マイケルのマフィア系の歌が気になる② ~スコセッシ監督「カジノ」に学ぶ | ☆Dancing the Dream ☆

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の続きです。


マイケルとオスカー・グッドマン
スコセッシ監督「カジノ」の中に出てくる、
本人が本人を演じている弁護士オスカー・グッドマンとは、
2003年にマイケルに「ラスベガス市の鍵」を贈呈した人物ですね。

オスカー・グッドマンは、
マフィアの大物マイヤーランスキーや、
フランク・ローゼンタールの弁護士を務め、
後に、ラスベガスの市長に12年間(1999~ 2011)就任していました。

因みに、グッドマンの後にマイヤーランスキーの弁護士になったのは、
2003~4年に財政危機に陥ったマイケルのアドバイザーとして
家族ぐるみの付き合いをしていた弁護士アルビン・マルニックです。
驚きですね~~( ̄Д ̄;;

マイケルは、例の「マイケルジャクソン裁判」に襲われる
その直前から、マフィアに縁の深い人物に囲まれていたことは
事実なのです。



2003 -Michael Jackson is awarded the Key to the City of Las Vegas,
Nevada by the Mayor Goodman at Art Of Music Store.
He promote What More Can I Give.

マイケルは、『What More Can I Give』のプロモートのために
ラスベガスを訪れた。
マーク・レスター、ティダー・ワイズナーと一緒にファン1時間遅れで到着。
トリビュートの創案者の E Cassanovaさんに紹介され、
E Cassanovaらファンは "Michael Jackson fans don't die, we multiply!(マイケルジャクソンのファンは死なない。益々増え続ける!)"と叫んだ。
オスカーグッドマン市長から、LVの鍵を授与された。 by Stuart Backerman
(2003/10/25)

その明後日の10/27、同じくLVのアラジン・リゾート&カジノでラジオ・ミュージック・アウォードが開催され、マイケルはステージに登場し
「今回、我々の希望の心を、それをもっとも必要としている人々を励ますために、We Are The Worldの続編を届ける時がやって来ました。この2年間は長かった。しかし、100人以上もの人々がレコードを通じて参加してくれたプロジェクトを、ついに公開できるのです。」と述べ、「What More Can I Give」に関するスピーチを行った。


翌10/28、Music For Givingで「What More Can I Give」の公式ダウンロードが開始された。
11/17にはイギリスで「Number Ones」は、HMVのアルバム売上げチャートで1位となった。
アメリカのCBSで11/26にアルバム発売記念1時間特番「Michael Jackson Number Ones」を放送し、番組内ではマイケルによる「One More Chance」のパフォーマンスを始め、デジタルリマスタリングされた過去のショートフィルムやコンサート映像を紹介する予定だった。(One More ChanceのSFは未完成となった。)


折しもこの時期・・
サンタバーバラ郡保安官は、ギャヴィン少年の児童性的虐待の容疑で、
6月ごろからマイケルの周辺調査を始め、
11/17には家宅捜査。
11/20、証拠不十分のままマイケルに対し後ろ手に手錠をかけ逮捕。

マイケルの『What More Can I Give』、
「米・同時多発テロ」の犠牲者のための
チャリティ・シングルのリリースに向けた活動は、
正に、マイケル逮捕、直前に行われていたのです。

つまり、アメリカが、
ブッシュ政権の扇動によって、国民の圧倒的支持率をもって、
9.11テロ事件を口実にしたアフガニスタン戦争
大量破壊兵器を理由としたイラク戦争へと
突き進む直前のことでした。


マイケルには、パレスチナの平和のために死ぬかもしれないという
予感と覚悟があったのかもしれません。(ノ_-。)

90年代初頭から、平和運動においてクリントン政権と深くかかわり、
政治的メッセージを送るデンジャラスツアーも、
同じく児童性的虐待事件で、世界ツアーは中断されました。
その時期に書かれたマイケルのメモが残されています。。゚(T^T)゚。

*Palestine, don’t cry

I will pray for you,
Oh, Palestine.
Oh, Palestine,
Oh, Palestine.

私は祈ろう あなたのため
ああ、パレスチナ
ああ、パレスチナ
ああ、パレスチナ

God’s a place for you
Oh, Palestine.
And, I believe in you.
Oh, Palestine, I will die for you.

