金大中とマイケルジャクソン ~「拉致事件」と「落下事故」暗殺計画   | ☆Dancing the Dream ☆

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韓国の大統領は、2013年より、現在、
軍事的独裁者・朴正煕(パク・チョンヒ ぼく・せいき)の娘、
女性大統領・朴 槿惠(パク・クネ)である。

原発推進。TPPへの参加表明。アメリカとの軍事同盟の強化。
企業は労働者を削減し、学生は借金をして大学を卒業しても就職できない。
朴正煕による「格差を広げる自由市場改革の再来」である。

1963年から1979年まで大統領であった独裁者・朴正煕は、
労働者のストライキや抗議行動をねじ伏せ、
韓国の大企業、財閥をてこにした輸出志向型工業化政策を行い、
日米による経済援助、技術援助を受けつつ、
極貧国・韓国を、急速な経済成長に導いた。

しかし、一方で、国民の民主化運動を徹底的に弾圧し、
拷問や政治犯の投獄などを行い、
また、対米関係を重視し、米国との軍事同盟によって、
ベトナム戦争においては、韓国軍を虐殺や戦争犯罪に関与させた。

朴正煕が蘇ったような、朴 槿惠
岸信介の亡霊がとり付いた安倍晋三
韓国と日本は、鏡写し、双児のようだ。


さて、
朴正煕の独裁政権時代、
民主化活動家の、のちに大統領となる金大中が、
日本を訪問中、
諜報機関(KCIA)によって拉致されるという
異様な事件が起きた。

これは、日本国内で発生し韓国政府が絡む、
日本の主権が侵害された事件として外交問題に発展した。

朴正煕は、1971年の大統領選挙で金大中に
僅差で勝利したが、
強力に民主回復を求める金大中は、
朴正煕にとって、危機感を感じさせるに十分な
脅威的存在であった。

朴正煕は、デモを鎮圧するため、より独裁色を強め、
非常戒厳令を発して、
憲法改正を強行し、維新憲法を制定した。
この間、国民の生活は、夜間外出禁止令などにより粛清され、
反政府運動は暴力的に弾圧された。

金大中は、この拉致事件の前に、
不審な自動車事故に遭っていた。
大型トラックが金大中の車に突っ込み、3人が死亡。
金大中は腰と股関節の障害を負ったのである。
この事件は、韓国政府の差し金によって、
KCIAが行った交通事故を装った暗殺工作であった。

戒厳令下、
金大中は、国外亡命を余儀なくされ、
日米を往復していた。
その亡命中日本で起こったのが、
金大中事件である。

1973年、東京都千代田区のホテルグランドパレスで拉致された
金大中事件の詳細を 
佐々淳行は次のように語る。


※中薗英助の『拉致-知られざる金大中事件』を原作とする
 阪本順治監督の日韓合同・映画『KT』(KTとは、金大中のイニシャル)では、
 金大中拉致暗殺計画に、日本の自衛隊内の秘密組織の関与が表されている。
※Far Eastern Economic Review誌は、朴正煕と関係の深かった
 町井久之(鄭建永(チョン・ゴンヨン)山口組系東声会会長)
 ホテルのフロア-をほとんどすべて借り切りKCIAに協力したと書いた。
※韓国政府が金大中を中傷する情報を日本の新聞社に流す役割をしていた
 柳川次郎(梁元錫(ヤン・ウォンソク)山口組系柳川組組長)も関与。
 柳川は日本の暗黒街の他の人物と同様に児玉誉士夫(自民党の後援者・右翼の黒幕)
 通じて韓国政府と接触をとったと言われる。
退官陸自3佐で興信所を営んでいた坪山晃三にも、金東雲から拉致設定の依頼があったが、
 坪山は拒否し、当時の後藤田正晴官房副長官から、しばらく身を隠していろと忠告され
 伊豆地方に潜伏していたと言う。


こうして自衛隊の威嚇によって、KCIAの金大中暗殺計画は中止され、
金大中は、ソウルで解放されるが、
1976年春、民主運動仲間らと、朴政権の退陣を求め、
カソリック教会のミサの席で、『民主救国宣言』を宣言し、
逮捕され懲役判決を受けた。

『民主救国宣言』の内容は、次の通りであった。

①独裁政権の鉄鎖に国民がつながれ、国家安保の口実の下に思想、
 良心の自由が萎縮され、言論の自由、学園の自主性が圧殺されている。

②韓国経済を日本経済に完全に隷属させ、
 すべての産業、労働力を日本経済侵略の犠牲とした。

③第3世界に目を向けなかった結果、国際的に孤児となり、
 西方社会からも見捨てられている。


     ※現在、日本が、戦争法案を巡って、全国規模で行われている
       デモクラシー運動を思わずにはいられない内容です。


この後、1979年秋、朴正煕は、
腹心の部下、KCIA部長・金載圭によって暗殺される。
大統領権限代行となった崔圭夏は、その後短い任期の大統領となるが、
1980年、金載圭の逮捕処刑を指揮した全斗煥(チョン・ドゥファン)が、
実権を掌握。
全斗煥は、日米との連携を強め経済の活性化すると同時に、
朴正煕政権時代に増して社会的弱者や、学生運動家、労働運動家を弾圧し、
独裁者、虐殺者、汚職者と呼ばれた。

