スマホ📱でゲーム中だった息子が
「ハハから電話だよ〜」と駆け寄ってくる
 
 
電話は待ちに待っていた母からだった
 
 
電話に出ると「○○(母の名前)です。」と
母は名乗って
 
35年ぶりに聞いた母の声は
まだ若くしっかりとした口調だった
 
 
「お母さん?真顔(私の名前)です。電話してくれてありがとう。」
 
 
私がそう言うと
母は泣き出して
しばらくの間、嗚咽していた
 
 
真顔ちゃんの声を生きている間にまた聞けるなんて、思ってなかった、、」
 
 
そう言って母はまた泣いた
 
 
「大丈夫?」と聞き返した時には
私も涙が溢れていて
 
その様子を息子がニヤニヤと笑顔で見ていた
 
 
落ち着くまで少しの間があってから
私たちは話し始める
 
 
再婚して子どもがいると親戚から聞いていたが
 
真顔ちゃんと△△くん(元ヤンの弟)の二人以外に
子どもを産むつもりはなかったから。」
 
 
母は優しい声でそう答えた
 
 
まだフルタイムで働いていること
いくつかの病気で通院していること
再婚相手のこと
私の家族のこと、など
 
 
今の生活のことについて話した後に
「会いに行きたい」と伝えると
母は少し戸惑っている様子だった
 
 
私は自分の誕生日を指定して
「この日はどうかな?」と聞いてみると
 
「誕生日だね。」と母は私の誕生日を憶えていた
 
 
じんわりと自分が喜んでいるのがわかる
 
 
予定を確認して後日連絡すると約束をして
電話を切る
 
 
「はあ、、」安堵感がどーんと来た
 
 
40年前にえぐられた部分に
温風がかけられてるような
自分の中に温かいものが流れてくる感じがあった
 
 
正体不明のもやもやが
ふわっと解けていくような感じもある
 
 
治癒なのか?
これは安心ってやつだろうか?
 
 
 
その安心のようなものを感じながらも
頭では思考が動く
 
 
母に子どもとして想われてきたと信じたい
甘えていい存在に思い切り甘えてみたい
 
 
家族の中で疎外感を感じてきた寂しさを
この人は癒してくれるかもしれない
 
 
私という存在そのものに
喜びを感じてくれているはず
 
 
メールに加えて母と電話で話したことで
期待値がさらに上がってしまった
 
 
 
母を私の脳内で
都合のいい存在に書き換えてしまいそうで
 
 
その書き換えた母という存在に
結局は依存してしまいそうな自分が怖くなった
 
 
 
おざなりにし続けてきた欠乏感と向き合おうと
母と会おうと行動を起こしたのは自分なのに
 
 
たった1度の電話と
数回のメッセージだけで
こんなにも母に傾いている自分が怖い
 
 
そして40年間も離れて暮らしてきたにも関わらず
母という存在は
 
 
祖母や父と自分の間にあった距離よりも
遥かに近くに感じている
 
 
私のすぐ傍にいるような
私が何をしても大丈夫なような
安心できる存在だという感覚
 
 
ああ
これが私の望みなんだ
これがずっと欲しかった
 
 
この安心が欲しかったんだ
 
 
今は
自分が欲しかったものを
体感して知れたことを受け止めるだけにしよう
 
 
ああ
母に直接会ったら
自分はどうなってしまうのだろう不安
 
 
母親って子どもにとって
こんなに大きな存在なんだって
今からもっと知ることになるだろうな