「悪い奴ほどよく眠る」という映画がありましたが・・
マイケルに言わせれば、
魂を殺された人間は、「People laugh when they're feelin' sad」。
魂を殺された人間は、悲しい時に笑っちゃうというような、
誤作動を身体が起こすということですね!
これが、無感覚なゾンビ(魂の死者)に成り果てた兆候だというわけです。

逆風を受けながら、10円ハゲをつくって戦い、
スタートラインに立った 山本太郎君の顔は引き締まっていた!
バンザイもなかった!
なぜなら、我が国の窮状は、選挙の勝利に浮かれている場合ではなく、
変えていかねばならないということを肝に銘じているからですよね?

でも、
この人たちは、いまだ問題が山積し
国民が苦しんでいるというのに、
立場が安泰であったことを喜んで、満面の笑みを浮かべている。
なぜだ!!!!
公安調査庁で、国外情報を 担当する調査第二部部長を務めた
菅沼光弘氏の話を聞くと、社会が、いかに「闇」に結びついている事実が解る。
政治も、その外ではないのだ。
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マイケルの生涯にも
彼に迫る不吉な「闇」が、
真っ赤な舌を覗かせ、姿を現している・・と感じられる時がありました。
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1984年2月28日
第26回グラミー賞授賞式 8冠達成。
時は、ロス五輪のスポンサー競争を巡って、「コーラ戦争」と呼ばれる、
激しい経済競争が起きていた。
ロス五輪のスポンサーは、コカ・コーラの手に落ち、
ペプシ・コーラは、マイケルジャクソンとのスポンサー契約を獲得した。
この激戦は、結果的に、マイケル人気によって、ペプシがシェアーを伸ばし、
コーラ戦争に勝利する形となった。
因みに、コカ・コーラは、1982年にコロンビア映画を買収したが、
わずか7年後の1989年にはソニーにM&A(企業買収)をかけられ売却している。
コーラとは、そもそも、南北戦争で負傷しモルヒネ中毒に陥った兵士が、
中毒を治すものとして思いついた、当初注目され始めたコカインを使った
薬用酒だった。
第二次世界大戦に、5セントの瓶入りコカ・コーラは、戦略的に
アメリカ軍兵士のの軍需品として世界に広まったため、
資本主義の象徴として扱われた。
そして、
1984年1月27日
ペプシ・コーラCM2本目の撮影中、頭部に2級と3級の火傷を負う。
1985年には、ビートルズを含む数千曲の版権の取得した。
1988年に、統一教会がマイケルに触手を伸ばす。
統一教会が、ジャクソン家を金品で絡め取り、
マイケルを抱き込もうとする問題が発生した。
統一教会(ムーニーズ)は、マイケルの韓国ツアーのスポンサーになるという
野望を持っていたのだ。
統一教会(ムーニーズ)側が公演を成功させるために送った人物は、
現在石油コンソーシアム(共同事業体)であるUIエネルギーの会長を務める
チェ・ギュソン(米国名ケネス・チェ)氏。
チェ氏は公演を成功させるためにジャクソンの兄弟と両親にまず接触を試みた。
統一教会はソウルオリンピックスタジアムで4回の公演を持つ条件で、
兄弟と両親に総額750万ドルを支払うという条件を掲げた。
兄弟・両親は統一教会の提案を受け入れた。
ジョセフは彼らからロールスロイス、彼の兄のジャーメインはレンジローバーを、
母のキャサリンは息子を説得させる条件で現金100万ドルを受け取った。
そして、マイケルのマネージャー、フランク・ディレオの所へ50万ドルの小切手を
2枚持ってやって来た。
ディレオとジャクソンは統一教会と関わりたくなかったので、これを拒否した。
しかし、その間、彼らは、父ジョーとジャーメインとツアー契約をしたが、
それは不履行となった。
そして、統一教会は550万ドルを失ったと訴えた。
この訴訟で、エンシノの自宅を失うことを避けるため、
ジャクソン家は家の所有権をマイケルに移した。
1992年、マイケルは統一教会と合意し、訴訟を解決させた。
しかし、両親は、統一教会から訴えられた別の訴訟の被告でもあり、
1994年、彼らに総額400万ドルの支払いを命じる判決が
言い渡された。
1993年8月デンジャラスツアー中に児童虐待疑惑で家宅捜査。
11月12日 Dangerousツアー中止。1月25日 少年側との「和解」成立。
11月14日 には、ペプシがマイケルとのCM契約解除を発表した。
1996年10月11日~13日
ヒストリーツアー韓国ソウルのオリンピック・スタジアムで韓国初公演。
マイケルは、ソウル一日目、声が出ない、ダンスを間違えるなど、
インフルエンザで高熱がありコンディションが悪かったと伝えられている。
「アースソング」では、少年がゴンドラによじ登り乱入する事件があった。
このヒストリーツアーは、ペプシに変わり、
1996年3月19日、マイケルが、サウジのアルワリード・ビン・タラール王子と共に
立ち上げた「Kingdom Entertainment」がスポンサーとなった。
この合弁会社は、フィルム「Ghosts」をプロデュースしたが、
テーマパークなどの開設計画は、ことごとく霧散した。
1998年、日本でも、マイケルと日本の右翼フィクサーが接触。
空手段位授与し、マイケルが『キックボクシング チャンピオンカーニバル』に出て
型を披露すると発表して、珍奇な話題を巻いた朝堂院大覚(松浦良右)なる
フィクサーが、テーマパーク建設計画の橋渡しを行っていた。
朝堂院大覚氏とマイケルは、ライセンスに関する契約を締結し、
マイケルジャクソンジャパン株式会社を立ち上げた。
ライセンス契約の有効期間は、25年で現在も継続中ということになる。
1999年6月25日韓国ソウルのオリンピック・スタジアムで韓国初公演
「マイケル・ジャクソン・アンド・ヒズ・フレンズ」と題された
「南北統一を祈るコンサート」の韓国公演のこの日は、
朝鮮戦争の勃発から49年目の日でもあった。
