お金と芸術家②~芸術のパトロンやスポンサー | ☆Dancing the Dream ☆

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1.パトロンやスポンサーの歴史


1 -1パトロンの誕生から新興市民層まで
古代ギリシア時代には,都市国家や個人によって劇場が建築されたり,職業音楽家を使った見せ物などが上演されていたが,

一般的には初代ローマ皇帝の部下であったマエケナスが才能のある詩人に創作のための環境を提供したことが,芸術支援の始まりとされている。


現在「文化支援」として用いられている「メセナ」は,マエケナスに由来するといわれているが, この支援は,芸術によって政治的安定を図るという目的
ももっていた九中世では,教会や宮廷が権力示威や公の告知のために音楽や美術を保護していたが,画家や彫刻家は職人として,また音楽家は宮廷に奉仕
する人とみなされ,芸術家という概念はまだなかった。

ルネサンス時代に入り,"優れた芸術の力量を認め,評価し,その芸術家に活躍の場を与える保護者」となるパトロンと呼ばれる人々が現れ、

職人や宮廷の奉仕人が「芸術家」と認められ,漬奏や作曲,絵画彫刻は「芸術作品」であるという考え方が起こってきた。


これが芸術に対する支援の始まりと考えられる。
フィレンチェの銀行家メディチ家を始めとする富裕な商人や同業者組合などが,新たなパトロンとなり芸術家を支援した。

同業者組合の間には経済活動に対する強い競争意識があり,競争は芸術支援にも及んだ

この芸術支援には,勃興してきた北ヨーロッパ領主へ輸出される織物等生産のための研究開発という目的もあり,産業発展との密接な関係があった。

芸術支援から得た経済的利益は大きいと考えられるが,メディチ家がおこなった音楽や芝居,美術作品の若い芸術家や一般の人々への公聞は,芸術支援
の形態として評価されている。
経済交流が活発になり富裕層の増加とともに,北ヨーロッパにおいても商人による芸術振興が盛んになり, 17世紀には「商人組合」が教会での演奏会を支援するようになった。

ルネサンスから17世紀にかけて,芸術支援者は王侯・貴族や教会から富裕な市民層へと拡大されたが,18世紀までは芸術は基本的に一部階層の私的な
趣味・社交であり公共性をもつものではなかった。

一方,演奏会開催はもはや数人の負担だけでは困難になり,

"一般からの寄付」や「予約金支払い制度」によって補われるものもあり、

17世紀中頃には「会費制演奏会」も開催されるようになっていた。
芸術支援者の拡大にともない,特別な知識がなくても理解できる風景画などのジャンルが生まれ,同時に絵画を売買する画商も表れ,作品が市場性を持つようになった。

また,娯楽的な音楽(ポピュラー)の演奏会を開催する興行者も現れるようになった。


1 -2. 公的支援のはじまり
18世紀初頭には,会員のために演奏会を開催する「音楽協会」が設立されるようになった19世紀になり社会的経済的な平等が進み市民層がさらに拡大すると,「音楽協会」に対して公開性が求められるようになり,大きな空間で多数の聴衆を集め収益を上げ,可能なかぎり質の高い演奏家による演奏会が開催されるようになった。

また,近代国家の国威発揚の手段とされた文化政策により美術館等が建設され,一般市民が入場料を払って作品を鑑賞するようになり,芸術への関心が高まっていった交響曲演奏のために各地で建設されたオルガン付きコンサートホールは,劇場やオペラハウス,市庁舎とともに都市景観の誇りとなるものであったが,同時にその費用についてはさまざまな反響を受けることにもなった。

第1次世界大戦後のヨーロッパでは,経済的社会的状況の変化のために赤字になったり解体した多くの「音楽協会」に代って,自治体がコンサートを開催するよう強く求められた。演奏会運営に「経済性」はもはや決定的な条件となり,少数のパトロンや「音楽協会」が演奏会を主導する地域はほとんどなくなった。

演奏会を成立させるためには,自治体支援に加え,多くの聴衆を集めるための方法や経営を集中させるマネジメントが求められるようになり

聴衆を集めるために適切な入場料でわかりやすいプログラム構成が義務づけられる演奏会もあった。

芸術の公的支援は,社会的平等と経済的平等の進化によって確立されてきたといえる。

社会的平等の進化は,芸術を一部の人々の私的財から社会的価値のあるものという考え方を社会に普及させたとともに,多くの人に芸術を享受できる機会や環境が提供されなければならないという芸術の公共性を認識させた。

