優斗はすっかり風邪を拗らせていた。熱があるばかりか喉が著しく痛む。小・中学校の頃から、毎年、1回は必ず風邪をひいていた。風邪をひくと、大概、喉が痛くなり、やがて声が出なくなっていたのである。
高校生になっても体質は変わってないようで、やはり声が出なくなっていた。文化祭が終った頃から既に声が擦れ気味であったが風邪を契機に完全に声が出なくなってしまったのだ。
無理をして喉に力を入れれば瞬間的に声を出せなくもないが、続けて出すことができないので会話は困難になっていた。
熱が下がっても喉の症状は変わらなかった。授業が困った。教師に指されても声が出ないため答えることができない。
始めのうちは、隣の友人が事情を説明してくれていたが、毎回のことでは申し訳ないと思った優斗は、ノートに大きな文字で「風邪をひいて声が出せません」と書いて教師に見せるようにした。すると、答えを免除されるようになったため、指されるたびにノートを見せては回答を逃れるようになった。
古文の授業であった。優斗は指されるといつものように教師にノートを見せた。すると「声が出せないなら前に来て黒板に答えを書きなさい」と言われてしまった。これにはまいった。真剣に授業を聞いていなかったがこの手で逃れるとばかり思っていたのに敵もさる者だった。
優斗が、仕方なく、黒板に「わかりません」と書くと教室内の爆笑を誘った。「どうせ、そんなことだろうと思ったよ」と教師にすっかり見透かされていた。
始めは声が出ないことをむしろネタにして楽しんでさえいたきらいもあるが、事態は段々深刻になって行った。いつまで経っても一向によくならず、声は擦れたままだったのだ。
耳鼻咽喉科で受診すると「声帯に血の塊がへばりついている」とのことだった。そんなことがあるのかと驚き、さらに訊いてみると「その声は一生治らない」とまで言われてしまったのだ。
これには優斗もかなりのショックを受けた。一生治らないなんて・・・。このまま、好きな歌も歌えなくなるのかと考えたら涙が出そうになった。
現に音楽の歌のテストでも声が擦れてしまってろくに歌えず、「これじゃ、採点できないな」とまで教師に言われてしまったのである。
優斗は、すっかり意気消沈してしまった。この状態では、応援団の活動も難しい。文化祭の練習で頑張り過ぎたせいなのか、それがこういう事態を招いてしまったとは皮肉な結果である。
やはり、応援団なんかに入らなければよかったのか。優斗は、段々、後悔の念が苛まれるようになっていった。
そうやって、焦りや悲しい気持ちを引きずったまま、やがて運命の期末テストを迎えた。
さて、本日取り上げるアルバムは、丸山圭子の『黄昏めもりい』(1976年)である。
彼女のセカンドアルバム。
アルバム収録曲でもある「どうぞこのまま」が大ヒットしたのでご存じの方も多いだろうと思う。
当時の女性シンガー・ソングライターさん、ボサノバ調が流行りだったのか、他にもいろいろあったような気がする。忘れたけれど(笑)
このアルバム、仲井戸麗市の「私の風来坊」を除いて、自ら作詞作曲したものか、作詞だけ他人のもので構成されている。
吉川忠英がアレンジした曲や当時のバンド、ホームメイドとともにバックの演奏でも参加していて、レコード会社のスタジオ・オーケストラが演奏した他の曲と比べると、やはり一味違って彼女の魅力を上手く引き出している気がする。
コーラスには、シュガー・ベイブ時代のメンバーである山下達郎や大貫妙子、松村邦男が参加しているのも興味深い。
