マイケル未発表曲『Seeing Voices』の作曲者 シドニー・ファインさんとは? | ☆Dancing the Dream ☆

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マイケルの未発表曲、
『Seeing Voices』の切れ端がリークされました。

この曲は、1999年の録音。
シドニー・ファインという音楽家による作詞作曲で、
レイ・チャールズがコーラスをし、
マイケルによって歌われた歌。
そして、
このシドニー・ファインという人物の、
御年95歳という最晩年の作品であるということ。・・ですが、

エミー賞ノミネート経験もある人にも拘らず、
wikiにも載っていないし、調べても調べても、
なかなか納得いく記事が見当たらなかったのですが、
ついに、発見しました目

どうぞ、下にその記事を和訳しましたので、
お読みください!

いやいやいや~~~、
マイケルという人の「仁徳」、
あるいは、「孝」の精神に驚くばかりですキラキラきらハート



なんと、シドニー・ファイン氏は、
40~60年代の長きにわたり、
ラジオ、TV、映画など、幅広く活躍し、
殊にディズニー音楽を支えたという、
偉大な業績をもっている人物であることにも驚きでしたが・・・

正に、ビックリ仰天、
思いもよらない人物と繋がっていたのです!!

シドニー・ファイン氏は、
あのマイケルの最愛の家庭教師、
ローズ・ファインさんのご主人だったのです
アップ





マイケルが、
多くを学び、何より、母親のキャサリンと離れ、
旅から旅のコンサートに明け暮れる幼い日々を
実の母のような愛情で包んでくれた人物こそが、
ローズ・ファインさんだったのですよね。

シドニー・ファイン氏とローズさんの間には、
ピーター君という息子がいました。
しかし、ピーター君は、
稀な脳疾患に罹り、聴覚に障害を抱え、
その病気が原因で、1975年に亡くなったのだそうです。

息子を失った母親と
遠く母親の元を離れて仕事をする少年は、
教師と生徒以上に仲良しになれたのですね。

ローズ・ファインさんは、
マイケルらジャクソン兄弟を
失った実の息子の分も、
心から愛情を注いでくれたのでしょう。

『Seeing Voices』とは、
「声を見ること」という意味ですね。
この曲の詞は、まだ未発表で、内容は分からないのですが・・
耳の聞こえなかったピーター君は、
音楽家のお父さんのシドニー・ファイン氏の作った音楽を
きっと、持てる感覚で感じ、
音を楽しんでいたのではないでしょうか?
声の代わりに手話で
感動を言葉にしたかもしれませんね。

ピーター君と同じように
幼いころに五感の一感覚を失ったレイ・チャールズが、
この『Seeing Voices』というタイトルの歌の
コーラスを務めてくれたということも、
意味深いことだと思います。

共感覚という知覚現象を表す言葉もありますが、
通常認識されている以外の未知の感覚というものを
実際に感じること、ありますね。
殊に、何かを失えば、それを補うように
あらかじめ備えられているシークレットボックスが
開くのではないかしら?


voice「声」の語源は、
vox(声)です。
vox は“vocare(呼ぶ)”の名詞形。
“vocation”で「天職」という意味になります。

しかし、なぜ、“vocation”が
天性の仕事という意味になるのでしょう?

これは、神様が“呼んでいる”のだそうです。
「神様のお呼び」という意味なのですね。

「天職」とは、お金儲けのための仕事ではありませんよね。
シドニー・ファイン氏も、
ローズ・ファインさんも、
彼らのピーター君も、
レイ・チャールズも、
マイケルも、
・・私たちも、
みんな「神様のお呼び」で生きている大切な命なのですね。

ますます『Seeing Voices』という曲の
全貌を「見て」みたいです!!



今回リークされたマイケルの歌声①


今回リークされたマイケルの歌声②


以前から、インストゥルメンタルのこんなものは出回ってました。


May 28, 2002 | 04:44PM PT
Film, TV, legit composer, arranger and orchestrator
Jon Burlingame

Emmy-nommed Sidney Fine, composer, arranger and orchestrator who worked on Broadway and in films, radio and TV throughout the ’40s, ’50s and ’60s, died of pneumonia May 20 at Providence Saint Joseph Medical Center in Burbank. He was 97.