それは, 「公共の福祉のために」音楽知識がなくても楽しめる演奏会の積極的な開催が,一般市民の観客を増やしたことなどに見られる。

経済的平等の進化は,少数の人々で芸術を支援することを困難にさせた。

彼らが支援してきたものは市場メカニズムによっては供給されない芸術ジャンルであったことが,芸術の公共性とともに公的支援導入の根拠となっていった。
20世紀に入り, ヨーロッパでは国家や自治体が主に芸術を支援するようになり,芸術は社会的な価値をもつものとして認識されるようになった。

現在, フランスでは政府が, ドイツでは州政府が,また英国では間接的に国家が芸術を支援している。特に, フランスが国家として芸術を強く支援している理由は, 1966年に出された文化大臣への報告書に「かつての王侯貴族たち
の芸術に対する責任を国が受け継いでいることは明らかである」に表れている


1 -3. 企業
国家や州政府が芸術の重要な支援者となっていったヨーロッパに対して,米国では19世紀末から20世紀初頭にかけて,産業成長時代に築いた財産を所有する実業家が,美術収集,音楽団体を支援していた。

中でも, 20世紀始めに設立されたロックフエラー財団やカーネギー財団などの個人資産による大型財団が果たした役割は大きく長期に渡っていた。

1929年の恐慌以降1955年頃までに,富豪といわれる実業家は激減し,代わって企業や「ゆたかな市民層」などが芸術を支援するようになった。
企業の芸術支援は,米国企業が企業も地域社会の一員であるという「企業市民」の理念に基づいて福祉や教育などを支援する社会貢献活動(フイランソロビー)の一環として始まり,その後,企業の海外進出を通じて各国へと普及してきた。

企業フイランソロビーは「企業市民」の理念だけで普及したのではなく, 1935年の内国歳入法の改正による企業寄付金の合法化を始めとした寄付税制の整備や芸術への政策的意義の変遷など,支援の動機を高める政策や企業をとりまく社会的経済的変化を背景に発展してきた。
発展の歴史には3つの契機がある。

第1の契機は,第2次世界大戦時に増税を強いられた企業が寄付控除制度を使い設立した企業財団が急増した時期である。

この時期に支援基盤は整備されたが,芸術は富裕な個人に支援されることが多く,企業にはまだ合理的な支援理由がなかった。

第2の契機は, 1960年代に,連邦政府において芸術文化への助成・支援を行う独立機関CNationalEndowment for the Arts,以下NEA)が設立され,芸術が宇宙開発とともに国民的威信を形成する外交政策に位置づけられた時である。

NEAに評価されたプロジェクトは企業にとって合理的な支援理由となり,芸術支援もフイランソロビー活動として認識されるようになった。

第3の契機は, 1980年代の「小さな政府jを標携するレーガン政権の時代に,新古典派経済学グループによって,芸術は民間によって供給されるのが望ましいとして,NEAによる公的支援に疑問が提示されたときである。

この時政府は非営利団体への補助を大幅に削減し,同時に企業の公益寄金の控除率を5%から10%まで拡大することで削減分を企業寄付で補う政策を実施した。

その結果は,税引き前利益に対する企業の寄付金が, 1970年代の0.8%代から1980年代には約1.8%の増加となって現れた。

企業の芸術支援は,経済的・社会的変化からも大きな影響を受けてきた。

1950年代には,資金援助から,モノやサービス,ノウハウ,資金集めの「人」の提供へと支援形態が多様化していった。

企業の支援動機は2つあった。

1つは,所得や時間にゆとりのある市民がつくりだした新たな市場への対応である。企業は必需品とはいえないが賛沢な商品の生産を増やし,価格より質を強調する方法で市場に対応し,商品のイメージを高めるために芸術を支援した。

もう一つは,高学摩化した労働力の確保であった。広い国土での工場などの再配置計画では,高学歴な専門職の従業員の雇用に地域の文化環境を考慮することは,重要事項の一つになっていた。
それまでの芸術支援が芸術への理解や作品の評価を伴うものであったのに対して,企業の芸術支援の多くは,市場開拓や労働力の確保など長期的な企業利益への貢献という目的をもっていたといえる。

1 -4. 個人
米国では, 1960年代になると国民所得基準を上回る「中流階層」が半数近くを占めるまでになり,芸術の支援者は富裕で保守的な階層から,「ゆとりのある階層」にまで拡大された。

「ゆとりのある階層」は単に必要なものだけではなく,快適さや自己実現,新しい生活スタイルに関心をもち,高等教育を受けている人が家族の中にいることが多く,家計の代表者は専門的な職業に就き,ユダヤ人が多かった。

