ムーティ&ウィーン・フィル:モーツァルト;「ハフナー」, シューベルト;「グレイト」② | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

2021. 11. 12  (金)  19 : 00 ~    サントリーホールにて

 

モーツァルト:交響曲 第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」

 

シューベルト:交響曲 第8番 ハ長調 D.944 「グレイト」

 

(アンコール)

J.シュトラウス II :「皇帝円舞曲」

 

 

指揮:リッカルド・ムーティ

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(コンサートマスター:フォルクハルト・シュトイデ)

 

 

プロ野球のことが気が気でなく、コンサートの記録の筆がなかなか進んでませんでしたてへぺろうさぎ

(あ、ヤクルトスワローズつば九郎の優勝一緒にお祝いしたい方は前記事をどうぞ~プードル)

 

もう3週間近く経っちゃいましたがあせるあせる、12日(金)に行ったコンサートの話です。

 

昨年のウィーン・フィルの公演を聴きに行って以来、1年ぶりに上京した。

前日も同じ演目で聴いた(感想は前の前の記事)ので、今日は2度目、そして来日公演の最終日。

オットー・ビーバ氏のそれぞれの曲解説は前記事に書いていますので省略します。

 

 

 

前日と同じく素晴らしい演奏だった。

ハフナーとグレイトの最終楽章はこちらもわ~っと高揚するくらい熱量がすごかった。

グレイトは前日と同様、すごく感動したビックリマーク 2度も聴けて本当に幸せだったし、この曲がますます好きになったラブ

ムーティの指揮はじいっと見てると、前日と同じではないってのが興味深かった。あるところは前日より激しく振っていたし、音楽の作りは一緒だけど第1楽章の最後なんかもちょっと違っていた。ルーチンで振ってないってのがよくわかった。

 

千秋楽だからか指揮者もオケも気合が入っていたように思えたが、アンサンブルの精度(特にグレイト)でいえば前日の方がややよかった気がした(あくまで主観)。恐らく熱量が高いがゆえだと思う。
あとこれも全くの個人的な好みだけど、グレイトのオーボエはホラークさん(今回来日せず)、フルートはシュッツさん(来日はしていたが前半しか乗っておらず)で聴いてみたかった。 ただ今回のオーボエもフルートもよかったんですけどね!

あとホルン! ウィーン・フィルのホルンの音色は本当に温かく、素晴らしくてほっこりとなるほんわか

 

 

アンコールはムーティ自ら曲紹介して、前日と同じく「皇帝円舞曲」。

前日と同じく、セバスティアン・ブル (Sebastian Bru)さんのチェロのソロがとっても素晴らしかった。

首席のヴァルガさんの隣で首席の席に座って健闘していたブルさん、2年前の3月に「ウィーン チェロ・アンサンブル 5+1」の福岡公演を聴いた際から、私はずっと注目していた(この記事内でもブルさんが特にうまい!と書いている)ので、すっごいうれしかったラブラブ 今後の活躍にも期待してます!

 

 

 

東京の方たちは指揮者のソロ・カーテンコールが本当にお好きですね~にやり 

もう一度ムーティのお姿を拝みたいってのはわかるけど、舞台下に駆け寄って少しでもこっちを見てもらおうっていうおばちゃんら、ムーティに見てほしいのか(?)まるで振袖のような着物を着てらっしゃってる(まぁ個人の勝手ですけどね)おばちゃんら。 ほんとにミーハーっすね~w  

ムーティのソロ・カーテンコールがあることがもうわかっているからか、団員さんたちはあっと言う間にはけていってしまった・・・ これが私的にはすごく淋しくて、大好きなシュトイデさんの姿が消えていくのをじっと見ていたぐすん

 

(画像はウィーン・フィルの公式ツイッターよりお借りしました)

(別日の公演の時の写真です)

 

 

今回はムーティのことについてちょっと書きます。

無料パンフに載っていた、石戸谷結子氏が書いた「ムーティとウィーン・フィルの50年」を参考にしてます。

 

今年の7月28日にリッカルド・ムーティは80歳の誕生日を迎えた。

さらに今年はウィーン・フィルにデビューして50周年という記念すべき年だそうだ。

 

