映画「レイルウェイ 運命の旅路」~旧日本軍の「死の鉄道」  | ☆Dancing the Dream ☆

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旧日本軍が侵略した地での
鉄道、道路、架橋など大規模な整備などの主目的は、
戦線への物資輸送と、侵略地から奪取した資源運輸であって、
原住民のために行った近代化や福祉的公共事業などではありません。

「泰緬鉄道」の建設は、
捕虜を初めとする多くの方の奴隷労働と命を引き換えにして行われました。





映画『レイルウェイ 運命の旅路』
映画『レイルウェイ 運命の旅路』(原題:The Railway Man)は、
エリック・ローマクスの自叙伝
『泰緬鉄道 癒される時を求めて』(The Railway Man)原作として映画化。

第二次世界大戦中、
タイとビルマ間を往来する泰緬鉄道の建設に
捕虜として従事させられたイギリス人将校と
当時施設にいた日本人通訳・永瀬隆の姿を描く。

泰緬鉄道
泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた旧日本陸軍によって建設・運行された鉄道。
大量の死者を出した過酷な建設労働から英語圏ではむしろ「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。
20世紀初頭の英領ビルマ時代にイギリスが検討していたが、地形が複雑で建設を断念した。
しかし、1942年、旧日本軍は海上輸送の危険を避け、またビルマ戦線の物資輸送のためのルートを確保するために建設を開始した。
建設現場の環境は劣悪で、雨季の中、迅速さが要求され、食料不足からくる栄養失調とコレラやマラリアにかかって死者数が莫大な数となった。
連合国の捕虜6万2000人(うち1万2619人が死亡)、タイ人、ミャンマー人18万人(うち4万人が死亡)、マレーシア人・華人・印僑8万人(うち4万2000人が死亡)、インドネシア人4万5000人の労働者が使役された。
戦後、連合軍による泰緬鉄道沿線の墓地の調査を行い、発見されただけでも二百余ヶ所、
遺体は1万3千にものぼった。

永瀬隆・著「『戦場にかける橋』のウソと真実」
永瀬は憲兵の捕虜の拷問にも立ち会うが、のたうちまわる捕虜の姿を見て身も心も動転して通訳するどころでなかったという。貧血を起こして真っ青になったら「日本軍の通訳がなにごとか」と気合い(ピンタ)を入れられた。これが繰り返されるうちに慣れが生じる。
永瀬が行っていたのは、いわゆる諜報活動で、捕虜の尋問であった。
この尋問に、激しい拷問が行われたのである。
戦後、外国人記者に「なぜ、断固として拒否しなかったのか」と言われた。
そこで次のように説明したが、彼らは理解できなかったという。 
「日本の軍隊は天皇の軍隊で上官の命令は絶対服従である。
 反抗すれば軍法会議にかけられる。
 それだけですまない。
 それは日本の村役場に通知が行き、家族は村八分になる。非国民となる。」
―やがて敗戦を迎え、永瀬が見た極秘文書には「捕虜全員抹殺」命令があった。

永瀬隆(インタビューより抜粋)
岡山県倉敷市生まれ。1941年青山学院文学部英語科を卒業[2]。同年12月[2]、英語通訳として陸軍省に入省。
1943年、タイに赴き、泰緬鉄道の建設にあたり、『建設作戦要員』として通訳に従事する。
40万人のうち12万人が死んだといわれる捕虜虐待の現場に出くわす。
後に、このことについて証言。
戦後、毎年タイを訪問し、泰緬鉄道建設に駆り出されて病死などで死亡した
連合国兵士およびアジア人兵士労働者を慰霊する。
タイにて『クワイ河平和寺院』を建立す。
タイの青少年に奨学金を授与する目的で『クワイ河平和基金』を設立。
横浜市でイギリス連邦軍戦死者の追悼礼拝を開催。
「『戦場にかける橋』のウソと真実」を、著す。

エリック・ローマックス
エディンバラ出身。おぞましい拷問続きの3年間の末に1945年故郷に戻るが、
心も体もズタズタにされ、誰も信頼できず、心を閉ざして生活を送っていた。
日本人に対して言葉では表現しきれないほどの憎悪を抱き、自分を苦しめ続けた尋問者永瀬隆への憎しみから逃げられずにいた。
1982年、隠居生活となり、自分の過去の真相を調べはじめるうちに、永瀬は情報提供をする通訳者だったと知る。彼がまだ生存しており、ボランティア活動に勤しんでいると知る。
自分が知っているナガセとはまったく異なる行いに困惑する。
拷問体験がもたらした呪縛から解放されないまま、1987年、The Medical Foundation for Victims of Tortureという拷問生活で傷ついた心をリハビリさせるプログラムに参加。憎しみで一杯だった心に変化が訪れてきた。
この変化に彼の妻は永瀬あてに手紙を執筆。そして悔恨の念に満ちた謝罪の返信を読み、直接対面を決意。1998年。永瀬はローマックス氏に頭を下げ、ローマックス氏は永瀬の手をとり、「おはようございます」と挨拶。永瀬氏はボロボロと涙をこぼし、震えながら「I am sorry」をひたすら繰り返した。
決して同情はできないが、永瀬も自分と同じように苦しんでいたと感じ、少しずつ打ち解け、笑顔さえこぼれるように。殺したいほど憎み続けていた相手はいつのまにか”友達”に生まれ変わる。
 ”許す準備が整えば、許すことが物事の解決になることがある。
  憎むことが自分を苦しめることもある。”
ローマックス氏は「許すこと」の大切さを語った。

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こちらは、「The Burma railway (泰緬鉄道)」のドキュメンタリーです。