つづく、6月27日のドイツ、ミュンヘンの公演では、
「アース・ソング」のセットの橋がマイケルを乗せたまま落下してしまうという
事故が起こり、以降、この後遺症で背中の痛みが持病となる。
こうして、・・マイケルの韓国公演は果たされた。
2003年、児童性的虐待の容疑で裁判。
2008年、ネバーランドの危機。
不動産投資会社コロニー・キャピタルが、
投資会社フォートレス・インベストメントグループからマイケルの約25億円の
債権を買い取り、差し押さえを回避。
6月にマイケルは、コロニーの関連会社による合弁事業、
シカモア・ヴァレー・ランチ・カンパニーを設立し、
マイケルが、これに11月、譲渡証書を提出し、ネバーランドを譲渡。
マイケルは、この土地の所有権をコロニー側と共有する事で
ネバーランド売却を回避した。
これは、兄ジャーメインのルートから、レバノン系アメリカ人、Dr.トーメへ。
Dr.トーメ経由で、コロニー・キャピタルのトーマス・バラク氏に繋がって
発展したものだ。
ジャーメインは、dr.トーメをコロニー・キャピタルのチェアマン(会長職)だと
認識し、窮状を救える有力者だと見なしていた。
トーメは、ネバーランドを救った功績から、
2008年6月にマネージャーに任命されており、
無料報酬で財政危機を救う旨を語っていた。しかし、法的文書では、
マイケルジャクソンプロダクションの社長として記録されていた。
トーメは、ネバーランドの個人的なアイテムを
オークションにかけようとした人物でもあり、
これは、マイケルの意向で阻止された。
そして、トーメの紹介でトーマス・バラク氏へ、
バラク氏の故知の富豪フィリップ・アンシュッツに繋がった。
AEGはアンシュッツの子会社の1つであり、
ロンドン公演はバラック氏とアンシュッツ氏の連携によって企画された。
2009年、3月、ロンドンO2アリーナでの「This Is It」コンサートの開催を発表。
2009年、6月25日 マイケル急死。
ここで、話を、ジャクソン家と統一教会絡みの訴訟の話に戻すと・・
上記の判決のため、両親は、クレジットカードが使えず全てを現金で支払い、
信用による融資も受けられなかったという。
これが、1999年の、負債2400万ドルのジャクソン家の破産の一因となった。
そして、時を経た。
統一教会は、ジャクソン家の未払い金を、しばらく黙って待っていたのである。
統一教会への賠償金は、利子により、賠償金は1300万ドルまで膨らんだ。
統一教会は、マイケルの遺産から、彼らの取り分を得ようと戻ってきたのだ。
マイケル・ジャクソンの遺産を管理しているのは、
マイケル・ジャクソン・エステート。
遺言執行人は、弁護士ジョン・ブランカと、
レコード会社重役で長年ジャクソン家と親交のある
共同執行人ジョン・マクレーンが務める。
ジョン・ブランカは、1985年の版権取得し貢献した弁護士であるが、
90年に円満退職し、93年に版権契約の件を機に復帰した。
しかし、NYの調査会社インタファー社による調査結果から、
当時、マイケルと敵対していたソニーの重役であったトミー・モトーラとジョン・ブランカは、
不法にマイケル・ジャクソンのお金をカリブ海のオフショア口座に送っていたことが発覚した。
2003年2月マイケルは、ブランカに
「私自身、および、私が所有、又は管理する企業に関する全ての文書、記録、書類、および財務諸表のすべてを譲渡するように」との解雇通知を送った。
ところが、不思議なことに、
2009年6月、マイケルの死のわずか1週間前に呼び寄せられ、
再雇用の契約を交わしていたのだ。
このブランカとマクレーンは、2002年付の遺言で遺産の管理の執行人として、
マイケル自身が抜擢したとされている。
エステートは、2010年3月16日ソニー・ミュージックにマイケルの未発表音源を中心に向こう7年にわたり発売することで、2億ドル以上(1ドル100円として200億円)の契約を交わした。エステート側は7年で10枚のアルバム分の作品をソニーに渡す。
マイケル自身が、自分に向けられる陰謀の元であると考えていた
版権管理会社ソニーATVミュージック・パブリッシングが持つ
音楽著作権のマイケルの持ち分50%の所有権は、
現在、マイケル・ジャクソン・エステートにある。
眠れないマイケルは、言いました。
"going to do that for them."
"That will be remembered more than my performances.
My performances will be up there helping my children
and always be my dream.
I love them.
I love them because I didn't have a childhood.
I had no childhood.
I feel their pain.
I feel their hurt.
I can deal with it.
'Heal the World,' 'We Are the World,' 'Will You Be There,' 'The Lost Children.'
These are the songs I've written because I hurt,
you know,
I hurt."
「子供たちのためにやるんだ」
「僕のパフォーマンスよりもそのことが記憶に残るだろう。
僕のパフォーマンスは、僕の子供たちを助け、天国につれて行く。
いつだって、それが僕の夢だ。
僕は、子供たちを愛している。
僕には子供時代が無かったからこそ、彼らを愛しているんだ。
僕には、子供時代が無かった。
僕は、彼らの痛みを感じる。
僕は、彼らの傷を感じるんだ。
僕には、対応できる。
ヒールザワールド、ウィーアーザワールド、
ウィルユービーゼアー、ザロストチュルドレン、
僕がこれらの曲を書いたのは、僕が傷ついているからなんだ。
解るかい?
僕は傷ついているんだ。」