2学期が始まった。久しぶりに会う級友たちの顔が懐かしく感じられた。

北村杏子と顔を合わせると優斗はあえて普段通りの態度で接しようとした。ところが、北村の方から優斗を気遣ってきたのである。

「もう、大丈夫なの?」

「うん、大丈夫だよ」優斗は、意識的に平静を装った。

「え? どうした?」橋口がすかさず割り込んできた。「何が?」優斗はとぼける。

「なんか、大丈夫だとかなんだとか言ってなかった?」としつこく訊くが「何でもないよ」優斗はその場からすぐ離れた。

優斗が夏合宿でリタイアしたことは、同じ応援団の小沢と田村を除けばクラスの連中は誰も知らないはずだ。じずれにしろ、もう、どうでもいいことだ。

優斗は、既に吹っ切れていて、団活動もやれるところまでやってみようと心に決めていた。

 

 2学期早々から団の活動は始まった。優斗は、練習にも積極性が出てきたし、身体づくりだからとウェイト・トレーニングにも汗をかいた。団長以下、3年だけではなく同じ1年団員さえも優斗が変わったと感じていた。

「あまり、気張り過ぎるなよ」むしろ、団長が気遣うほどである。

「合宿の祭はご迷惑おかけしました」優斗が謝罪すると、「気にするな」と団長が嬉しそうに笑った。

 

 練習内容はいつものとおりであるが、3年は文化祭のトリを飾る最後の演技が控えているので一段と気合が入ってくる。さらに、1年に引き継ぐためのリーダーの練習指導もしなくてはならない。

 初めてのリーダーの練習では、同じ一年生団員がダメ出しを連発される中、優斗はむしろ褒められた。型のひとつひとつの動きを覚えるのは早いし、所作も綺麗に熟すことができた。

 そうやって、段々、優斗に対する評価が高くなっていった。評価が上がってくるのが自分でもわかると余計に練習に熱が入ってくるのだった。

 

 秋は駆足で通り過ぎる。

 運動会や日帰りハイキングなど行事が入ると尚更早く感じる。

次のイベントは文化祭だった。3年生の受験勉強に配慮してなのか、近年では9月早々に終わらせてしまう学校がほとんどであるが、優斗の時代はまだ11月の初旬に開催されていた。

 文化祭では、希望するクラスやクラブではそれぞれ企画した催しを行う。焼きそばやフランクフルトを焼いたり、カフェやお化け屋敷などが定番である。クラブでは日頃の活動成果を発表する部も多い。応援団も1教室を借りて展示をすることになっていた。

 何を展示するか1年で考えろと団長から指示され、優斗の提案で「団の一日」をイラストにして展示することになった。イラストは主に優斗が描いた。元々、絵を描くことが好きな優斗は、ここでも褒められた。

 それまで優柔不断で情けないところのある優斗であったが、見違えるように積極的になり、何に対しても熱心な姿勢であることが1年の中でも一目置かれる存在になっていった。

 

 

 

 

 

 

 さて、本日取り上げるアルバムは、五輪真弓の『恋人よ』(1980年)である。

 



 デビュー・アルバム『少女』(1972年)を聴いたときは、その斬新な詞とメロディに少なからず衝撃を受けたものだった。

 

その後の「サヨナラだけは言わないで」がヒットしたときは、歌謡曲路線に走ったかと少し戸惑った。

それでも、アルバム中の他の曲を聴くと、決して歌謡曲っぽいということではなく、スムースに入ってくるような楽曲が多い。

それだけに、『少女』の楽曲が個性的だったということなのかもしれない。

 

今は、一人のシンガー・ソング・ライターの曲として、素直に聴くことができている。

 

 とにかく、歌が上手い。

 自分で書く曲だから、なおさら感情移入もできるのであろう。

 

 このアルバム、実は、一時、中古レコードにハマって、ショップをウロウロしていた頃にゲットしたレコードの一枚である。

 

 他の作品も含めて、時々、レコード盤に針を降ろしたくなる気分になる。