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秋の空は高く感じます。
断捨離トレーナー講習生の
伊藤京子です。
モノを捨てる時に
まだ使える
もったいない
とよく言われます。
先日私が取り替えた食器
例えば、この食器を捨てる場合
食器は欠けてもいなければ、
割れてもいません。
使おうと思えば、まだまだ問題なく使えます。
だから、
まだ使える
もったいない
と思ってしまいますよね。
食器は使えますから
これがモノ軸
この場合は食器を主役にしてますよね
それでも
捨てて、新しいお気に入りに変えたのは
私がこの食器を使いたくないと思ったから。
私が使わないと決めたからです。
これが自分軸
この場合は私が主役
断捨離はこの自分軸を大事にしています
このモノ軸のもったいないと違って
捨てられる食器(モノ)がかわいそう
という言い方が気になっています。
何がかわいそうなの?
捨てられるモノ(食器)がかわいそうって
食器が生き物のように感情があるみたいな表現です。
捨てられる食器に自分を重ねて、
まるで自分が捨てられるように感じてしまうのでしょうか。
または、
捨てられた食器を見た人が自分を重ねているのでしょうか。
きっと
このかわいそうは
使い切ってもらえないかわいそうな食器ということなのでしょうが、
どこか、人と重ねてしまってる。
そんな風に思えます。
それとも、かわいそうはもったいないを言い換えただけで
意味合いは同じで使ってるのかしら。
高かったからとか、
思い出があるとかの特別な思いのないものにまで、
さらには、捨てられてるものにまで、
モノに感情を乗せてしまう。
不思議です。
私は、このモノがかわいそうという言い方はしないのですが、
似てる表現で、
モノが喜んでる
という使い方をしてしまいます。
自分が使わない物(例えば服)をもらってもらった場合に、
この服も着ていただいて喜んでます
こんな風に言ってしまいます。
正確には
服をもらってくれて私は嬉しい
なのですが
ストレートにいうと恥ずかしとか
もらってくれた人の負担にならないように
遠慮がちに気持ちを伝えたいから
この表現を使ってます。
ここにも、
モノがかわいそうという表現に
つながる気持ちがあるかもしれません。
まだよくわからないところがあるので
観察、考察を続けます。
なんだかよくわからない
私の気づきでしたが
最後までお読みくださって
ありがとうございました
読んだよ〜って
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