権益の継承を一番の狙いとした
21か条を、厚かましくも、中華民国に要求。
1931年、柳条湖事件に端を発して満洲事変が勃発。
日本軍は満洲全土を占領し、
溥儀を担いで皇帝に就けた傀儡国家・満洲国を建国。
1937年、盧溝橋事件が発生。
そして、日本と中国は全面戦争となったその年、
シャオティエンさんは、
イギリスの植民地として中立地帯だった香港へと、移住します。
香港は中国各地から戦闘を避ける避難民が殺到していたんですね。
おそらく、シャオティエンさんも避難民の一人だったのでしょう。
シャオティエンさんは、北京語で演じる京劇から、
香港で広東語で演じる粵劇(エツゲキ)に転向し、
粵劇の四天王の一人、シットゴクシン(薛覺先)の一座の
武丑(武術を操る道化役)の立役者となりました。
しかし、香港も1942から終戦の45年までの3年8ヶ月、
日本軍によって占領されてしまいます。
日本軍の統治下で、イギリスが香港に公用語として定めていた英語を禁止し、
日本語教育を強制、擬似紙幣(軍票)も発行、慰安所も設置しました。
この紙幣は、終戦後、イギリス軍が使用を禁じ、無価値に成ってしまいます。
同時代の京劇の世界を描いた映画『さらば、わが愛/覇王別姫』
にも描かれたような日本軍による演劇人への狼藉もあったことでしょう。
大戦後、日本軍が去った後も、
蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党の内戦が続き、
1949年には共産党は北京を占領。
毛沢東を首席、周恩来を首相として中華人民共和国を建国しました。
シャオティエンさんは、大戦後は、香港映画界に進み、
やがて、香港映画界が世界に誇るカンフー映画の
レジェンドの一人となっていくのです。
香港映画は、香港出身映画人による広東語映画界と、
上海からきた映画人による北京語映画界が競いながら発展していきますが、
シャオティエンさんは、粵劇の武技を基とした広東映画、
少数民族ミャオ族の少林寺の達人を描いた映画で、
香港映画界初のアクション監督になります。
『少林寺三十六房』の監督としても有名な
ラウ・カーリョン(劉 家良)らと共に、
実在のカンフーの達人を描いた大ヒットカンフー映画、
『黄飛鴻(ウォン・フェイホン)』シリーズを作り上げるのです。
そして、この黄飛鴻(ウォン・フェイホン)こそが、
広東の南派少林拳(洪家拳)の達人、ジャッキー・チェンが演じた
『ドランクモンキー 酔拳』の主人公というわけです。
カンフー映画黎明期の役者というのは、
「京劇(北京で発展した)」や粤劇(広東、香港、マカオで発展した)などの
中国の古典演劇の出身者で、
武芸、曲芸、歌舞、あらゆる妙技の素地を持っているんですね。
あのブルース・リーの父母は、粤劇の役者でしたし、
映画にもなった、 60年代、主に貧困家庭の子供たちを
全寮制で引き取って京劇役者に育てる中国戯劇学院(春秋戯劇学校)の
「七小福」と呼ばれた京劇子役のエリート集団は、
のちに香港アクション映画の立役者となっていきました。
「七小福」のメンバーは、
ジャッキー・チェン(当時の芸名は元楼)、
サモ・ハン(当時の芸名は元龍)、
ユン・ピョウ(元彪)のほか、
映画界一の回転技吹き替えスタント王のユン・ワー(元華)、
ユン・ケイ(元奎)、ユン・モウ(元武)、ユン・タイ(元泰)、
「カンフーハッスル」で大家夫婦を演じていたユン・ワー&ユン・チウ。
そして、カンフー武闘派とは無縁に思える、
あの『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』『ラスト・エンペラー』の
ジョン・ローンも「七小福」の一人でした。
さて、火野葦平については、
ドキュメンタリー番組、NHKのETV特集で⬇︎
2013年12月14日 戦場で書く~作家・火野葦平の戦争
そして、ペシャワール会代表としての
中村哲先生の活動については、
あまりにも有名ですが、
改めて、アフガニスタン人と共に乾いた大地に用水路を拓き、
緑を蘇らせ、飢餓と貧困に立ち向かう姿をこちら⬇︎から。
この日本記者クラブの会見⬇︎では、
アフガニスタンという国が、どのような国なのかが、
よく解ります。
そして、現代の日本のような国に暮らしていると、
近代的な中央集権国家というものの
息苦しさを感じずに入られません。
そして、中村哲先生は、
自衛隊の海外派遣について、
国会で、参考人として答弁しているんですよね。
ぜひ、全文は、こちらから⬇︎
第170回国会 外交防衛委員会 第4号
2008年11月5日(水曜日)より
