30年前は板橋に住んでいました。

東京に出てきて右も左もわからない田舎者にとっては、

十分都会の匂いを感じていました。

無茶もしました、親も泣かせたし、彼女も泣かした・・・

いや、泣かされたかもニコニコ

そんな板橋に今でも何が残っているのか散策しました。

私が住んでいたのは旧中仙道です。

都営三田線の板橋本町と板橋区役所前の中間くらいです。


チェ・メタボ50歳の手紙

当たり前ですが、道路も整備されているし、真新しい建物も増えている。


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当時澄んでいたアパート発見!まだあるんだ・・・

ドアの前の道がすごく広くなってます。

当時はゆっくり開けないと、郵便配達の自転車にぶつかりました<^!^>

4畳半と小さな台所があるだけの超シンプルな間取りです。

もちろん風呂はありません。

あまりに声が筒抜けで、隣に住んでいた人と何度も揉めた記憶が

よみがえります(*^.^*)


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この橋はその名の通り「板橋」です。石神井川に架かるこの橋が地名

の由来と聞いてます。水かさは少ないですが、当時のどぶ川とは

見間違えるくらいきれいになりましたね。ここは桜の季節は実に

美しい橋に変貌します。


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昔付き合っていた彼女のマンションに行くには必ずこの橋を越えます。

しかし、30年前、この橋の名前を私は知りませんでした。

そんなもんです。


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このマンションに彼女が住んでいました。私はアパートに

風呂が無かったので、ほとんどこのマンションに入りびたりでした。

当時はまだ築8年くらいでしたが、今は+30年の風格があります。

(地元の人が読んでたらゴメンなさい)

何で別れたかはご想像にお任せしますが、かわいい女性でした。


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お金が無くなると、いつもこの焼き鳥屋 満盛へ行ってました。

つけでいくらでも飲ませてもらいました(^^ゞ

まだ営業しているかどうかは不明です。

もし営業していたら、あのおばちゃんいったい幾つ???

当時は本当にありがとうございましたビックリマーク


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満盛さんのすぐ横にある銭湯「花の湯」です。立派な屋根でしょ!

これぞ銭湯!的な外観ですよね。 仕送りが途絶えて銭湯に

行くお金が無くなると、近所の軒下からビール瓶や、酒瓶、

コーラの瓶を集めてお金に変えてました叫び

ハッキリ言うとこれ盗みですね。スミマセン。


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当時のライブハウス「カメリア」跡地です。調度電気工事でよく見えませんあせる

ここで私は歌ってました。この店から私の全てがはじまったと言ってよい

くらい思い出が凝縮された店でした。哀しいことも辛いこともありましたが、

すばらしい出会いがあったことを今でもマスターに感謝しています。

 


最後に友人が住んでいた滝野川6丁目に行きましたが、当時も相当古い

アパートでしたから流石にありませんでした(^^ゞ 玄関1つで20世帯くらい

住んでるユニークなアパートで、面白くてよく泊まりに行ってました。

途中でみつけた「濱井グッピー研究所」??スナックのようですが?

なにこれ珍百景に出てきそうなお店ですね?どなたか実態知ってる方は

教えてくださいm(__)m
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男も50過ぎると懐古趣味になるのですかね?

とても有意義で楽しい1日でした。

久し振りに友人に電話してみたくなりました。