優斗の喉の症状は相変わらず改善しない。

 そんな不安定な心理状態のまま迎えた2学期の期末テストは散々だった。期末もそうだが、元々中間テストも悪かった。部活が終わり帰宅して夕飯を食べるとすぐに眠くなり復習どころではない。授業中でさえ集中してないことは自覚していた。

 本来、期末テストで挽回しなければならないはずだったのにそれが叶わなかった。

 結果は、赤点が5科目もあった。英語、数学、現代国語、古文、日本史と主要な科目がすべて赤点である。3学期は、期末テストのみ行われ、1学期2学期の成績と併せて評価される。その結果、1教科でも赤点があると進級できないのである。

 これには、さすがに優斗も蒼くなった。ここまで酷いとは思っていなかった。

 優斗は小学生の頃は頭がよかった。学校の授業を聴いてさえいれば大方理解できたし、特に勉強せずともテストの成績は良かった。小学生の頃は、勉強のできる子かスポーツが得意な子が人気がある。優斗は、前者であり、同級生からの信頼もあって、毎年、毎学期クラス委員に推薦されていた。

 中学生になると、少し様子が変わってくる。最初の学年テストこそ学年3位の成績であったが段々とまわりに追いつかれて行ったのである。そもそも、勉強の仕方がわからなかった。それまで、その必要がなかったからで、周りが要領を覚えてくると優斗を追い抜いて行ったのである。

 それでも勉強には身が入らず、ギターに夢中になっていた。受験勉強もラジオの深夜放送を聴きながらでは頭に入るわけもない。

 高校は、家庭の経済事情もあって公立しか考えておらず、「すべり止め」のための受験はしていない。万が一、受験に失敗したらどこかの2次募集している高校に行けばよいと考えていた。このあたりは、妙に自信があったのか、楽観的であった。

 運よく、受験した高校には合格したものの自分が下位の成績であったことはクラスの同級生を見れば理解できた。自分はここでは劣等生なのである。それはそれで気が楽ではあったがここまで成績が酷くなるとは自分でも思っても見なかったのだ。

やばい、ほんとにやばい。3学期によほど挽回しないと進級できないのである。そうなったら、恥ずかしいばかりではなく親に合わせる顔もない。

 応援団の活動もそうだ。進級できなかったら副団長という身分はどうなるのだ。副団長をやりたいわけではないが、1年生のまま副を続けるわけにはいかず返上するしかない。

同じクラスのみんなが2年生になるのに自分だけもう1年を繰り返さなければならないのか。屈辱的だ。考えただけでもぞっとする。

 

 声は相変わらず出ない。成績もさることながら、むしろ、優斗にとってはこちらの方が深刻だった。一生治らないと宣告されてしまったからだ。これからずっと、声が出せない、出せたとしてもひどく擦れた声だ。そんな状態で生きていかなければならないのか。

それもこれも自分が応援団に入ったせいなのだ。優斗はいつのまにか責任を団に転嫁し始めていた。優柔不断な態度でズルズルと始めてしまった応援団活動もそれなりに楽しいと感じた時期もあったはずだったが、こうなってくると、応援団そのものが疎ましく、やがて憎しみさえ覚えるようになってしまったのであった。

 応援団なんかやってるからだと親にもなじられるに決まっている。もう辞めるしかない。辞めて、勉強に集中するのだ。

 とはいえ、退団の申出をするには相当の勇気が必要である。原田団長や藤木副団長の顔が脳裏に浮かぶ。峰山新団長や他の団員はどんな顔をするだろう。ましてや、新副団長を仰せつかってしまっている。この立場で果たして退団することができるだろうか。

 どうする優斗。いや、もう何が何でも辞めるしかない。仮入部のまま断ることができなかった、そもそも、あの時の判断、自分自身の態度がいけなかったのだ。今度は、きっぱりと言おう。何が何でも辞めるんだ。

 優斗は、とうとう腹をくくった。

 

 

 

 

 

 さて、本日取り上げるアルバムは、南佳孝の『SPEAK LOW』(1979年)である。

 



 南佳孝と言えば、「スローなブギにしてくれ」がヒットしたが、その前に郷ひろみが「セクシー・ユー」としてカバーしてヒットさせた原曲「モンロー・ウォーク」の作者として注目を浴びたそうな。

 

 その「モンロー・ウォーク」を含むアルバムで、4作目にあたる作品である。

 

 夏向きな曲が多く、都会的なサウンドときざな歌い方が嫌いじゃない。