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/170/0059/17011050059004c.html
・私が注目したポイントはこちら⬇︎です。
佐藤正久議員の質問、
「自衛隊が治安維持ではなく民生支援という形で現地に入るということについて、どういう要領であれば非常に現地の方々とマッチングするのか、絶対マッチングしないとお思いなのか、その辺りをお聞かせ願いたい」
これに対し、中村哲さんは、かなり強い言葉で、次のように答えます。
「自衛隊派遣によって治安はかえって悪化するということは断言したいと思います。これは、米軍、NATO軍も治安改善ということを標榜いたしましてこの六年間活動を続けた結末が今だ。これ以上日本が、軍服を着た自衛隊が中に入っていくと、これは日本国民にとってためにならないことが起こるであろうというのは、私は予言者ではありませんけれども断言いたします。敵意が日本に向いて、復興、せっかくのJICAの人々がこれだけ危険な中で活動していることがかえって駄目になっていくということは言えると思います。
してはならないということは、これは国連がしようとアメリカがしようとNATOがしようと、人殺しをしてはいけない、人殺し部隊を送ってはいけない、軍隊と名前の付くものを送ってはいけない、これが復興のかなめの一つではないかと私は信じております。そのことは変わりません。」
・それから、子供時代に沖縄戦の地獄を経験したという、
現在は引退なさっている
沖縄読谷村出身の山内徳信・元議員の質問と、
中村先生の答弁! ⬇︎
今こそもう一度、ぜひ聞いておくべきだと思います。
○山内徳信君 本日は、参考人の皆さん方には、長時間になりまして大変お疲れのうところでございますが、私の持ち時間、二十八分でございます。どうぞ最後まで、皆さん方のお話を私たちは今後に生かしていきたいという思いで勉強させていただきたいと思います。
私は、社民党・護憲連合の山内徳信であります。特に遠方から、この参議院の外交防衛委員会の参考人として、本当にお忙しい中を、飛行機を、国連機を乗り継いで来られたということを伺っておりまして、心から感謝を申し上げたいと思います。
沖縄県は、去る太平洋戦争の末期、日本国唯一の日米両軍による地上戦の死闘が繰り広げられた県であります。私は少年でございましたが、戦争の理不尽さと戦場の地獄を体験をした者の一人であります。したがいまして、中村さんのあの現地のお話、あの大干ばつ、あの子供たち、そして緑豊かな地域がしばらくすると砂漠化しておる、そして水路を開いていく、井戸を掘っていく、そういうお話を伺っておりますと、私は戦後三か所ぐらいの収容所に収容されていました。学校へ行かずに、夜になると、午前二時ごろ、小学校五年生でしたが、鉄条網の中から逃げて食料を探しに出かけていくんです。そして昼、米軍の基地の近く、陣地の近くまで行って、埋められた缶詰など、あるいはちり捨て場へ行って食えるのを集めて、また夜夜中、収容所にこっそり潜っていくと、そういう体験をした少年の日が思い起こされてなりません。
さて、沖縄県は、アジア太平洋地域の平和の構築を目指して沖縄平和賞を制定いたしました。平成十四年八月三十日、中村哲さんはペシャワール会の現地代表として初の沖縄平和賞に輝かれました。改めてこの場をお借りいたしまして心からお喜びを申し上げます。現地における筆舌に尽くし得ない御苦労に心から敬意を表し、今後の御奮闘を祈念申し上げ、以下数点についてお伺いしたいと存じます。
第一点目は、なぜテロが発生するのか、テロの発生要因の根源的な論議を私は公式の場で聞いたことがありません。真にテロをなくしていくために何が必要か、日本政府として何に力を入れるべきか、現地の生の声をお聞きしたいと思います。これが第一点であります。よろしくお願いいたします。
○参考人(中村哲君) なぜテロが発生するか、これはいろんな考え方、見方があると思いますけれども、そもそもテロというのは何なのか。我々、赤穂四十七士を、飛躍するようでありますけれども、あれは明らかにテロリスト、これをテロリストと呼ぶ人は日本人の中にいないと思います。明治維新の志士たちをテロリストと呼ぶ人はいないと思います。
元々テロというのは、話が抽象的になりますけれども、弱い人が強い人に向かって用いる最終手段であります。窮鼠かえって猫をかむ、それがテロというものではないかと思います。