エミー賞にノミネートされた、作曲家でアレンジャーでオケ編曲家のシドニー・ファインは、ブロードウェイ、映画、ラジオそしてテレビで、40年代50年代、60年代を通じて活躍した。
ファインは、バーバンクのプロビデンスセントジョセフ医療センターで5月20日(2002)に肺炎のため死去した。97歳であった。

Fine was nominated for an Emmy in 1956 for his orchestrations of Victor Young’s music for the television series “Medic,” and served as one of the original orchestrators on Meredith Willson’s 1957 Broadway hit “The Music Man.”

ファインは、TVシリーズ“Medic,”のビクターヤングの音楽のためのオケ編曲でエミー賞にノミネートされた。
そして、メレディス・ウィルソンの1957年のブロードウェイ・ヒット“The Music Man.”の独創的なオケ編曲家の一人として務めた。

Under contract to Revue (later Universal) TV from 1960 to 1971, Fine wrote the scores for dozens of shows including episodes of “Wagon Train,” “Thriller,” “Laramie,” “Frontier Circus,” “Going My Way,” “The Virginian,” “Alcoa Premiere,” “90 Bristol Court,” “Broadside,” “Tammy,” “The John Forsythe Show” and “The Bold Ones.”

Revue(後にユニバーサル)との契約の元で、1960年から1971年のTVで、ファインは、「ワゴントレイン」「スリラー」「ララミー」「フロンティアサーカス」「ゴーイングマイウェイ」「バージニアン」「アルコアプレミア」「ブリストルの裁判所」「ブロードサイド」「タミー」「ジョンフォーサイスショウ」そして「ボールドワン」を含む、数十のショウのための楽曲を書いた。

Among his feature credits, he served as an arranger on Paramount’s Irving Berlin musical “Blue Skies” in 1946. For Walt Disney Studios, he helped to orchestrate “Victory Through Air Power” (1943), “Fun and Fancy Free” (1947), “Melody Time” (1948) and the 1955 classic “Lady and the Tramp.” He also worked on the daytime “Mickey Mouse Club.”

彼の特徴的な業績は、1946年のウォルトディズニーの、アーヴィングバーリング・ミュージカルの「ブルースカイ」のアレンジャーとして務めたことである。「空軍力の勝利  (1943)」「ファン・アンド・ファンシー・フリー (1947)」「メロディ・タイム (1948)」、1955年のクラッシック「わんわん物語」である。彼はまた、昼間の「ミッキーマウス・クラブ」でも働いた。

He was born in Waterbury, Conn., graduated from the U. of Connecticut and did post-graduate work at City College of New York and the Yale School of Music. He played piano in silent-movie theaters in the 1920s and eventually became accompanist for comedian Henny Youngman, who often made jokes about his “cousin Sidney” during appearances in the Catskills and elsewhere.

彼は、コネチカット州のウオーターベリーに生まれ、コネチカット州大学を卒業した。ニューヨーク市立大学の音楽科とイェール大学の大学院で働いた。1920年代のサイレント映画でピアノを弾いた。そして、彼は、最終的に、「キャッツキル」の出演中や他の所でもしばしば「いとこのシドニー」のジョークを書いたあのコメディアンのへニー・グッドマンの伴奏者になった。

Fine moved to Los Angeles in 1937, where he studied with composer Arnold Schoenberg. He worked as a pianist and arranger in radio throughout the 1940s, including shows featuring Jack Benny, Dinah Shore, and George Burns and Gracie Allen. In 1950, he returned to New York to arrange for radio’s “Big Show” starring Tallulah Bankhead.