あなたの神の地
ああ、パレスチナ
そして わたしはあなたを信ず
ああ、パレスチナ
私は あなたの為に死すだろう  
           *メモ画像・全文書き起こし和訳はコチラ


▼映画の中のオスカー・グッドマン
1970年代。全米で唯一賭博が合法な街LVのカジノを舞台に
実話を基にしたスコセーシ監督作品。
登場人物、ストーリーも原則として史実を再現したノンフィクション。
マフィア間の抗争で殺人や暴行を繰り返していた当時のLVの様子が克明に再現されている。



映画『カジノ』は、マフィアの弁護士を務めていたオスカー・グッドマン氏、
また当時の警察、メディア、カジノ従業員など関係者らの協力で、
可能な限りの情報を結集させて再現したのだそうだ。
その後ラスベガスは、マフィア支配の時代を終え、
デ・ニーロがこの映画の中のナレーションで語るように、
「健全なディズニーランドへと様変わりした」とのことである。

事実、当局の取締りが厳しくなるにつれ、
マフィアは次々とホテルの経営権を手放すようになり、
ハワード・ヒューズのような大富豪や合法的なホテルチェーンなどが、
ホテルやカジノの経営権を引き継ぎ、
ゲーミング・ライセンス(カジノ開設、運営の権利を定める一連の州法など)の
厳格化に伴いマフィアの影響力は漸減し、
1990年代にはほぼ払拭されたと考えられている。


実在のマフィアFrank Rosenthal(フランク・ローゼンタール)、
役名サム・ロススティーン (ニックネームは「エース」)を演じるのは、
名優、ロバート・デ・ニーロ。
これもまた実在のマフィア小柄で極悪人の
Anthony Spilotro(アンソニー・スピロトロ)を
ニッキー役として演じるのはジョー・ペシ。
そして、彼の妻ジンジャー役をシャロン・ストーンが演じる。

余談ですが、面白いことに、
和食レストランのオーナーシェフとして有名な、
世界で活躍するノブ・マツヒサ氏(松久信幸)が、
実在の日本人ギャンブラー柏木昭男、 作中の役名「K・K・イチカワ」を演じている。
マツヒサ氏は、2013年には、ついにラスベガスを代表する高級ホテル、シーザーズパレス内に自身の名を冠したホテル棟 「NOBU Hotel」 を持った。

彼が映画の中で演じた柏木氏は、山梨県の不動産会社社長で、
LVでは、「ザ・ワリア(戦士)」と呼ばれた全米で五指には入る
ハイロウラーとして有名であった。
ドナルド・トランプとの大勝負は後々まで語り草となるほどであった。
しかし、柏木氏は、92年、自宅で何者かに刺殺され、犯人は未だ捕まっていない。柏木昭男氏殺人事件は、時効となった。(詳しくは※下記・余談 )
この映画の背景には、同じアメリカンドリームに賭けた二人の日本人が見える。
方や、剛腕不動産成金のギャンブラー柏木昭男は、何者かに殺され、
一方、若くから寿司職人として修業。ロバート・デニーロの朋友でもあり、
共同経営者でもある料理人、松久信幸は、世界的に成功した。
現実の明暗のコントラストが凄い。



横道にそれてしまった。。

本題は、
オスカー・グッドマンについてなのだ。

さてさて、驚くべきは・・・
作中に登場するマフィアの弁護士オスカー・グッドマン氏。
その他の実在の登場人物は、別の役名が付けられているが、
役名も実名なら、オスカー・グッドマン役も本人正真正銘の本人、
オスカー・グッドマン氏が自分自身を演じているのだ。


oscar goodman
1999年から 2011年まで 12年間も
ラスベガス市長を務めたオスカー・グッドマン氏。
地元ベガスでは周知の事実だが、彼は市長になる前、
長い間超大物マフィアを顧客に持つ豪腕の弁護士だった。
ちなみに彼の妻、キャロライン・グッドマンが 2011年、ラスベガス市長の座を引き継いでいる。

Frank Rosenthal や Anthony Spilotro の裁判に関わるほどの
筋金入りの弁護士で、その法廷での証拠写真の存在は、
今でも伝説的な史実として地元では広く知られており、
マフィアの博物館、MOB MUSEUM(モブ・ミュージアム)で見ることができる。

映画の中でも登場する当時マフィアが実際に利用していた
Center Stage という店は、彼が引退後、
自身の名を冠したレストランとなり、
ダウンタウンのプラザホテル内にある。
その名もステーキハウス 「Oscar's」は2011年12月にオープンした。
前市長の顔をイメージしたロゴの下に書かれている
「Beef・Booze・Broads」 は、この店のキャッチフレーズで、
「牛肉・酒・女」という意味だ(  ゚ ▽ ゚ ;)

