マイケルとアメリカ ~カンザスのひまわり畑のカカシ | ☆Dancing the Dream ☆

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The Joy of life ♡
with ☆Michael Jackson☆

マイケルが、初めてソロアーティストとして行ったワールドツアー、
BADツアーは、本当の意味では、日本からではなく、
アメリカ「カンザス」から始まった

私は、そう思っています。

なぜなら、BADツアーは、
BAD発表後の約1か月半後の87年9月から開始され、
1stレグの構成は、ビクトリーツアー(ジャクソンズ/実質的にはスリラーツアー)の内容を採用して日本からスタートし、
オーストラリアへと回りますが…
翌88年2月、USA カンザスから開始された2ndレグは、
BADからの曲を加え、
定番のジャクソンズの「Things I Do For You 」「Lovely One」が削られます。

つまり、
88年、母国USAのカンザスのショーからこそ、
「アルバムBAD」を踏襲した内容に作り替えられ、
マイケルの初ソロツアー、真の「BADツアー」が始まったと言えるからです。



カンザス州とは、昔からアメリカにおける「田舎」の代名詞です。
では、なぜ、マイケルは、初ソロ・BADツアーの
母国アメリカでのスタート地点に、
そんなカンザスを選んだのでしょう?

その秘密は、
マイケルが、初出演した映画『WIZ』に隠されていると思います。

そもそも、マイケルというアーティストが、
ジャクソン家の束縛から自らを開放し、
「J5のマイケル」から、
強力な平和活動家、スーパースター「マイケルジャクソン」へと
変貌を遂げてゆく契機となったのは、
映画『WIZ』への出演でした。

『WIZ』は、ライマン・フランク・ボームの著した「オズの魔法使い」を
ミュージカル化したダイアナロス主演、シドニー・ルメット監督作品。

ドロシーは、愛犬のトト、脳の無いカカシ、心の無いブリキの木こり、
臆病なライオンとともに、魔法使いの「オズ」に希望を叶えてもらうために
故郷カンザスから、エメラルドシティに向かう旅の物語です。
彼らは、一本の黄色い道を辿り、旅をするのです。

つまり、カンザスから始まるBADツアー、
その後、地球を何周も駆け巡ることとなる
音楽による凄まじく巨大な平和活動の旅は、
マイケルが演じたカカシと仲間たちとの旅の物語、『WIZ』のように、
マイケルの「Yellow Brick Road 黄色い道」を
意味するのではないでしょうか?



Yellow Brick Road

『WIZ』の主人公の少女ドロシーの
故郷は、カンザスです。
ドロシーは、カンザス出身であることを馬鹿にされます。
スーパーマンのクラーク ケントもニューヨークの新聞社に入社し、
田舎者扱いを受けます。

アメリカでは、カンザス人は、
全く"垢抜けないうろんな田舎者"という固定観念をもたれ、
嘲笑されていたのですね。

オズの魔法使いの中には、
「故郷の田舎から離れて見知らぬところに来た!」という意味で、
カンザスという言葉を用いて使う
慣用句になった有名なセリフがあります。

それは、ドロシーが犬のトトに向かって言うセリフ・・
"Toto, I've a feeling we're not in Kansas any more."
"トト、もうカンザスじゃない気がするんだけど"

たとえカンザス人でなくても、
「ずいぶん遠くに来てしまった」という場合に
「ここはカンサスじゃないね!」という言い方をするのです。

カンザスは、かくも"僻地"で、
カンザス人は "田舎っぺ"だというわけです。
カンザスは、このようなからかいの対象になっている土地柄なのです。

しかし、
To the stars through difficulties(困難を乗り越えて栄光の星へ)」
というのが、州のモットーなのだそうですが、
カンザス人の粘り強い州民性が表されています。


Sunflower State

また、カンザスは「Sunflower State(ひまわりの州)」と呼ばれます。
カンザスが必ずしもひまわりの花咲く地というだけでなく、
カンザスは、アメリカの文字通り中心部であり、
アメリカにとって、「heartland」であることを意味します。


マイケル演じる脳の無いカカシは、ひまわり畑に立てられたカカシなのですね^^

なぜ、マイケルが、BADツアーの出発地にカンザスを選んだのか?は、
おそらく、カンザスがアメリカの「heartland」だったからでしょう。
では、なぜ、カンザスがアメリカの「心の地」なのか?

