いつだったか読んだ『鉄道旅行の歴史――19世紀における空間と時間の工業化』(ヴォルフガング・シヴェルブシュ 法政大学出版局 1982)の話が、ひょいと、現代のパノプティコン(一望監視システム:監視側からは見えるけれども、囚人からは見えないというシステム。鉄と板ガラスの開発によって誕生したといえる)社会に結びつきました。
鉄道旅行の歴史が述べているのは、車窓のパノラマ化。それによって〝前景〟が消失する、というのがその論。自分を含む前景が存在しなくなるということは、見る〈主体〉と見られる〈対象〉が乖離された、ということです。(この〈見る―見られる〉関係性の乖離は交通機関だけでなく、テレビも同じで、見られるだけの者と見られることなく見る者(匿名性をもっています)とに分割され、それになんとも疑念を抱くことがなくなっています)。この〈見られる者〉と〈見る者〉の日常的な乖離は、監視カメラの設置のみならず、都市に対する〝違和感〟や〝疑念〟を生じさせない、一つの大きな要素になるのでは、と考えました。
ちなみに、居酒屋は顔の見える匿名性の世界。ここを起点に論理が展開される?