息子が不登校になったことで
小学校では「すみません」を
頭につけてしまうような
やり取りを学校側としてきた
 
 
 
「ご迷惑をお掛けします」
「イレギュラー対応をしていただき、お手数をお掛けします」
「お仕事を増やしてしまって、申し訳ないです」
 
 
こんな意味合いを常にまとわせて
会話をしてきた
 
 
 
不登校であることを
「迷惑である」と表現する立場の人もいるだろう
実際にそう感じながら
不登校な子どもたちに対応している人もいる
行政側の臨床心理士がそうであったように
 
 
その「迷惑」という感情を
一番排除すべきなのは私だ
私の中に潜むそれを
見過ごしてはいけない
 
 
面倒くさいことは多々ある
制限されることも
期待して落ち込むことも
たくさんある
 
 
でも息子を「迷惑な存在」にしたくない
 
 
そのためには
「すみません」と言ってしまう自分の心の奥を
しっかりと見つめることが必要だ
 
 
なぜ「すみません」なのか
なぜ「迷惑」なのか
どうして私がそう思うのか
 
 
「すみません」というならば
相手を被害者のように感じてはいないか
じゃあ息子は加害者なのか
いや断じて違う
そうじゃない
 
 
甘えている?
怠けている?
楽している?
そのどれも違う
全然違うんだよ
 
 
自分すら被害者意識があるんじゃないのか
私の自問自答は終わらない
 
 
中学という新しい環境
息子はまだ一度も
登校してはいないけれど
「すみません」を手放すチャンスだと思う
 
 
この先に息子が社会と関わるとき
「すみません」と本人が思う必要がないように