また,彼らは職業上移動が多く,大都市から文化環境が整備されているとはいえない町へ移動をすることもあった。

新しい土地では,地域の芸術団体に入り文化活動を始めることが多く,寄付やボランティア活動などを通じて芸術の支援者となっていった。
富豪の実業家の支援力が弱まった1950年頃,交響楽団や美術館が存続の危機に見舞われた。
このとき代わって支援者となったのが, I寄付者協会」である。

「寄付者協会」は,少額ではあるが毎年一定の寄付をする多数の市民によって構成された団体であった。

一方,芸術団体は,新たな支援者を開拓するための企画を積極的に実施した。例えば,交響楽団はポップコンサートや郊外コンサート,子供のためのコンサートなどを開催し,美術館は駅や路上で美術展を開催したり,夜間にも開館できようにして芸術の普及に努めた。

デトロイト市の芸術振興フ。ログラムでは,学校や図書館, ショッピングセンターに市民と芸術家との話し合いの場として「芸術に関する対話」が開催され,芸術作品ばかりではなく都市計画までもが話題にされた。

支援拡大のための企画が,住民が芸術に接触する機会を増やし,社会における芸術の価値を高め,芸術の消費者やパトロンを育成することになったのである。


2. パトロンとスポンサーの特徴


2 -1.私的に供給される公共財理論における個人
パトロンとスポンサーの理論分析には,私的に供給される公共財理論を発展させたMazza(1994)の分析がある。

Mazzaは,芸術を支援する主体は利己的であると仮定している。

これは,私的に供給される公共財理論モデルで仮定されてきた利他的個人へ疑問を提示したAndreoni(1988)の分析に沿ったものである。

利他的個人モデルでは,寄付は利他的動機のみによって選好され,寄付者は寄付行為そのものからは何ら効用を得ないものと仮定されているため,個人の効用は私的財の消費と公共財の総供給量の関数として表される。そのため,政府の公共財供給は,私的に供給される公共財の量を完全にクラウドアウトするとされていた。
Andreoniは,アメリカの実証分析が,

①多数の個人が寄付をすること,

②寄付の総額・個別の額ともに大きいこと,

③政府の公共財供給は寄付を部分的にしか減らさないこと

を明らかにしていることから,利他的個人のモデルでは大きな経済における寄付のメカニズムを説明できないことを示した。
Mazzaは,パトロンやスポンサーは芸術支援から効用を得ると仮定している。

寄付による効用は,自発的供給による公共財の消費と自らの寄付行為から得る効用から構成される。

寄付から得る効用はさらに,心理的な満足と経済的便益の合計として表される。経済的便益は,寄付が社会から賞賛されることによって生まれる。
寄付から得る賞賛の大きさが所得によってウェイト付けされると,所得が相対的に大きい寄付者は特別な貢献をすると仮定されている。

さらに,社会が芸術や寄付行為に価値をおく程度によって,賞賛を得られる寄付の水準が変化することを示している。


2 -2. パトロンとスポンサーの特徴
芸術支援の歴史および理論的な分析からパトロンとスポンサーの特徴を考える。
パトロンは支援を通して社会的地位の確保や威信を高める目的とともに,支援する芸術そのものに関心をもち芸術支援から心理的な満足を得る。

支援には,芸術や芸術家への理解や評価に関する知識が必要であり,支援の対象や方法の決定にはパトロンの噌好が大きく反映される。
パトロンによる支援は芸術的関心に依存する傾向をもつことから,若い芸術家や新しいジャンルなどのまだ芸術の評価が確立していないものも支援の対象に含まれることがある。
一方,スポンサーによる支援は支援者の利益に適うことが最優先される場合が多く,芸術の物的経済的支援者ではあるが,必ずしも芸術への理解や評価を伴うとは限らない。

社会が芸術に関心があり,芸術が社会的価値をもっている社会において芸術支援は高く評価され,長期的な経済的利益をもたらことになる。

利益には,芸術支援をとおして企業のイメージアップを図るなどの宣伝効果や優秀な人材の採用を可能にするリクルート効果などの他に,選挙に当選す
ることなども含まれる。

その結果,スポンサーの支援は社会的評価の得やすいジャンルや芸術家,支援形態へ向けられる傾向をもつ。

もちろん,スポンサーも芸術支援から心理的な満足を得るであろうが,企業や組織内の数人によって支援が決定される場合などはパトロンより満足は小さいと考えられる。


==============北海道大学・安田睦子さんの論文より