春休みが終る頃、優斗と杏子は鎌倉へ出かけた。3年の始業式の2日前の良く晴れた日だった。杏子が前から行きたいと言っていた場所である。
二人は、東京駅から横須賀線に乗り、北鎌倉駅で降りた。そこから、いくつかの寺を巡って、鶴岡八幡宮まで歩く計画だ。
駅を降りるとすぐ前に円覚寺がある。北側の斜面に広がる広大な敷地は、静かで穏やかな雰囲気があった。奥に行くほどゆるやかな斜面を登っていく。
あじさい寺とも呼ばれる明月院は、まだその時期ではなかったが、丸窓から見える景観も絵画のように素敵だと杏子は喜んでいた。
建長寺の庭園も美しかった。それらを見たあと、二人は鶴岡八幡宮に向かって歩く。
少し疲れたろうから途中の喫茶店で休もうかと勧めたが杏子はまだ大丈夫だと言う。
それでも、少し行くとやはり疲れてしまったようだ。喫茶店までは戻らなければならないので、ここでいいと道路際の縁石に座り込んだ。
「大丈夫?」と優斗が訊くと
「少し休めば大丈夫」と杏子が答える。
緩いカーブの坂道を時折ダンプカーが通り過ぎるので、縁石に座っていると危ない。そろそろ歩こうかと言おうとしたが杏子はまだ疲れているようだった。
「おんぶしてやろうか」
優斗が言うと
「ええ?いいよ~、恥ずかしいよ」と杏子が躊躇う。
「大丈夫だよ。こう見えて、俺、力あるから。バイトで鍛えたし・・」
優斗はそう言って笑いながら、腰を下げて杏子に背中を向ける。
「ほんとにいいの?重いよ」
杏子はおずおずと腰を上げると優斗の背中に身体を預けてきた。やっぱり、ほんとに疲れてるんだなと思った。
杏子は思いのほか軽かった。
歩きながら優斗は冗談を言うと、杏子は安心したように笑いながら心も体も優斗に預けてくる。暑くなってポロシャツになっていた背中に杏子の小さな胸のふくらみを感じる。
優斗は背中に全神経を集中していた。それを感じ取った杏子はさらに密着してくる。二人は、いつの間にか無口になっていた。
雑踏の音が聞こえてくると鶴岡八幡宮が近いことが分かった。ここでいいという杏子を降ろすと二人は手を繋ぎながら鳥居をくぐった。
鎌倉は、源氏や北条氏ゆかりの史跡が多い。歴史を探訪するのもいいが、今は杏子と二人の時間を噛みしめたい。優斗は、そんな願いを込めてお祈りした。
優斗が終わっても、杏子は、いつまでも手を合わせていた。自分と同じことを祈っているといいなと優斗は思ったが、あえて何を祈っていたかは訊かないことにした。
お詣りが終るとおみくじを引いた。優斗は「小吉」だったが、杏子は「凶」が出て不満げであった。「凶」なんて縁起が悪い、せっかくお詣りしたのに機嫌よく帰らせてほしいものをなんでそんなものを入れておくんだろうと優斗は腹が立った。
「もう1回引こうかな」
「ええ?そんなん、あり?」
優斗は笑ったが、杏子はほんとにもう1回引いた。結局、「大吉」が出るまで3回引いたのであった。杏子のそんな一面を垣間見ることができたが優斗は少し呆れた。
優斗は、お守りの横に売っていた「しおり」を買った。八幡宮の本宮をかたどったステンレス製のもので、読書好きな杏子にあげたいと思ったのである。ついでに、ろくに本を読まない自分の分も杏子とおそろいで買った。
杏子は、それを無邪気に喜んでくれた。こんなもので喜んでもらえるなら、もっと何か買ってあげようとも思ったが、今度はお腹が空いたと言いだした。
小町通りから路地を少し入ったところにイタリアンの店を見つけて入ってみた。店内は混んでいたが、幸いカウンター席が二人分空いていた。
「ニョッキってなんだ?」
優斗がメニューを見ながら一人ごとのように言うと、杏子が説明してくれた。
「じゃあ、それにしてみようかな」
