「アンネの日記」に思う | ☆Dancing the Dream ☆

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『アンネの日記』を破った犯人は、おそらくユダヤ人と会ったこともないでしょう。
まして、親しく言葉を交わし、交流をもったこともない。。多くの日本人同様に。

あるいは、『アンネの日記』を読了していたかさえ怪しいものです。

この本を、静かに読んだ後で、
あのような破壊行為を誰ができるでしょうか?

多くの日本人のユダヤ世界のイメージは、
キリスト教世界のレンズを通してしか見ていない。
キリスト教徒が語る歪んだユダヤ人像を見させられ、
そこから抜け出せていないのです。

ユダヤ人とは、敬虔なユダヤ教徒のことであり、
彼らは、シオニズムを否定し、戦争を否定しています。

すでにユダヤ教を捨て先祖がユダヤ人である人々は、
今は、ヨーロッパ各国人、現代イスラエル人、あるいは、アメリカ人なのです。
シオニズム、そして、イスラエル建国は、
政治的キリスト教の植民地主義の流れであり、
伝統的ユダヤ教のものではありません。


モントリオール大学ヤーコブ・ラブキン教授の
『トーラーの名において―シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』を翻訳した
菅野賢治教授は、およそ、このように、
日本人のユダヤ人世界の理解は、まちがっていると言います。





『アンネの日記』から、一部抜粋。


1944・5・3(水)

あなたにも容易に想像がつくでしょうが、<隠れ家>の私たちは、
しばしば絶望的に こう自問自答します。

「 いったい、そう、いったい全体、戦争が何になるというのだろう。
なぜ人間は、お互い仲良く暮らせないのだろう。
何のために これだけの破壊が続けられるのだろう 」

こういう疑問を持つのは しごく当然のことですけど、これまでのところ
誰も これに対して納得のゆく答えは 見いだしていません。

そもそも なぜ人間は、ますます大きな飛行機、ますます大型の爆弾を一方で
造りだしておきながら、一方では 復興のためのプレハブ住宅を
造ったりするのでしょう?

いったいどうして、毎日 何百万という戦費を費やしながら、その一方では、
医療施設とか、芸術家とか、貧しい人たちとかのために使うお金がぜんぜん無い、
などということが起りうるのでしょう?

世界のどこかでは、食べ物があり余って、腐らせているところさえあるというのに、
どうして一方には 飢え死にしなくちゃならない人たちがいるのでしょう?

いったいどうして人間は、こんなにも愚かなのでしょう?

わたしは思うのですが、戦争の責任は、偉い人たちや政治家、
資本家にだけ あるのではありません。
そうですとも、責任は 名もない一般の人たちにもあるのです。
そうでなかったら、世界中の人々は とうに立ち上がって、
革命を起こしていたでしょうから。

もともと人間には、破壊本能が、殺戮の本能があります。
殺したい、暴力をふるいたい という本能があります。

ですから、全人類が ひとりの例外もなく 心を入れかえるまでは、
けっして戦争の絶えることはなく、
それまでに築かれ、つちかわれ、はぐくまれてきたものは、
ことごとく打ち倒され 傷つけられ 破壊されて、
すべては一から 新規まきなおしに 始めなくちゃならないでしょう。

これまで わたしは ちょくちょく意気消沈することも ありましたけれど、
けっして 絶望はしませんでした。この隠れ家生活を危険な冒険ではあっても
同時にロマンティックな、面白いものと見なしてさえきました。
この日記のなかでも、すべての不自由を ユーモアまじりに描いてきたつもりです。

今こそわたしは、他の少女たちとは異なった生涯を送ってみせると心に決めました。
他の少女たちとは異なる生きかたをし、さらに大人になったなら普通の主婦たちとは
異なる生きかたをしてみせる、と。

スタートは これまでのところ、じゅうぶん波瀾に富んでいましたし、
どんなに危険な時にも その中に滑稽な一面を見つけ それを笑わずには
いられない というのも、もっぱら それだからです。

わたしは若く、今はまだ埋もれている多くの資産をそなえています。
若く、強く、そして今まさに 大いなる冒険を生きています。
今は その冒険のただ中にいるからには、たとえ どんな楽しみも得られないから
と言って、一日中 愚痴ばかり こぼしているわけにはゆきません。

わたしは 多くのものを与えられています。
明るい性質と、あふれるばかりの明朗さ 強さを持っています。
日ごとに わたしは自分が精神的に成長してゆくのを感じます。

解放が近づいているのを 自然がいかに美しいかを、
周囲の人たちが どんなに善良な人たちであるかを、
この冒険がいかに面白く 興味の尽きないものであるかを
感じています。

だったら、なぜ絶望することがあるでしょうか。



1944・7・15(土)

じっさい自分でも不思議なのは、
わたしが いまだに理想のすべてを捨て去っていない という事実です。
だって、どれもあまり現実ばなれしていて、
とうてい実現しそうもない と思われるからです。
にもかかわらず、わたしは それを捨てきれずにいます。

なぜなら 今でも 信じているからです・・
たとえ いやな事ばかりでも、人間の本性は やっぱり 善 なのだということを。


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図書館の「アンネの日記」や関連書物を大量に破った犯人は、
「日記はアンネ・フランク自身が書いたものではない」と
批判するような供述をしているようです。

「アンネの日記」の真贋論争は、半世紀以上前に
ホロコースト否認論者らによって起り、
精緻な調査によって、「日記のオリジナリティーを損なうものではない」として
決着をみています。

・ボールペンの件
・メイヤー・レビンの件・・etc.

経緯は、コチラを↓お読みください。
◆「アンネの日記」wiki
  日記のオリジナル性
  日記の真贋に関する論争の歴史


◆「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで