優斗は、予備校の手続きを終えると授業が始まる前に一人鎌倉を訪れた。

 あの日、杏子と一緒に回った場所をもう一度見たいと思ったのである。杏子を思い出して、また辛くなるかもしれないがそれならそれでもいいと思えた。いつまでも怠惰な日々を送っているわけにはいかないし、高校の卒業を機に自分の気持にけじめをつけ、前に進まなければという思いになってきたのである。

 北鎌倉駅で降りると、円覚寺、明月院、建長寺・・と、あの日と同じ足取りをたどった。案の定、訪れる場所のあちらこちらにあの日の杏子の姿があった。

 山門の陰に隠れて優斗を驚かそうとする杏子、スキップや変顔でおどける杏子、美しい庭園に見惚れる杏子、疲れたと言って座り込む杏子、おんぶの背中ではしゃぐ杏子、手を繋ぎながら一緒に八幡宮の鳥居をくぐった杏子、大吉が出るまでおみくじを引いていた杏子、目を丸くして美味しいとピザを頬張っていた杏子、別腹といいながらソフトクリームを舐める杏子、遠く水平線を見つめていた杏子、行くところ行くところにあの日の杏子が甦ってきて、改めてこの世から杏子が居なくなったことを痛感させられるのである。

 由比ガ浜まで出ると、優斗は、白い砂浜に腰を下ろした。あの日と同じように、遠い水平線には春の光が輝き、暖かくて穏やかな波が寄せてくる。

 

 どれだけ海を眺めていただろう。ふと気がつくと、杏子が隣に座っていた。

「杏子?杏子なの?」

 杏子は黙って海を見ている。

「どこへ行ってたの?」

 優斗は半ば怒ったように尋ねる。

「ずっと、そばに居たよ。いつも、優斗のこと見ていたよ」

 優斗の眼に涙があふれてきた。

「会いたかった。会って、話したかった」

「ごめんね」

「病気だって、なんで教えてくれなかったんだよ」

 杏子は、ごめんねとしか言わない。

「受験勉強するからって言ったのは嘘だったんだよね」

「ごめんね。だから、母のことは恨まないでね。私も迷ったの。病気のこと言ってしまおうかって。でも、ほんとのこと言うと心配かけると思ったから」

「心配するのは当たり前だろ?そんなに俺って頼りない?」

「そうじゃないけど、あの頃、もう私、たぶん助からないかなと思ってた。だから、ほんとのこと言ったら優斗が辛くなるかなと思って」

「何ができたかわからないけど、俺にだって何かできたはずだよ、きっと・・」

「後で後悔した、ほんとのこと言っちゃえばよかったって。ほんとは、優斗に甘えたかった。一人で死ぬのが怖かった」

 杏子の眼から大粒の涙がこぼれて、砂に黒い点をいくつも作った。

「杏子・・」

 優斗は思わず杏子を抱きしめていた。

「俺だって、会いたかったよ。あんな形で別れちゃっただろ。ずっと、気にしてたんだよ」

「ほんとにごめんね。優斗は悪くないよ。私が謝りたかった。でも、ほんとのことが伝えられてよかった」

「・・・・」

「もう、私のことは忘れて、これからは自分のために生きて」

「忘れることなんかできないよ」

「もう、ちゃんとして。優斗がしっかりしてくれないと、私、安心して逝けないから」

「どこに行くの?どこにも行かないでくれよ」

「無理言わないで・・・」

「杏子」

 優斗は、杏子を離そうとしない。駄々っ子が母親にしがみつくように・・。

「優斗、そろそろ行かなくちゃ。優斗とは楽しい思い出ができたし、一緒にいられて幸せだった。これが私の運命だったんだとあきらめもついた。だから、優斗もしっかり気持ちを切り替えて」

「行かないでよ。俺、杏子のこと大好きだ」

「私もよ。嬉しい。優斗の口から初めて好きだって聞けて。もう思い残すことないわ、じゃあね、頑張って私の分まで生きて!」

 そう言うと、杏子は青く澄みきった空に吸い込まれるように消えていった。

「杏子!」

 優斗は跳ね起きると、涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。近くで遊んでいた幼い子がびっくりした顔で優斗を見ている。

 夢だったのか。優斗は、慌てて涙をぬぐった。

 改めて、杏子を失った寂しさが波のように寄せてくる。優斗は、しばらく立てずにぼうっとしていた。

 夕陽が何事もなかったように遠い水平線に沈もうとしている。優斗は何か思い立ったように突然立ち会上がると駅に向かって駆け出していた。

 

「こんな遅い時間にすみません」

「いいのよ。来てくれて嬉しいわ」

 優斗は、杏子の自宅を訪ねていた。

 仏壇には、位牌と小さな遺影が置かれていて、ここでも杏子がいないということを嫌というほど思い知らされるのだった。

 線香をあげて手を合わせると、ふとその横に備えられているものが優斗の眼についた。優斗が鶴岡八幡宮で買った杏子とお揃いの栞だ。

「ああ、それね。杏子が大切にしていたものなの。病室に置いてあった読みかけの本に挟んであったのよ」

「そうですか」

 優斗は、杏子が大切にしていたと聞いて嬉しかった。

「優斗君、大学は?」

「駄目でした。浪人することにしました」

「そう、残念だったわね。杏子が生きていたらどうだったかしらねえ・・」

 母親は、そう言ってうつむいた。暗い照明が母親の少しやつれた影を映す。

「杏子さんなら優秀だから、今頃きっと、いい大学に合格していましたよ」

「そうかしらね・・・。私らより先に逝っちゃうんだから、ほんとに親不孝者よ」

 そう言うと母親は鼻水をすすった。優斗は慰めの言葉もなかった。

 優斗は、母親と少し雑談すると杏子の家を出た。

「今日は、ありがとうね。杏子も喜んでいると思うわ。優斗君も受験頑張ってね」

「ありがとうございます」

 母親は、玄関を開けたまま、優斗が見えなくなるまで見送っていた。

 

 あたりはすっかり暗くなっていた。優斗は、駅までの路を歩こうと思った。

 杏子と初めてキスを交わした交差点にさしかかると空を見上げる。あの日と同じ月が浮かんでいた。

 ふと、優しく微笑む杏子の顔が浮かんではすぐに消えていった。

(杏子、ありがとね。俺、もう少し頑張ってみるよ)

 心の中でそうつぶやくとまたゆっくりと歩き出した。月は、優斗の歩く先を優しく照らしていた。

 

秦 基博 - 「水彩の月」 Music Video - YouTube

 



 

 

 

 

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 さて、本日取り上げるアルバムは、秦基博の『青の光景』(2015年)である。

 



 彼の5作目にあたるアルバムである。

早くも2回目の登場になるが、彼の書く曲は私の感性にもしっくりと馴染むのである。

 

「ひまわりの約束」は、17枚目のシングル曲で映画「ドラえもん」の主題歌にもなったヒット曲であるが、この曲、まぜかこの「ペリカンとパンの匂い」を描いている間、ずっとバックで流れていた気がする。

 

秦 基博 / 『ひまわりの約束』 Live at MTV Unplugged: Hata Motohiro - YouTube