我々、テロリズム、テロリズムと言いますけれども、赤穂浪士をテロリストと呼ぶのも嫌だし、西郷隆盛をテロリストと言うのも嫌なんですね。それを考えますと、テロは、テロリズムはいいとは言いませんけれども、弱い者が追い詰められたときに使う最終手段。現に浅沼書記長がテロリストにやられたけれども、あれはちょっと違いますけれども、それを考えますと、弱い者を追い詰めないということじゃないかと思います。
具体的には、アフガニスタンにおきましては貧困の退治。みんなが食えない状態、食えないとみんな悲壮になって、フランス革命もロシア革命も、食えない、追い詰められた状態で爆発的に発生した。今アフガニスタンはまさにその状態でありまして、フランス革命前夜に近い。私が訴えたいのは、こういった状態をまず解消して、まともに人が食えるようにしてほしいと、こういうことであります。これがテロをなくす一番の要因であります。
孫子の兵法にありますけれども、敵を決して追い詰めちゃいけない、逃げ道をつくって圧迫しなくちゃいけないという点から見ても、今の米軍の戦略はこれは大失脚。やはりこれは貧困の撲滅、これが中心に据えられないと、ある程度の武力行使というのはやむを得ないにしても、それを中心に据えないと永遠にテロはなくならないと私は思っております。
以上でございます。これは大きなテーマですので、話せば長くなるので御勘弁願います。
○山内徳信君 二点目は、日本政府は対テロ戦争の一環として新テロ特措法を延長し、引き続きインド洋上でアメリカ等多国籍の軍艦に無償給油を続けるため、法案の一部改正の提案がされ、今参議院外交防衛委員会で審議中であります。
アフガン戦争やイラク戦争を目の当たりにされている中村哲さんは、日本政府のやっておるインド洋における自衛艦による無償の燃料給油活動が国益であり、テロをなくするための国際貢献であると政府は強調されておりますが、中村さんの御見解を承りたいと思います。
○参考人(中村哲君) お答えします。
これは今まで述べてきたとおりでありまして、決して建設的なことにはならない。国のおきてまで破って戦争に協力するのかと言われても仕方がない。これは戦争ではないと言っても、だれも納得しないでしょう。日中戦争が満州事変だと言ったって、あれは事変であって戦争ではないと日本政府は当時言ってた。しかし、今ごろそんなこと言ったって、だれも信用しない。OEFが戦争ではないと言っても、これは対テロ戦争なんて自分から言っている。しかも報復戦争だということをアメリカが自分から言っている。それに協力すること自体が私は日本の戦後のおきてを破るものだというふうに思います。
簡単に憲法改正だのをそのためにするというのは本末転倒でありまして、戦争というのはそんなお花畑のようなものじゃない。現在の日本国憲法というのは、そういった私たちの御先祖様の血と汗によってできた一つの記念塔であります。それを簡単に漫画のような議論で変えちゃいけないと、私はそう思いますね。
これはやっぱり日本は日本としての使命がある。ちょっと目先の、先ほども言いましたけれども、目先の経済的利益だとか、あるいは政治的な利害だとかいうことで決めることではない。恐らくこの対テロ法案をめぐって、日本というのは決定的な分岐路に立っておるというふうに私は思っております。
私はあと二十年も三十年も生きませんけれども、自分の子供たちのことを心配する。そのときに責任が取れるのかと私は問いたいわけであります。単に憲法違反だとか九条がどうのこうのだとか解釈だとかよく分かりません。しかし、戦争は戦争だ、人殺しは人殺しだ。民法で言えば、アメリカが殺人者とすれば日本は殺人幇助罪に相当すると、私はかように思っております。
2013/6/11 山内徳信 参議院議員
「私が防衛大臣や外務大臣ならこうしたいというのがあるんです。
どうして、アメリカの上下両院やペンタゴンや国務省とぶつかって、
事故事件や地位協定問題をどうして訴えないんですか!」
「辺野古新基地建設は人殺しをする戦争目的の飛行場建設だ。
(米国の)海兵隊の使う基地は人殺しのためのものだ。」
「辺野古移設を断念しなければ
日本政府は民主主義国家でも文明国家でもない。野蛮国家だ。」
うわーーーっ‼️なんじゃこれ⁉️
この山内徳信さんの勇退を決めた、
議員として最後の期の国会質疑の動画⬆︎
今、ペーストして、アップして表示を確認したのに、
途端に、消されましたーーーー!
信じられない…
こうなれば、国会議事録検索です!
ここの⬇︎ 中段くらいにあります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/183/0059/18306110059008a.html