Blue Gangsta①~ マイケルはギャングスタ達の抗争の仲裁を試みた!!! | ☆Dancing the Dream ☆

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「ギャングスタ」とは、
本来はストリートギャングやヤクザ者の事を表すスラングだが、
ハーレム等の黒人街を中心に、1980年代中盤に誕生した
過激で攻撃的な歌詞を用いるラップスタイルは、ギャングスタラップと呼ばれ、
Ice-TやN.W.A.等がその元祖とされる。
ドラッグ、高級車、売春、レイプ、金、銃…などの犯罪の匂いのする危険な題材は、
劣悪な環境で生活している子供達にとって正に等身大のものであり、
スラムの差別構造下の叫びを表現し体現したギャングスタラップは、
絶大な支持を受けたのだ。
しかし、
裏で糸を引くマフィアらは、ギャングスタラッパーの所属レーベルの抗争に参戦。
ヒップホップの東西抗争は、アメリカ裏社会の東西抗争へと発展する。

        ===============

    マイケルジャクソンの未発表曲Blue Gangstaは、
    表層的には、「男女の恋愛のかけひき」が題材かのように受け取れる。。
    新しいSmooth Criminal。広義の捉え方はあるだろう。
    しかし…おそらく…
    深部では、当時のリアルな    
    「音楽業界の腐敗した内情」をテーマに据えた曲
なのではないかと思う。。
    90年代ヒップホップ界のアーティストが裏社会に巻き込まれ
    流血の惨事に及ぶ未解決事件が頻発した。

    この状況を憂慮したマイケルジャクソンは、
    若きラップアーティストを起用して
    影で彼らのメンターとなって、
    変化へと導いていたのではないかと思われる。
    マイケル自身も90年代後半、ソニーとの確執は激化し、
    その根本原因は彼のもつ版権をめぐる陰謀であると理解していた。
        

    そんな中…Blue Gangstaという曲は、
    奇妙な妨害を受けるのだ。。。


=====リークの被害を受けたBlue Gangsta=====

Blue Gangstaと言う曲は、2005年頃から流出。
2007年後半、ブルックリンのハウスシーンから登場した新しく
比較的名の知られていないTempamentalのMySpaceで
No Friend Of Mineと言うタイトルで公開された。(Souce:MJFrance.Comより抜粋)

もともとBlue Gangstaは、曲は、エリオット・ストレイト(Elliot Straite =ドクター・フリーズ:Break of DawnやA Place With No NameをMJと製作した)が書いたもので、2006年当時のDJ入りのGangsta,No Friend of mineは、マイケルは全く関わっていないとマイケルサイドの確認がとれている。(MJJcom.より抜粋)

Invincebleをマイケルと手がけたドクター・フリーズは、
マイケルの次のアルバム計画にも参加する予定で
"A Place With No Name" と "Blue Gangsta"を推し進めていたと言う。
ネットにリークされた両曲は、マイケルと完成し確定していたもの。
Blue Gangsta」に関しては、「僕の新しいSmooth Criminalを作りたかったんだ 2000年代の現代的な感じでね。」 そういう考えだった。
リーク後、ミキシングを変え、殊に"Blue Gangsta"に関しては楽器の再収録も
考えていた。 
Tempamentalによって出された「No Friend Of Mine」に関して、
このリミックスを聞いたとき、何が起こったか理解できず、どこで曲を入手し、
なぜリリースしたのか漏出の顛末は、マイケルもドクター・フリーズも及び知らないことだったと言う。。(Souce:MJFrance.Comインタビューより、まとめ)









 ジェイソン・マラカイによる「7EVEN」というFAKEまで出回った。 




=====マイケルジャクソンがthe Gameに電話=====
     50セント&ザ・ゲームの仲裁役を買って出る


敵対してきたドクター・ドレー(Dr. Dre)、50セント(50 Cent)らに対して初めて謝罪を表明し、「ビーフは終わりだ」と宣言したラッパーのザ・ゲーム(the Game)が、実現することのなかったマイケル・ジャクソン、50セントとのコラボレーションについて語った。     
                (注;ビーフ=「ディスる」軽蔑し、攻撃すること。
                disrespect(ディスリスペクト)=軽蔑、無礼

ザ・ゲームが、MTVニュースに語ったところによると、2005年より続いていたビーフの真っ只中、ザ・ゲームがツアーでカナダ滞在中に、マイケルから突然電話が入った、とのこと。驚き緊張しているゲームに対し、マイケルは、ゲームの楽曲"Hate It or Love It"や"How We Do"を褒めるなどし、和やかに会話は進んだ。 
最後にマイケルは、50セントとザ・ゲームとで3人でコラボレーションし楽曲を作りたい、とオファーし、「君たちの間に何が起こったのかは深くは知らないが、仲裁役になれたらいいと思っているんだ」とも語ったらしい。

ザ・ゲームはマイケルの死後いちはやく、トリビュート曲、"Better on the Other Side"を発表。この曲にはクリス・ブラウン(Chris Brown)、ディディ(Diddy)、ボーイズIIメン(Boyz II Men)、マリオ・ワイナンス(Mario Winans)らも参加している。50セントも最新ミックステープから、"Respect It or Check It N---a"と"Where You Are"の2曲をマイケルにささげている。(2009年7月)


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ザ・ゲーム
本名Jayceon Terrell Taylor。 1979年ロサンジェルス生まれ。
両親とも薬物中毒。父親は、彼の姉妹をレイプするなど、機能不全の家庭に育ち、7歳で養護施設に送られる。15歳でfoster care(=非行の子供や育児放棄された子供を施設または代理の家庭で保護すること)のシステムから削除される。
バスケットボールの奨学金を得て大学に進むが、薬物問題で除籍処分となる。
薬物売買などギャング稼業に足を踏み入れ、抗争事件で銃弾を浴び、3日間昏睡状態となった経験を持つ。
回復退院の後、兄と共にレーベルを設立し、ミックステープを作成する。

ゲームのミックステープが、Bad Boy RecordsのSean Combsの手に渡り、才能を認められ契約寸前であったが、その直後Dr. Dreによって見出され、2003年Aftermath Entertainmentと契約。 荒れたデスロウから既に独立していたDr. Dreの、元共同経営者、やがて宿敵となっていたシュグ・ナイトはザ・ゲームとも対立し、確執があった。
ゲームは2005年のシュグ・ナイト襲撃事件の関与を疑われるが、これを否定。
やがて、ゲームら西海岸のアーティストは、"peace treaty平和条約"を制定した。2005年のザ・ゲームのヒットアルバムThe Documentaryについて、また、
ゲームの個人を批判する発言をした50セントとの間に不和が生じ、 David GeffenのGeffen Records に移籍。
Doctor's Advocateをリリースし、Dr. Dreや50セントの力なしで良い音楽を作れることを証明する。


     ゲームらが巻き込まれた
     ヒップホップ界の流血の対立構造とは
     一体何なのか?


===== そもそも…ヒップホップ界の東西対立とは? =====

   これについて、次回に、つづく。。