1971年7月、当時30歳のムーティは、カラヤンの引き合わせでザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮してデビューを果たした(曲はドニゼッティの「ドン・パスクワーレ」)。

 

『ウィーン・フィルとの共演は、私の人生のうちで最も大切なものであり、オーストリアは私にとって第二の祖国になった。音楽ばかりでなく、人間関係も培われていった。このオーケストラは私がスカラ座を去ったばかりで難しい立場にあったときも、私の傍らにいてくれた。ウィーン・フィルは私にとって、まさに”運命の”と呼ぶにふさわしいオーケストラである』 (リッカルド・ムーティ自伝「はじめに音楽 それから言葉」(音楽之友社刊 田口道子訳より 途中中略あり)

 

日本との繋がりでは、サントリーホールは1999年からウィーン・フィルを招聘して「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン」を開催してきたが、1999年3月の来日公演を指揮したのがムーティだった。(ウィーン・フィルの初来日自体は1956年で指揮はヒンデミット)

ウィーン・フィルと初来日したのは1975年だった(カール・ベームと共に来日)。

 

ムーティは今年のニューイヤー・コンサートの前にNHKが行った番組放映のための単独インタビューの際に次のように語っている。

 

『ウィーン・フィルは私の音楽人生の一部です。ウィーン・フィルがなければ、私は異なった音楽家になっていたでしょう。彼らからウィーン音楽の典型的なフレージングを学びました。また多くの音楽的なアイディアを習得しました。私にとって、”ウィーン・フィルの音楽の作り方”がまさに音楽の理想型なのです。』

 

また、視聴された方も多いと思うが、ニューイヤー・コンサート本番の途中では、恒例の新年の挨拶の代わりに、指揮台から異例の語りかけを行った。

 

『音楽は歓びや希望、平和、兄弟愛、そして愛を皆さんにお届けすることができます。音楽家にとって、音楽は使命です。何の使命か。それは社会をより良いものにするという使命です。より良い社会にするため、音楽という文化は欠かすことのできない要素なのです。』

 

 

ムーティはその威厳のある様子から、なんとなく”独裁者”というイメージがあるが、ウィーン・フィルの指揮を見ている限りでは大勢は彼らの自主性に任せて所々手綱をぐっと引き締める、といった感じに見えた。自分のやり方をごり押ししているわけでは全然ない。

 

前日もこの日も、2度目くらいのカーテンコールの際は、指揮台にはのぼらず、第2ヴァイオリンとチェロと間まで下がってオーケストラの中に入って拍手に応えており、決して我が我が~という感じではなく、オーケストラとともに喝采を受けている姿がとても印象的だった。(その点、指揮台でにドカっと上がってドヤ顔で周囲を見渡すティーレマンと対照的やんねw でも私はどちらも好きですけどにやり)

 

ムーティ、背筋がピンとして立ち姿も凛としている。一緒に聴きにいった娘に、「あの指揮の人、何歳くらいと思う?」と聞いてみたら、「50歳代くらい?」と言っていた。 そのくらい若々しいビックリマーク

 

 

本来は、この時期にウィーン国立歌劇場の引っ越し公演もあるはずだった。

今度はムーティのオペラもぜひ観てみたい。

益々お元気でご活躍していただきたいです。

 

 

 

(画像はウィーン・フィルの公式ツイッターよりお借りしました)

(別日の公演の時の写真です)

 

オーストリアはこの来日していた頃には、新型コロナの感染者数が過去最多になっていて、来日公演が終わってまもなく、22日からは全国民を対象に全土ロックダウンとなっています。

 

そんな中来日してくれたことも非常にありがたいことだし、オーストリアはじめ世界の新型コロナ感染が少しでも落ち着くように、希望の光が一日も早く見えるように願っています・・・と書いていたところに南アフリカからのオミクロン変異株のニュースが。 また世界で困難な時期がやってくるのでしょうか。 COVID-19と言ってたけどもうすぐ22年ですよ~汗 ムーティはじめウィーン・フィルの方々、スタッフの方々、ご家族の皆様も無事に過ごせますよう祈っております。