1980年、民主化運動を再開していた金大中は、再度逮捕され、
死刑判決を受けた。
これをきっかけに、市民による民主化要求が激化し、デモを軍部が武力鎮圧し、
流血の大惨事となった。

金大中、死刑判決は、国際的な批判が高まり、
1982年初、米国への出国を条件に刑の執行を停止された。

その後、韓国に帰国した金大中は、
1987年、1992年と大統領選に挑む。
しかし、この闘いに敗北し、

一時、政界引退を表明し、研究生活を送るも、
再度、立ち上がり、
1995年に新党を結成し総裁に就任。
1997年、三度目の大統領選に出馬し、ついに勝利する。
1998年2月から2003年2月の韓国・5代大統領となった。

北朝鮮外交の緊張緩和政策、太陽政策を推し進め、
2000年6月に北朝鮮の金正日との南北首脳会談を実現。
在任中にノーベル平和賞を受賞した。





さて、折しも、金大中が大統領に就任する直前の
1997年、1月21日、
マイケルジャクソンは、
ジミー・カーター元大統領の仲介で、金大中氏と会談していた



マイケルは、世界中で困窮している人々、子供たちの
救済を目的とする国際的なチャリティー活動として、
世界の首脳級の指導者、各界のスターらと共に、
大規模なツアーコンサートを計画していた。

『We Are The World』の第二弾となる
強力な平和運動をイメージしていたのである。

その核となる歌は、マンデラ元大統領との会談からインスパイアされて
作られた『What More Can I Give』であった。
(この曲のリリースは、あらゆる妨害を受け、最終的に911同時多発テロの
 被災者支援曲として 2003年10月ダウンロード配信された。PR活動はレコード会社によって無視された。)

マイケルは、金氏の平和保持の意思と、分裂した国土にあっての
民主制に対する絶え間ない努力を讃え、
金大中は、大統領選に勝利した暁には、
チャリティーコンサートを開催する機会を設けることを約束した。

『Michael Jackson & Friends』と銘打たれたこのコンサートは、
諸問題(妨害工作?)が持ち上がり、難航するが、
最終的に、10年前に東西統一を果たしたドイツと、
南北朝鮮に "統一" のメッセージを贈るため韓国での開催が
決定された。

1999年6月25日 ソウル
6月27日 ミュンへンで、
コンサートが行われた。

このコンサートのために、
マイケル自身と ケニー・オルテガによって
スペシャルヴァージョンの演出を考案され、

朝鮮半島の南北の軍事境界線となっている
沙川江に架かる橋「帰らざる橋」
"The Bridge Of No Return"をイメージした
巨大な鉄橋がステージ上に設置された。



マイケルが、コンサートのステージ上で、
スピーチを行うことは、かつてないことであったが、
このソウルでのステージでは、特別なメッセージが贈られた。

――このコンサートが実現するために尽力してくれた人々に感謝を述べ、
平和、尊敬、人権を愛する素晴らしい大統領として金大中氏を讃え、
「韓国が今どのようであるか」について、希望と敬意を持っていること、
この場にいることを幸せであること、
そして、分断された人々が、すぐにドイツのように一緒になることを
願っていること、そして、その暁には、必ず、またここに戻って来て、
ここにいる皆と共に、偉大な人間の勝利の一つを祝うことを約束した。―ー


・・・この二日後、
ドイツ、ミュンヘンで、
演出に使用した巨大鉄橋の落下事故が発生ドンッ



"Earth Song" のクライマックスで、
ファイアーワークの火花が、異常に炸裂し、
マイケルが、乗っていた高さ14mの鉄橋が
予定外の速さで落下し、地響きを立てた。

恐ろしい撃墜音に、
衣装デザイナー、マイケル・ブッシュは慌てて駆け下りるが、
マイケルは、自力で奈落から這い上がり、
不屈のショーマンシップで、
ステージを貫徹した。

ステージ終了後、マイケルは、楽屋で倒れこみ、
病院へ搬送された。

この衝撃による背中の損傷により、
その痛みは、後遺症となって後まで
マイケルを苦しめたという。

********

2009年6月25日、マイケルジャクソンの死に際して、

金大中は、
「韓国は,朝鮮半島の統一をいつも気に掛け、
 支援してくれた愛すべき友人を失った」と弔辞を送った。

しかし、その2ヶ月後、
金大中自身も、南北統一を見ぬまま、
天国に召された。

不屈の信念で平和を願って闘った
マイケルジャクソンと金大中は、
奇しくも 同じ年、夏の始まりと終わりの頃、
この世を去ってしまった。

※金大中と同じく、北朝鮮に対して太陽政策を取っていた
 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領も、
 ちょうどマイケルの死の1ヶ月前の2009年5月23日に死去した。
 自殺であった。しかし、今尚、暗殺説が囁かれる。
 韓国は、太陽政策を推し進めた元大統領を4ヶ月足らずで相次いで亡くした事になる。