Stacey Kent;米国ニューヨーク生まれ。サラ・ローレンス大学では文学を専攻。1991年のヨーロッパ旅行の際、ロンドンで英国のミュージシャンと交流を深め、以後ロンドンを拠点に活動中。97年にキャンディド・レーベルからデビュー作『クローズ・ユア・アイズ』を発表。スタンダード・ソングを可憐に歌うチャーミングな歌手。夫君は彼女の音楽監督でもあるサックス奏者のジム・トムリンソン。
ISHIGURO co-wrote four of the songs on jazz singer Stacey Kent's
2009 Breakfast on the Morning Tram.カズオイシグロが曲を共同執筆

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カズオ・イシグロ × 福岡伸一

福岡先生と対談~~~?!

興味深いので転載します!!
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映画『わたしを離さないで』の日本公開を前に、
10年ぶりに来日した原作者のカズオ・イシグロ。
かねてからイシグロの小説世界に敬意を抱いていた生物学者の福岡伸一。
イシグロ作品に一貫した重要なテーマである「記憶」をめぐる二人の対話
▷私を私たらしめるものは?
福岡 イシグロさんの小説では「記憶」について様々なスタイルで描かれているのが印象的でした。初期の作品『遠い山なみの光』では個人の記憶が封じ込められ、その記憶が変動するにつれて物語が語られていく。『日の名残り』では辛い記憶に対して正直になることで人は救われるということが書かれている。
イシグロ はい。
福岡 なぜ記憶が気になったかというと、生物学の世界でもDNAの発見に先だってある重要な発見があったからなんです。ルドルフ・シェーンハイマーという人が70年ほど前に、アイソトープを使ってネズミの餌に標識をつけ、身体に取り込まれた成分を追跡しました。その結果、私たちの身体の内部では、そうやって取り込まれた物質が絶え間なく分解され入れ替わり、再構成されているということがわかった。つまりそこにあるのは流れでしかなく、生命は動的平衡にある流れであるといえる。そのような状況で、私たちはどうやってアイデンティティを保つことができるのか? 私を私たらしめるものとは何か? 「記憶」はその答えになり得る。あなたの小説ではその記憶が大切な要素のように感じられるのですが。
イシグロ その通りです。私にとって記憶は常に大切で、特に小説を書き始めた当時はとても重要な要素でした。個人的な経験ですが、私自身、大人になるにつれてそれまで自分が日本だと思っていた場所、日本と呼んでいた大切な場所が、現実には存在しないことに気づいたんです。私の頭のなかにあった日本は記憶や想像力、映画や本から生み出された架空の場所だった。そして年を重ねるにつれて、それは少しずつ消えていった。だから私は小説を書くことで日本を永続化したかった。記憶が色褪せていくことに切迫感があったんです。長年目指していたミュージシャンから小説家に転向したのはそうした理由からでした。以来、私と自身の記憶について、人と記憶の関係について、興味を持つようになったんです。
福岡 なるほど。
イシグロ 妻がよく、もっと記憶力があればよかったのに、と嘆くことがあります。他愛のない言葉、たとえば学生時代に好きだったレストランの名前などが思い出せず歯がゆくなることがあるようです。そんな時彼女はこんなことを言います。もし何も覚えていられないとしたら、私はもはや別人になってしまう、と。
福岡 分子レベルでは、私たちは一年で全く別の人間になります。でも記憶の一貫性故に、連続性を保つことができるのです。
▷過去を思い出すときに、私が思い出すこと
福岡 記憶といえば、私はフェルメールの絵もある種、記憶にまつわるものだと考えています。分解され、入れ替わり、変動している生命や物質を描写しようとするには時間を凍結する必要がある。17世紀にそれを絵で試みた人が、フェルメールです。すべては流れている故に、フェルメールの絵には「何かを凍結させたい」という希望が見て取れる。フェルメールの絵を見ていると、この絵の前に過ぎ去った時間を、そして、この絵の場面の後に来るであろう時間を想像するのです。
イシグロ 興味深いですね。これは私だけかもしれないのですが、過去の出来事を思い出そうとする時、ほとんどの場合、映像ではなく、静止画で思い出すんです。それらはフェルメールの絵のように、普段の何気ない光景ばかりです。何故今になって思い出すのか自分でもわかりません。子供時代というと50年前のことですから。
福岡 具体的にどのような静止画なのでしょう?
イシグロ 祖父と一緒に路上に立って店のショーウィンドウを眺めていたり、古い家の階段を降りていたりと、ありふれた光景です。ドラマティックなことは何もない。なぜこんな記憶がいつまでも残っているのか、残るべきなのかわからない。ただ、フェルメールの絵も、誰かが人を暗殺しようとしている瞬間などではなく、キッチンで牛乳を注いでいるような普通の時間ですね。
福岡 そうですね。本を読んでいる場面とか。
イシグロ 学生時代や日本での幼少時代を思い出そうとすると決まって、平凡なありふれた光景を静止画として思い出すわけですが、それから私は、「この静止画の前には何があったのか、この後には何が起きたのか」を想像する。そして物語をつくることもある。それらは本当の記憶かもしれないし、正確な記憶ではないかもしれない。たまに私は小説を書く時に、このやり方を再現して書くことがあります。静止している場面を描写し、物語の語り手にその前後に何が起きたのかを深く考えさせるのです。
福岡 それは面白いですね。