優斗がニョッキのクリームソースにすると、杏子はしらすピザを選んだ。ピザに生臭そうなしらすが合うのかなと半信半疑であったが、互いにシェアして食べると、しらすの塩味とチーズの相性もよく、ニョッキのもっちりとした触感もめずらしくて、二人とも初めての味に感動したのだった。
「美味しいね」
小声で言ったつもありが厨房のシェフにも聞こえたようで、こちらを向いてニンマリとしていた。優斗もこの店を選んで株を上げたなと自画自賛する。
腹ごしらえをした二人は、今度はソフト・クリームに魅かれる。ひとつずつ買うとそれを食べながら小町通りを歩いた。
鎌倉駅前を抜けるとやがて正面に海が見えてきた。由比ガ浜である。
杏子が見たいといっていた海だ。二人とも海なし県で生まれ育ったので海には憧れがある。
白い砂浜に踏み入れるとスニーカーがずぶっともぐる。
砂が入るのもかまわず、優斗は海だーと叫びながら波打ち際まで一気に走った。杏子は、後から慎重に歩いてくる。
「早く、おいでよ」
優斗は、杏子が追いつく前に砂浜にどかっと腰を下ろした。少し遅れて杏子も隣に腰を下ろした。
「やっぱり、海はいいなあ」
優斗は、座ったまま両手を広げて伸びをする。
「そうだね」
杏子がそっけない返事をしたので優斗は口をとがらせる。
「なんか、そっけないね。あんなに海が見たいって言ってたじゃない。嬉しくないの?」
「嬉しいよ。優斗と来れて・・・」
その答えに単純に満足すると、優斗は広げた脚の間に砂で何かを作り始めた。
杏子は、遠く水平線を眺めている。周りには、同じようなカップルや子ども連れの家族がはしゃいでいた。
優斗は、砂遊びに飽きると両手を後ろについて、杏子と同じように海を眺め出した。午後の柔らかな光が穏やかな波に反射して二人の明るい未来を映しているように見えた。
「やっぱり、海はいいな。ずっと、眺めていられる」
杏子は、ずっと黙ったまま、遠くを見ながら物思いにふけっていた。
沖にヨットの明るい帆が見える。二人は、いつしか時の経つのを忘れていた。
陽が傾き、水平線に触れるころになると少し風を感じるようになった。
杏子の肩が少し震えているように見える。
「寒いんじゃないの?」
優斗は、慌てて杏子の肩に自分の上着をかけてやりながら、そろそろ帰るかと訊いてみた。
「ごめんね・・・」
「ん?何が?」
杏子は下を向いたまま、しばらく黙った後、やっと口を開いた。
「別れよう・・・」
「え?なんて言ったの?」
「私たち、もう終わりにしよう・・・」
「え?」
突然、杏子が何を言い出したのか、優斗にはすぐには理解することができなかった。
ффффф ффффф ффффф
さて、本日取り上げるアルバムは、JOHN DAVID SOUTHERの『BLACK ROSE』(1976年)である。
一昨年、亡くなってしまったJ.D.SOUTHERのソロとしては2作目にあたるアルバムである。
リンダ・ロンシュタットやボニー・レイットなどに楽曲を提供したり、他のアーティストのバック・ボーカルとしてレコーディングに参加したり、はたまたプロデュースをしたりしていたが、自分のソロ・アルバムは意外に少ない。故に貴重な作品の一つであるといえる。
愁いを秘めた優しげなボーカルが魅力である。冒頭の「Banging My Head Against The Moon」とアルバム・タイトル曲「Black Rose」を除けば落ち着いた曲が多く、ゆったりとした夜に聴くのもいい。
リンダ・ロンシュタットを始め、数多くの著名なミュージシャンがサポートしていて、彼の交友関係の広さもうかがえる。
「Midnight Prowl」は、ローウェル・ジョージのスライド・ギターとドナルド・バードのフリューゲル・ホーンがフィーチャーされている。
John David Souther-Black Rose - YouTube
