4月になった。新年度の始まりである。

 小谷野は、年が明けた正月よりもこの時期の方が新鮮な気持ちになるのだ。

 学生で言えば、新学期の始まりである。新社会人になるのも4月である。桜がそれを祝うように咲き誇るこの時期は、小谷野家の殺風景だった庭も色を帯びて賑やかになってくるのである。庭木にはやわらかな芽が吹きだし、草花も背丈を伸ばして花をつけてくる。

 爽やかな風に揺れる新緑や日に日に姿を変える庭の様子には毎年のことながら驚かされるのである。自然の神秘と言っては大袈裟であるが、植物の生命力や強かさには圧倒されながらも元気がもらえるのである。

 この時期は、毎朝、庭に出るのが楽しみであった。何かしら変化があるのである。

 今朝も庭に出て、昨日まで蕾だった花が開いているのを見つけて嬉しくなった。空もよく晴れて、暖かくなりそうだ。

細井から連絡が入ったのは、そんな穏やかな気分で空を眺めていたときだった。

 

「そろそろ次の曲を決めないとね」

 細井はそう言いながら珈琲をドリップしている。

 いい香りが細井の別邸の練習室に漂い始めた。今日は、細井の声かけでメンバーが集まっていた。

 藤井も参加してきた。これで、一応カルテットだ。

「さすがに美味いですね」

 小塚が真っ先に珈琲を口に含んだ。

「これは何ですか?」

 小谷野が興味深く訊く。豆の種類のことである。

「これはブレンドだよ」

 4つ目の最後のカップを手に取るとまずまずだなと細井がいう。

「喫茶店に行ったらまずはブレンドを頼むといいよ。ブレンドは店によって違うから、ブレンドが美味しければその店は間違いないということ」

「へえ、そうなんですね。いいことを聴いた」

 小谷野は、最近、珈琲に興味が湧いていた。

「で、これ何をブレンドしているんですか?」

「ん?それは企業秘密・・って、冗談。マスターに任せているから」

 そう言って、細井は笑った。

「マジで訊きたければ帰りに店に寄りなよ。マスターいるから」

「はい、わかりました」

 小谷野も笑った。

「さあ、じゃあ始めようか」

 細井の号令で、皆、珈琲カップをトレイの上にまとめた。

「みんな、やりたい曲考えてきた?」

 何曲かやってみようと細井は持ってきた本のページをめくり出した。ジャズ・スタンダード集なるバイブル的な冊子を細井も小塚も持っていた。

「小谷野君も藤井君もこれあると便利だよ」と細井に勧められたが、ドラムの譜面が載っているわけでもない。そもそもドラムは自由度の幅が広いのでコピーしてもらえればいいと思った。

 メンバー銘々に考えてきた候補曲を上げたが、藤井は曲を知らないからと何も提案しなかった。

 小塚は、「Autumn Leaves」と「Bye Bye Blackbird」をやりたいと言う。細井は、「Moon River」がいいなと言い、小谷野は、「Softly, as in a Morning Sunrise」を提案した。

 結局、その4曲を演奏しようということになり、次回まで練習しておくようにとまた宿題が出された。その後、4人はしばし雑談にふけると、やがて解散となった。

 

 小谷野は、帰りがけにVIVANTに寄った。

 静かなピアノ・ジャズが流れる店内は、珈琲のいい香りが漂っている。マスターはいつものように暖かく迎えてくれた。

「いつぞやは、お疲れ様でしたね」

「あ、こちらこそお世話になりました」

 そうか、年末の「感謝の集い」以来か。小谷野は、仕事にかまけてすっかりご無沙汰してしまったことを詫びた。

 早速、ブレンドを注文する。

「それにしても、小谷野さんてすごいね」

 珈琲を入れる準備をしながらカウンター越しに話しかけてくる。穏やかで優しげなマスターとはなんとなく気が合いそうだと前々から感じていた。

「何がですか?」

 小谷野は、カウンター席に座り、珈琲を入れるマスターの動きを見るのが楽しかった。

「この前も言ったかもしれないけれど、ドラム初めて間もないんでしょ?それで、あれだけできるなんてすごいですよ」

「いや、そんなことないですよ。ブラシで誤魔化してただけですよ、ほんとに・・」

「結構、オーナーたちに無理強いされたんじゃないの?」

 上目づかいでマスターはカップを拭いている。

「まあ、正直、最初はね」

「あの二人の性格だから想像つきますよ。小谷野さん、真面目だから・・。ここだけの話、僕はね、あの小塚って人、ちょっと苦手なんですよね」

「そうなんですか?」

「なんか、自分勝手なところあるでしょ?」

 ああ、やっぱりマスターも感じていたんだ。

「客商売していると、物言いや態度で大体人柄がわかるようになるからね」

「ええ、それはちょっと怖いな」

「小谷野さんは大丈夫よ。信用できる。オーナーも同じように見てますよ」

「そうなんですか」

 そう言ってもらええると嬉しいものである。半面、それじゃあ、なんで小塚と一緒にやろうってことになったんだろうと今更ながら思うのであった。そう、既に今更なのだ。

 今更、小塚を外すと、哀しいかなバンドが成り立たない。誘われた身でありながら、小塚を外すことを考えている自分を笑った。新メンバーの藤井がどこまでやる気が合って、実際、どこまでできるようになるのかまったく未知数である。それでは、せっかく、やる気になってきたバンド活動もできなくなってしまう。ここは「大人」になろうと決めた。

 謙虚で穏やかなマスターと話しているとささくれ立った心も癒されていく。

 店を出ると生暖かい風が若葉の匂いを運んできた。いつになくマスターと話し込んでしまったがブレンドのことについて訊くのを忘れていた。

(まあ、今度でいいか)

 自分で何度か試してみて、自分好みのオリジナル・ブレンドを作れればそれもいいのかなと思いながら愛車のエンジンをかけた。

 

 

 

 

 

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 さて、本日取り上げるアルバムは、JOE HENDERSONの『OUR THING』(1964年)である。



 リーダー作としては2作目にあたる。

 

 ジョー・ヘンダーソンを変態プレイヤーと呼ぶ人がいる。何か危ない響きがあるが、どこが変態なのか私にはわからない。

 

 少なくともこの頃は、オーソドックスな演奏のように感じるけれど、どうなのかな。テナーとトランペットの2菅によるアンサンブルやアドリヴの応酬が楽しめるアルバムだと思う。

 

 演奏メンバーは、

  ジョー・ヘンダーソン(ts)

  ケニー・ドーハム(tp)

  アンドリュー・ヒル(p)

  エディ・カーン(b)

  ピート・ラロカ (ds)

 

 ケニー・ドーハムとピート・ラロカは、前作『Page One』に続いて参加している。

 

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