**********

長くなるので、ここでいったん仕切り、

オスカー・グッドマンについて、

次の記事に続きます。おじぎ




********** 余談 ************
 
※伝説のギャンブラー・柏木昭男列伝 カシワギVSドナルド・トランプ

柏木昭男氏は、富士吉田市の貧しい家に生まれ、中学を卒業後、富士山の強力 (歩荷や登山案内を生業とする日本古来の運送業者)から這い上がったといわれ、23歳ごろから不動産や貸金業を経営。富士スバルライン建設ブームで大儲けをし、事業拡大していきます。 当時から強引に金を貸して担保になる土地を取り上げるなど地元では相当に悪評が立っています。 昭和60年に東京に進出、バブル期には首都圏で派手な土地買収を行い、新聞沙汰になるほどの悪質な地上げを繰り返します。 東京・文京区では、土地を売らない地権者の私道をふさぎ、神奈川県では幼稚園まで地上げして話題になり、何度も警察の不動産犯罪捜査のターゲットになっていたような人物です。 地上げなど不動産で儲けた金を湯水のように使ったバブル紳士の一人であり、その金の使い道がギャンブルであり、しかも、ほとんどが海外でのカジノであることが彼の最大の特徴です。

 ラスベガスのバカラ仲間は、「徹夜のバカラやブリッジの勝負が終わるとミスター・カシワギは、相手をブレックファーストに誘い、サンドイッチを音を立てて食べ、英語は一言も喋れないのに体ですべてを表現した。 バクチに熱中すると、百万ドルを床に落としても平気で、実に愛すべきギャンブラーだった。 しかし、いったん負けると人が変わった。負け金を値切る迫力は、言葉がわからないだけに迫力があった」と。
 ラスベガスでのニックネームは「ザ・ワリア(戦士)」。全米で五指には入るハイロウラー(賭金が天井知らずのギャンブラー)で、彼の名前を一躍、有名にしたのは米国の不動産王と言われたドナルド・トランプとの勝負です。
 ことは、柏木氏が オーストラリアのカジノで、4日間のバカラ賭博でカジノ史上最高の29億円の勝ちを上げたところから始まります。オーストラリアでの大勝を聞いた トランプ氏が自家用ジェット機で日本まで柏木氏を迎えに来ます。
一回目の勝負は1990年の2月に行われ柏木氏の600万ドル以上(当時のレートで9億円程度)の勝利で終わりました。
二回目は1990年5月に六日間に渡って行われました。この時の勝負の条件が 
   ・1回の掛け金の上限は20万ドル(約3000万円).
   ・1200万ドル( 約18億円)のフリーズアウト協定(どちらかが1200万ドル負けるまで勝負を続ける)
 サムライ柏木は、グレーの5,000ドル(約75万円)チップを山と積んで勝負に臨み、勝負種目はバカラでした。激しく浮き沈みしながら、最後は、 1,000万ドル(約15億円)の敗北を喫します。その後も ラスベガス、アトランティックシティー、オーストラリアなどで億単位の勝負を続けていたようですが 彼の勝負は突然終了します。柏木氏が、1992年1月3日に河口湖町にある総工費35億円、工期10年をかけた総檜造りの柏木御殿でメッタ切りにされて殺されたからです。
 この突然の死で残した借金は、ラスベガスのヒルトンに五百万ドル、アトランティックシティーのトランプ・プラザホテルに四百万ドルと言われています。
 対決をしたドナルド・トランプ氏は、あの勝負を「この世界のベストだった」と振り返っている。 この一言が、最高の贈る言葉となったのでしょう。

※柏木昭男刺殺事件
調べでは、柏木さんは92年1月3日午後9時35分ごろ、
自宅台所で、日本刀のような刃物で首など計十数カ所を刺され失血死しているのが
家族に発見された。室内を物色した跡がなく、遺体の状況から
捜査本部はえん恨による殺人の可能性があるとみて捜査している。
県警は同2月、車の売買を巡り近親者とトラブルになっていた県内の暴力団組員を殺人で、
組員の知人の看護師を証拠隠滅の容疑で逮捕したが、2人は一貫して容疑を否認。
甲府地検は94年12月、2人を不起訴にした。
殺害現場に長靴の足跡が残され、後に同県大月市の河川敷で柏木さんのアタッシェケースが見つ
かったが、凶器などの有力な物証は発見されていない。