それは、カンザスが、
"自由州の北部側" VS "奴隷州の南部側"、
つまり、奴隷制を死守しようとする南部側と、
ジョン・ブラウンに代表されるような奴隷制廃止を訴える北部側の
激烈な闘いの焦点となった地であったからです。

この闘いが、やがて、南北戦争へと発展していき、
アメリカを真っ二つに分断することになりました。

北と南の真ん中のカンザスに、数の論理、政治的優勢を狙って
北部側と南部側から大挙して人が押し寄せ、
カンザスは、両者の暴力に次ぐ暴力に支配され、
多くの血が流され「カンザスの流血」と呼ばれる悲惨な戦いが繰り広げられ、
その果てに、やがて、自由州となりました。

リンカーン大統領の「奴隷解放宣言」により、
奴隷として扱われていた黒人は解放されました。
北軍の勝利に終わった1865年、憲法修正第13条によって、
奴隷制度はその法的廃止が確認され、
その後も憲法修正第14条・第15条等によって、
黒人に市民権・選挙権が与えられ、
多数の黒人が州議会等に進出していきました。

しかし、南部における黒人に対する差別や偏見はその後も潜在的に残り、
白い頭巾をかぶり黒人をリンチにするなどの
南部保守勢力の革命組織、KKKに代表されるヘイト活動が生み出されました。

黒人の選挙権も19世紀末から20世紀初頭にかけて
南部諸州の立法によって次々と剥奪されていき、
南北戦争で勝ち取った選挙権・市民権を完全に取り戻すには、
半世紀以上後の20世紀後半以降、
キング牧師が象徴する黒人自らによる
激しい闘争を待たなければなりませんでした。

奴隷制度は、
平和的・合法的に漸次的に話し合いで解決できないとして、
暴力的、革命的な方法を取り、根本解決し得たのか?というと、
それは叶わなかったのです。
真の意味での改革は、暴力は、憎しみの根を残すという事実を踏まえ、
キング牧師が、インド独立を勝ち取ったガンジーに学び、リードして、
黒人自身が立ち上がった非暴力主義抵抗の市民運動によって
初めて実を結んだのです。


黄金の麦畑が広がる開拓農民たちのカンザスは、
元は、その名の由来ともなった北米インディアン・カンザ族の土地であり、
奴隷制度廃止における焦点になった土地であり、
アメリカが、自らの病巣に激しく苦悩し足掻き、
自らの犯罪性を認めざるを得ない局面に
幾度となく遭遇する歴史の中で、
価値観の異なる者同士によって戦場にされた象徴的な土地なのですね。

************

マイケルのワールドツアーは、
『WIZ』の「Yellow Brick Road 黄色い道」になぞらえた
平和活動の道だと述べてきましたが、

マイケルは、
その「道」の始まりの情景を、
歌で言葉にし、
また、SFで映像化して表しているようです。

 

マイケルの billie jean のSFにも不思議な「」が描かれていますね。
いったい、この荒涼とした道とは?

billie jeanには、同質のこれを先んじる曲が存在します。
それが、Heartbreak Hotel(This Place Hotel) です。

Heartbreak Hotelは、ジャクソンズのアルバム「Triumph」に収められた
マイケルのオリジナル楽曲ですが、
ジャクソンズ時代に分類させる曲の中で、
唯一、BADツアーで終始歌い続けられた楽曲なのです。



Heartbreak Hotel は、
鬼気迫る衝撃的な内容が歌われた
新生マイケルの「原点」といえる重要な曲だと思っています。

マイケル自身によって、
子供時代の凄惨な経験の秘密が吐露され、
血を吐くような痛みを持って魂の浄化を試みる「告白」の歌が、
Heart Break Hotelなのです。

そして、 Heart Break Hotelには、
billie jeanの 不思議な「道」の謎を解く鍵が隠されています。 

上の動画のように、BADツアーの演出では、
Heart Break Hotelの始まりには、
赤いHOTELの文字とマイケルのシャドウとともに、
次のようなメッセージが流されます。

ここでは、ある「」のことが語られます。
その道は、Bleaker St.(ブレーカー通り)と名付けられた「道」。

【Heart Break Hotelのメッセージ】
―――My footsteps broke the silence of the pre-dawn hours,
As I drifted down Bleaker St.
Past shop windows, Barred against the perils of the night.
Up ahead, A neon sign emerged from the fog.
The letters glowed red hot In that way I knew so well, Branding a message into my mind, A single word, Hotel.

ぼくが「ブレーカー通り」をさ迷い降りると、
ぼくの足音は、夜明け前の沈黙を破った。
夜の危険を妨げる店々のウインドウを行き過ごした。
見上げると、霧の中から一つのネオンサインが浮かび上がった。
ぼくの馴染みのあの道の赤々と光った文字、
ぼくの心に焼印されたメッセージ、
一つの言葉、それは、HOTEL。―――

Heart Break Hotelでは、
マイケルが、ローティーンの頃に受けた「性的虐待」の
忌まわしい記憶が歌われ、告白されています。
(過去記事・連載・マイケルの"HOTEL"に詳細あり)


心に深く焼印された赤いネオンのHOTELが建つ
「Bleaker St.(ブレーカー通り)」
この道を映像化したのが、
上の billie jean のSFに描かれた荒涼とした道ではないかと思われます。
そして、その道は、billie jeanでは、
彼がステップを踏む毎に、光を放つのです。

