マイケルとカポーティの鏡④ ~「アラバマ物語(To Kill a Mockingbird)」 | ☆Dancing the Dream ☆

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「子は親の鏡」・・と言いますが、
アラバマ物語から読むと、
「子は親のMockingbird」である・・とも言えるのです。

生涯独身で、子供を持たなかったtom-boyのハーパー・リーと、
ゲイのトルーマンカポーティは、互いが互いを映し出す鏡のような存在であり、

また、文学者としての二人も、
コインの表と裏のような作品『アラバマ物語To Kill a Mockingbird』と『冷血(In Cold Blood)』を書き、互いが互いのMockingbird(ものまね鳥)となったのかもしれません。

トルーマン・カポーティのもつイメージは、
皮肉屋の天才作家。ゲイのセレブリティ。
一作品を完成させて以降、筆が枯れ、奇行が目立つアルコール中毒者。
軽薄で冷血な露悪家。気味の悪いチビの気取った白人・・etc.
およそ、一般的には、疎外されるキャラクターとして認知されています。
しかし、彼の文学作品の文章は、この上なく繊細で美しいのです。
作品もまた、作者を映す鏡であり、作者の心を歌うsongbirdsなのです。


そして、作品『冷血In Cold Blood』の一家皆殺しの殺人者ペリーに対し、
    「僕らは同じ家の中で育ったような気がする。
     彼は裏口から出て、僕は表玄関から出た」と書いているように、

殺人者ペリーの人生は、
親に虐待され見捨てられ、施設では世話人に虐待され、
幸福な子供時代と呼べるものは、全くないものでした。
そのような少年の心境は、常に不安で、
それでいて、大人の世界を鋭く深く洞察し、
傷つきやすい観察が芽生えていくのです。
見捨てられることを怖れるからです。

孤独なペリーにとって、唯一の仲間と呼べる存在の
共犯のディックは、一家への殺意を持っていました。
ペリーは、この心理を直感的に読み取り、
全く殺意のなかったにもかかわらず、彼に変わって、
一家全員を射殺するという倒錯的行為に走ってしまうのです。

死刑が確定し、心静かに時を過ごすペリーは、文学や音楽を好み、詩や絵を書く
穏やかな人間でした。
これこそは、ペリーの本来の姿であったかもしれません。
ペリーもまた、鏡のような存在であり、「ものまね鳥」なのです。

虐待の連鎖は、親から子へと。
そして、世界に暴力の連鎖を産むのです。

マイケルジャクソンは、
無垢な子供たちの澄んだの眼差しを鏡とし、
「子供たちこそが、師である」と言い、
最も尊いものとして、世界中の子供たちを愛しました。

さて、しかし、生前のマイケルジャクソンに対するイメージは、
どんなものだったでしょうか?


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『アラバマ物語To Kill a Mockingbird』の
グレゴリーペック扮するアティカス弁護士は、こう言いました。

"First of all," he said,
"if you can learn a simple trick, Scout, you'll get along a lot better with all kinds of folks. You never really understand a person until you consider things from his point of view […] until you climb into his skin and walk around in it." (3.85-87)

「まず初めに」彼は言った。
「もしお前がシンプルな秘訣を学びたいのだとしたら、スコット、
 ありとあらゆる人々とじっくりと付き合ってみることだ。
 彼の立場から物事を熟考してみるまで…彼の皮膚を着込んで、
 そうして歩き回ってみるまでは、決して本当にはその人を理解できないんだよ。」


そして・・
マイケルジャクソンも、アティカス弁護士と同じようなメッセージを表しました。

欧米では馴染み深いフォーチュンクッキーの中にも見られるインディアンの諺を引いて書かれた
マイケルの有名なメッセージを、改めて訳してみます。

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Michael's handwritten note, published in People Magazine (12 October 1987)
ピープルマガジンに公開されたマイケルの手書きメモ。



“Like the old Indian proverb says,
Do not judge a man until you’ve walked two moons in his moccasins.
Most people don’t know me,
that is why they write such things in which most is not true.
I cry very, very often because it hurts,
and I worry about the children,
all my children all over the world, I live for them.
If a man could say nothing against a character but what he can prove, his story could not be written.
Animals strike not from malice, but because they want to live, it is the same with those who criticize, they desire our blood, not our pain.
But still I must achieve.
I must seek Truth in all things.
I must endure for the power I was sent forth, for the world, for the children. But have mercy, for I’ve been bleeding a long time now. MJ.“

 「古いインディアンの諺はこのように言う―
  彼のモカシンを履いて、二つの月を歩いてみるまで、人を判断してはならない。
  ほとんどの人は僕のことを知りはしません。
  それが何故彼らが真実からかけ離れたことを書くのかという理由なのです。
  僕は、本当によく度々泣くのです。そのことに傷つけられて、
  それから、子供たちが心配で。
  世界中の僕の子供たち、僕は彼らのために生きているのだから。
  もし人が証明できる人物像についてしか言うことができなかったとしたら、
  彼の物語は書かれることはなかったのです。
  動物は、悪意から打ち倒したりはしません。けれども、彼らは生き延びたいのです。
  酷評する人々もそれと同じなのです。彼らは、僕らの血を求めているのであって、
  痛みを求めてているのではないのです。
  けれども、僕はまだ成し遂げねばならないのです。
  僕は、あらゆることの真実を探し求めなければならないのです。
  僕は、世界のために、子供たちのために、前進する力を持ち堪えなければなりません。
  けれども、どうか慈悲を。僕は長い間、今も、血を流し続けていることに。 MJ.」