ファインは、1937年にLAに転居し、編曲家のアーノルド・シェーンベルグに師事した。彼は、ジャックベニー、デニス・ショア―、ジョージ・バーンズ、グレイシー・アレンの出演したショウを含む1940年代を通じてラジオのピアニスト、編曲家として働いた。1950年に、彼はタルーラ・バンクヘッドの出演するラジオの「ビッグショウ」の編曲のために、ニーヨークに戻った。

Fine’s last work was a song recorded in 1999 by Michael Jackson (but still unreleased) entitled “Seeing Voices.” Jackson had been a student of Fine’s wife; the song celebrates signing for the deaf and was a tribute to Fine’s son, Peter, who died in 1975 of a rare brain disease that had caused him to lose his hearing.

ファインの最後の仕事は、マイケルジャクソンによる1999年に録音された『Seeing Voices』と題された歌(しかし未だ未発表)である。
ジャクソンはかつてファインの妻の生徒であった。
この歌は、聴覚障害者を祝福するために歌われた歌であるとともに、ファインの息子、ピーターへのトリビュート曲である。
ピーターは、彼が聴力を失う原因となった稀な脳疾患のために1975年に亡くなった。

Fine’s wife of 74 years, the former Rose Mishkin, died in June 2000.

74歳のファインの妻、旧姓ローズ・ミシュキンは、2000年の6月に他界した。

He is survived by a daughter and five grandchildren.

彼は、娘と5人の孫を残した。



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次に、2002年、
マイケルが、ローズ・ファインさんが亡くなられた後に、
インタビューで、彼女のことを語った内容を訳してみます。

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While on the road as a young child, Michael Jackson and his brothers were tutored by a Jewish woman by the name of Rose Fine. He spoke very highly of Rose and we wanted to share his words.

幼い子供の頃のツアーの間マイケルジャクソンと彼の兄弟たちは、ローズ・ファインという名のユダヤ人女性に家庭教師をしてもらっていた。
彼はローズを絶賛した。そして、我々は彼の言葉を共有したいと思う。

Caring Michael: Miss Rose Fine who was Michael and his brothers tutor when they were young and on tour. Some of Michaels thoughts on Rose in 2002.
Edited: …

マイケルの世話:ローズファインさんは、彼らが若く、ツアーを行っていたとき、マイケルと彼の兄弟の家庭教師でした。2002年に、ローズさんについてのマイケルの考えを編集した。

Rose Fine, who was my beloved childhood tutor and who traveled with me and my brothers when we were all in the Jackson Five.

ローズ・ファインさんは僕の子ども時代の最愛の家庭教師だったんだ。
彼女は、ジャクソン5として活動していた頃、僕と兄弟たちと共に旅した。

MJ: After the show I would run into Rose’s room. We’d read and have warm milk and I needed that so badly. She would always say to me, “The door’s open”, and she would leave her door open.

ショーが終わると、僕はローズファインさんの部屋に駆け込んだものだよ。僕らは、本を読んだり温かいミルクを飲み、そして、僕には物凄く酷くそれが必要だったんだ。彼女はいつも僕に言った。“ドアは開いてるわ”と。そして、彼女の部屋のドアを開けたままにしてくれたんだ。

You think she saw you as her son?

あなたは彼女はあなたのことを息子として見ていたと思いますか?

MJ: She called me her son…

彼女は僕を「息子」と呼んでくれた・・

Did she show you unconditional love?

彼女はあなたに無条件の愛を示してくれたのですか?

MJ: Yes.

そうです。

So you think unconditional love can be shown even by two people who are not related by blood?

では、あなたは、血に関連しない二人の人間の間であっても無条件の愛を示すことができるとお考えですか?

MJ: Oh my God, yes, of course. I think I learned it through her and I have seen it and I have experienced it. It doesn’t matter with blood or race or creed or color. Love is love and it breaks all boundaries and you just see it right away. I see it in the children’s eyes. When I see children, I see helpless little puppies. They are so sweet. How could anybody hurt them?

おお神よ、もちろんイエスだよ。僕は彼女を通じて、それを見たし、経験したし、それを学んだのだと思うよ。それは、血や人種や信仰や皮膚の色とは関係ないんだ。愛は愛なんだ。そして、愛はすべての境界を壊す。君も即座にそれを解るはずだ。僕はそれを子供たちの瞳に見出すよ。子供たちを見る時、僕は無力な小さな子犬を思うんだ。彼らはとても可愛いよ。誰が彼らを傷つけることができる?