荒涼とした世界で苦しむ子供たちの守護神として
マイケルは、一歩一歩「黄色い道」を進んでいたのです。

事実、その後マイケルは、
世界の動乱のHot Spotを駆け巡り、
子供たちの救済活動に全力を注ぎ、
平和を求める歌を鳴り響かせる壮大な旅を行います。
前人未到のワールドツアーは、彼らの為に捧げられました。

ただ重要な一国を除いて。
もっとも危険なその一国は、
マイケルが手を触れることを許しませんでした。

もっとも危険で、
建国以来、世界中で戦争を生み出し続けている犯罪国家、
マイケルの母国アメリカです。


マイケルは、
89年のBADツアーを最後に、
以来20年間、死ぬまで
母国USAでツアーをしていません。

母国を追われ、帰って来たなり、
アメリカで死にました。


BADツアーに続くマイケルのワールドツアー、
「黄色い道」の足跡を追ってみると・・

マイケルが、1992年から行った
デンジャラスツアーは、ベルリンの壁が崩壊し東西統一されて間もない
ドイツのミュンヘンから始まりました。
2ndレグ開始直前1月に、クリントン大統領就任式でパフォーマンスし、
スーパーボウル・ハーフタイムショーを行い、
2ndレグでは、ソビエト連邦崩壊後のロシアで公演しました。
つまり、マイケルは政治的な平和活動家として大進撃していたのです。

しかし、児童性的虐待という虚偽の告発のダメージによって、
中止を余儀なくされ、
本来なら、94年に行われる予定であったUSAの
デンジャツアーは叶いませんでした。

次の1996ー97年のヒストリーツアーは、
チェコから始まり、革命後の東欧圏、
また初めての中国、さらに初めてのアフリカを巡るものでしたが、
USAは、ハワイ公演のみで、
アメリカ本土の公演は叶いませんでした。

しかし、
新アルバムの名を冠した世界ツアーとして行ったものではありませんが、
例外的に、NYのマディソンスクエアーガーデンで
2011年の30周年記念(Michael Jackson: 30th Anniversary Special)の
公演がおこなわれました。

この30周年記念が行われたのは、
2001年の9月7日と9月10日
です。
しかし、なんと、その翌日に「911同時多発テロ」が勃発しました。
マイケルも、あのテロのとき、NYにいて、逃げ惑ったのです。
マディソンスクエアーガーデンとツインタワーは、
こんなにも近い!!!

      *因みに、30周年記念コンサートを手がけたのは、
        マイケルの死後の発売されたアルバム『「MICHAEL」に
        マイケルと共作したという、いわゆるカシオトラック「未発表新曲」を
        提供したフランク・カシオ(Frank Cascio)です。
        アルバム『「MICHAEL」のカシオトラックは、
        多くのファン、ジャクソン家、音楽関係者から、
        マイケルの声ではないという疑惑をもたれ、騒然となり、
        いまだにカシオトラックの信憑性は疑われ、
        真実は明らかにされていません。




そして、マイケルは、911の被害者支援にすぐに反応し、
「What More Can I Give」を企画しました。
多くのアーティストに呼びかけ、
第二の「We are the world」のムーブメントを起こそうと立ち上がったのです。
多くの才能が結集した「What More Can I Give」の
大プロジェクトは、あらゆる妨害を受け、
ついに、悪夢の再来、
マイケルへの第2の児童虐待告発の裁判によって吹き飛びました。

マイケルは、この裁判を戦い抜き、
そして、完全に勝利しましたが、
マスコミは、この事実を他所に、「児童性愛者」というレッテルを貼り続け、
その後も、大半の人々の疑いの眼差しは払拭されませんでした。

2009年3月、亡命するようにアメリカを離れていたマイケルが、
THIS IS IT の開催を表明し、
世界は、根強いファンの歓喜と、
闘犬を囃すような好奇の熱気に湧きました。

マイケルは、アメリカに帰国し、
リハーサルを重ね、
そして、
2009年6月25日、
予定のショーの初日の2週間前に急死してしまいました。
(後に、マーレー医師による故殺と判決が下された。)


結果的に、
マイケルの約40年のキャリアの後半20年、
一切、アメリカ本土での
ソロライブを行うことは叶いませんでした。

いかに、アメリカが、
マイケルという、人々を覚醒させるパワーを持つ
巨大なメディアを恐れていたことか。


『オズの魔法使い』のドロシーと仲間たちが
黄色い道を辿る旅で得たのは、
「答えは、心の中にある」という真理でしたが、

さて、マイケルが Come over here!と呼びかける
黄色い道のその先は・・?


Deep inside, you know it's true
Just find that child, it's hiding in you.
心の奥深くで 君はこれが真実だと知っている
ただ あの子供を見つければいいだけ
君の中に隠れているあの子供を
 
                       From 『danncing the dream』
                               MAGICAL child ーMichael Jackson