七小福 Painted Faces ~ジョン・ローン | ☆Dancing the Dream ☆

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映画『七小福』full




香港で1960年代に結成され、のちの香港アクション映画界を支えることとなる
京劇子役のエリート集団「七小福」


香港で1960年代に結成され、 のちの香港アクション映画界を支えることとなる 京劇子役のエリート集団「七小福」。 60年代、主に貧困家庭の子供たちを全寮制で引き取って京劇役者に育てる中国戯劇学院(春秋戯劇学校)に、のちに香港アクション映画の立役者となる幼き日のジャッキー・チェン(成龍)やサモ・ハン(洪金宝)、ユン・ピョウ(元彪)らが在籍していた。厳しい訓練のためなら体罰もいとわず、半ば身売りとも言えるような過酷な生活を強いられた彼らは、のちに「七小福」と呼ばれる子役集団に成長していく。結成当初のメンバーはジャッキー・チェン(当時の芸名は元楼)やサモ・ハン(当時の芸名は元龍)、ユン・ピョウ(元彪)の3人以外に、映画界一の回転技吹き替えスタント王ユン・ワー(元華)、ユン・ケイ(元奎)、ユン・モウ(元武)、ユン・タイ(元泰)「カンフーハッスル」で大家夫婦を演じていたユン・ワー&ユン・チウがいた。最盛期では70人超のメンバーを抱えていたという。 しかし時は流れ、京劇という娯楽は完全に前時代の遺物となり、七小福は71年に解散。メンバーたちはアクション映画のスタントマンに活路を見出していく。かくして、後の世界的カンフースターが誕生するのである。この七小福の物語はこれまでに複数回、映画化されている。




この人の優雅さ・・
ジョン・ローンの立ち居振る舞いには、
おそらく東洋のoriginが刻まれているのですね。
京劇の動きの基礎には、中国武術があるのです。

カンフー武闘派の強面とは無縁に見える
あの『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』、『ラスト・エンペラー』の
ジョン・ローン(John Lone、尊龍、1952年生まれ)もまた、
実は、同じく、「七小福」の一人でした。
けれども、ジョンローンは、他の「七小福」の同胞とは、
異なる道を進み、香港アクションスターにはなりませんでした。

この人のゾッとするような色気は、
只事ではないですよね。
逸材だと思います。


ジョン・ローンは、中国国民党と中国共産党による国共内戦後の動乱の中、孤児として育ち、障害を持った老女に引き取られ、体罰や精神的虐待を受けながら、卵にしょう油をかけたご飯だけで育ったという。老女は生活苦のため、ジョンを捨て、児童養護施設に入所。その中で出会った京劇の魅力に取り付かれ、10歳前後で春秋戯劇学校に入学するも空腹と体罰の日々が続いた。
同門にはラム・チェンイン(林正英)、銭月笙、女優のジョセフィーン・シャオ(蕭芳芳)、コニー・チャン(陳寶珠)らがいる。

18歳。香港随一の大映画会社ショウ・ブラザースからの「カンフー映画に主演で出演する」という契約を蹴ってアメリカに渡り、カリフォルニア州のサンタアナカレッジを5年かかって卒業。パサデナの演劇スクールで学ぶ。日系俳優マコ岩松(反戦活動家&絵本作家、八島太郎の息子)の目に止まり、マコやジェームズ・ホンらが設立した東洋系俳優劇団「イースト・ウェスト・プレイヤーズ」に参加し、たちまち頭角を表した。

1985年、『ディア・ハンター』でクリストファー・ウォーケンをブレイクさせた鬼才マイケル・チミノ監督作『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』で若きチャイニーズ・マフィアの頭領役を演じ、ハリウッドのトップスターとしてスターダムに登りつめる。
1986年『ラスト・ジゴロ』、そして1987年、『ラスト・エンペラー』満州国の苦悩の皇帝、愛新覚羅溥儀を演じ、人気を決定付けた。

1993年、中国の文化大革命当時の史実を元に描かれた『M.バタフライ』に主演。
同年、結果的にレスリー・チャン主演となった『さらば、わが愛 覇王別姫』も、ジョン・ローンへのオファーがあった。どちらも劇中、京劇「貴妃酔酒」が演じられる。

――中国新電影のインタビューで「幼少期のトラウマは、私の人生に大きく暗い影響を与えている」「呪われているようだ」とコメント。今でも私生活をオープンにすることを極端に嫌う。

頑なにプライバシーを守っているため、役者として低迷していたとされる時期も「仕事をしなくても良い暮らしができるから」と、出演する価値のある作品のみを選ぶというポリシーを貫き通していただけだと説明。「あまりにも偽りの情報が多いからインターネットはしない」「(幼少期のことがあるため)これ以上、精神的に傷つく余裕がないんだ」「精神的な拷問を受けると、何も行動できなくなってしまうんでね」と語る。

母の愛を知らずに育ったジョンは、精神的に不安定になりやすいと自己分析しており、一人でいることが「何よりもリラックスできる」という。誰かが横に寝ているのも苦痛で、それが恋人であったとしても嫌なのだとか。自分が親になることにも自信が持てず、恐らく生涯独身だろうと過去のインタビューで何度か語り「死んだ後も墓はいらない」とまで言い放つ。

エンタメ界の狂騒から距離を置きつつも、中国大洋网のインタビューでは「私は作品を通して人々と会話をする。役に深くのめり込めれば、それだけ深くファンと繋がることができる」と、変わらず彼を愛してくれているファンと、今後もっと深く繋がりたいとコメント。――(2010年インタビューよりまとめ)