Rose Fine, although she wasn’t your biological mother, was able to show you a lot of motherly affection?

ローズファインさんは、あなたの生物学上の母ではなかったけれど、彼女は多くの母親の愛情を君に示すことができたんですね?

MJ: And boy did I need it. I was never with my mother when I was little, very seldom, and I had a wonderful mother. I see her as an angel, and I was always gone, always on tour, doing back-to-back concerts, all over America, overseas, clubs, just always gone. Rose was with us all the way from the very first professional tour of the Jackson 5 until I was eighteen.

そして、少年は、僕はそれが必要だった。僕は小さい頃、僕の母とはまったくほとんど一緒にいられなかった。めったにね。だけど、僕には素晴らしいお母さんがいたんだ。僕には彼女が天使に見えたんだ。
僕は、常に出かけていた。常にツアーをしていた。次から次へとコンサートをしていたんだ。アメリカ全土、海外、クラブ、まったく常に出かけていた。ローズさんは、ジャクソン5のプロフェッショナルなコンサートの正しく最初から、僕が18歳になるまですべての行程を共にしてくれたんだよ。

And she would teach you during the day?

それで、彼女は昼間の間は君に教えてくれていたんですね?

MJ: Aha.

そう。

Regular subjects? Mathematics? English? She taught all the five of you together?

通常の科目?数学?英語?彼女はすべての5科目を一緒に教えてくれたんですか?

MJ: Yes, together, three hours. She taught Janet, all of them.

そう。一緒にね。3時間。彼女はジャネットにも教えてくれた。その全てをね。

MJ: Rose died this year, Janet and myself, we paid for her nurse and her hospital care, or if her television broke down or the electricity, or there was anything wrong with the house, we would cover the bills. Now her husband is sick, so I am taking care of him, and because we felt she is our mother and you take care of your mother…

ローズさんは今年亡くなったんだ。ジャネットと僕自身で、僕たちは彼女の看護婦と病院の看護代を支払った。もし、かのじょのTVや電化製品が壊れてしまったり、彼女の家になにか問題があったとしたら、僕らは勘定をカバーしただろう。今、彼女のご主人が病気だから、僕は彼のお世話をさせてもらっている。なぜなら、あなたがお母さんの世話をするように、僕らは、彼女が僕らのお母さんであると感じているから。

You really felt like that?

あなたは本当にそう感じていたのですか?

MJ: Absolutely. She was more than a tutor and I was so angry at myself that when she died I was far, far away. I couldn’t get there.

まったくそうだよ。彼女は家庭教師以上だった。そして僕は、彼女が亡くなった時、遠くにいて離れていたことで自分自身に怒っていた。僕はそこに行けなかったんだ。

… it hurt when I came to the door to see her and I went, “Mrs. Fine, it’s Michael”, and she would go, “You are not Michael”… That hurts so much. Growing old is not always pretty. It’s sad.

僕は彼女に会いにドアに近づいて行ったんだ。辛かった。
「ミセス・ファイン、マイケルだよ」と。彼女は逝こうとしていた。
「あなたはマイケルではないわ」・・それはとても辛かった。
年をとると言うことは素敵なことではない。悲しいことだ。

“It was Rose who instilled in me a love of books ,and literature that sustains me today. I read everything I could get my hands on. New cities meant new places to shop. We loved to shop, especially in bookstores and department stores,”
“She [Miss Rose Fine] taught me the wonderful world of books and reading and I wouldn’t be the same person if it wasn’t for her.” ~

「ローズさんは僕の中に本への愛を植え付けてくれ、そして、文学が今日の僕を支えてくれた。僕は手に取れるものは何でも読んだ。
新たな街は即ち新たな店への場を意味する。僕らは店が大好きだったが、とりわけ書店とデパートを愛した。」
「彼女(ローズ・ファインさん)は、素晴らしい本の世界を教えてくれ、
そして、彼女がいなかったら、今の僕は存在しなかっただろう。」