(リライト記事です)

 

 

これは私が

かつて子どもだった側から見た答えであり

親となった自分の指針でもある

 

 

 

 

 

自分を育てた人たちの背景を

時間をかけて考えてきた

 

(40年離れていた実の母についてはこれから新たに理解が始まる)

 

 

祖母が育ての母であったことから

父が祖母から受けたであろう影響についても

自分の経験と重ねて

理解をさらに深めることができた

 

 

 

母子関係に関わる本を読みながら

 

母(または育てる側)と

子(育てられる側)の関係って

 

 

良くも悪くも

子どもの人生に

こんなにも強く影響を与えるなんて

知らなかった

 

 

自分が生きづらいまま

大人になっていなかったら

知ることはなかっただろう

 

 

 

 

「自分を育てた人は

子どもを育てる器がなかった・小さかった」

 

 

こういう言葉は

 

 

親が育った背景を理解した(と思う)

親も自分を愛していなかったわけではない(と思う)

親の言動は不安や怯えからきていたのだろう(と思う)

 

 

それらの(と思う)を

飲み込みやすくしてくれた

 

 

 

そして自分自身が

子どもを育てる器が小さい母親であることを

息子の不登校で思い知ることになった

 

 

 

十数年の摂食障害生活よりも

子どもの不登校の方が私には強烈な体験で

 

 

それはなによりも

大切な「子どものこと」だったからなんだと思う

 

 

 

強い刺激により

自覚できていなかったゴミ価値観や

眠らせていた感情が

わんさか湧き上がってきて

 

 

 

母子同伴登校と仕事の両立がきついという体裁を

言い訳に使っていたけど

 

 

子どもの不登校という現実に

毎日どうしていいのかわからなくて

 

 

「もうダメだ、、誰か助けて、、」と号泣した

何度泣いたかわからない

 

 

ああ

私は子どもを愛する器の小さい

弱くてバカな母親だったんだ

 

 

ここまできて

やっと認めざるを得なくなった

やっと受け入れなければならないと自覚した

 

 

 

 

強烈な煙であった息子の不登校がなければ

 

自分責めとエセポジティブを繰り返しながら

ぬるく自分と向き合っているつもりになって

 

向き合うことの本質から

やんわりと逃げ続けただろうと思う

 

 

 

「息子を愛する強い器が欲しい」

 

 

今はここからブレない自分になっていると思える

 

 

こんな確固たる指針をくれた

ナリ心理学に感謝する