こんにちは![]()
「女形(おんながた)」
この日本の伝統芸能を、
言葉できちんと説明できる方
いらっしゃるでしょうか?
歴史は好きだったけれど文化は苦手で
どうにも興味が持てなくて
京都に住んでいた時
南座を通り過ぎたことは数えきれず
でも中に入ったことは一度もなく
テレビでよく見かけた
梅沢富美男さんのことは
何となく知っていて
衣装を着られた時の美しさと
素のご本人とのギャップに驚きながらも
なぜ男性が女性の恰好をして
敢えて舞台に立つのか
その意味を考えたことも
ありませんでした。
先月、ここオーストラリアで
映画「国宝」を観た時に↓
せっかくの機会だから、と
旦那さんも誘ってみたんですが
結局、
彼は観に行かなかったんですね。
実際に観たらきっと
何か伝わるものはあるだろう
と思ったけれど
やっぱり歌舞伎の世界というものを
私自身がよく分かっていなかったし
「女形」という存在に
どんな意味があるのか、
ちゃんと説明できなかったんだから
仕方ないなぁと思います。
日本人でも難しいものを
外国人の彼にとって
歌舞伎の女形が
男性の女装にしか見えなくても![]()
相撲が
デブの取っ組み合いにしか見えなくても![]()
文句は言えまい![]()
はい、反省しまして
自分なりにいろいろ
勉強したんです。
それで覚え書きとして
まとめておきたいと思います。
Audibleで聞いていた
映画の原作「国宝」の中には
こんなセリフがあったのです。
”(女形とは)
男が女をまねるのではなく
男が一旦女に化けて
その女をも脱ぎ去った後に
残るカタチ”
いやぁ、深いですよね。
この言葉から自分なりに
いろいろ想像してみたのですが
歌舞伎役者でもない
普通の人にはやっぱり難解すぎる、、、![]()
その後、
この映画の主人公と
重なるとも言われている
稀代の女形
坂東玉三郎さんの
古いインタビューを見つけまして↓
この中で言われていたことが
私にはとっても分かりやすかった![]()
(この玉三郎さんめちゃくちゃ若い!)
”ある時、ハッと気が付いたら
女の目で世の中を観たことがない。
自分の目はいつも男だった
ということが分かった。
男の気持ち、男の目で女を演じてきた
ということは
男の画家が女を描くのと同じように
女形を描いてきた”
”ある種の客観性を持って
自分の人間的な魂にのっけて
女の理想
これが女なのではないか?
というエッセンスみたいなものを描いてきた。
それが女形なんじゃないか。”
やっぱり、女形は
どこまでも男であって
男の目線、男の立場から
完全に客観的に女というものを見て
演じているんですね。
いわゆる女の心を持って
女になろうとする方々とは
全く違う。
ここで鍵になっている
「客観性」について
玉三郎さんは続けて
こう言われています。
”男だったということが
自分自身を女を演る上での
客観視する基盤になったと思う”
つまり男であるということは
女性に対して客観的になるために
プラスに働いている。
小さい時に脚を悪くした玉三郎さん
役者として女形として
他にもマイナスな条件はあったそうですが
”自分で分解して料理して
欠点だったものを長所にする
プラスの面にしていくように
自分で悩んで考えて作ったんです”
これだけ聞いていても
努力されてきたんだなと感じましたし
こんな風に抽象的な部分を
分かりやすく言語化されていて
本当に聡明な方なんだと思いました。
このインタビュー、玉三郎さんの
屈託のなさが直球で伝わってきて
すごく好きなんですよね。
そしてもう1つ、こちらは数年前
Red Chairという番組での
玉三郎さんのインタビュー動画ですが
そのままブログに貼れないので
リンクを置いておきます。
この中でハッキリと断言されていますが
”舞台の上での女性というのはね
現実の女性ではまったくないので
作品というふうに思っているんです”
やっぱりあくまでも役者として
作り上げた作品なんですね。
現実の女性ではまったくない、と。
(音楽や絵画と同じで)
”1つの細部の作り物の集合体なんですね。
それが女形でもあると思います。
ただその分量が、自分の性(さが)というものを
使えませんから、多少数が多い。”
これを聞いていると
もうエンジニアのようにさえ
見えてきましたw
音符という記号が音楽になり
無数の点が絵画になるように
1つ1つ細部を組み合わせて
作品を作り上げる職人技だと。
”女性が女性を演じる
素晴らしい女優さんたちは
自分が女であることを1回
全部細部にばらして
再構築できる方々ばかりでした。
ですから
それほど変わりはないと思います。”
女優さんも、分解してみれば
同じことをしているのだと。
なんだか、目から鱗です。
ここが「国宝」の原作の中で
語られていた
「女を脱ぎ捨てた後に残るカタチ」に
繋がっているのかもしれません。
歌舞伎は私にとって
どこか敷居が高くて
恐れ多いとすら感じる存在でした。
それはこの江戸時代から
数百年も続く
積み上げられ継承されてきた
伝統への敬意が根底にあるから。
子供の頃から毎日稽古し
身体に叩き込んで来た
まさに芸の道。
日本には1つの道を
人生をかけて
取り組んでこられた方が
数えきれないほどいらっしゃる。
それらの積み上げが
日本の文化となって
今の日本を支えているんですよね。
最後に
映画の中で圧倒的な存在感を
放っていた
舞踊家の田中泯さんが
あるインタビューで話されていたのですが
”日本って言う国は
歴史のいろんな段階での踊りが
全て残っている国なんです。
これはもう、世界に例がない。
本当に踊りのキングダムなんですね
その中で中心にあるのが、
歌舞伎舞踊だと思っています。”
世界でも例がない
そんな踊りのキングダムである
日本の中心にあるのが歌舞伎
そう考えると
歌舞伎のことを全く知らなくても
この映画を観るだけで
その圧倒的な何かが迫ってくるのも
納得です。
私が映画を観た後に
”なんだかスゴイものを観た”
と感じた理由が分かった気がします。
「国宝」
いろんな意味で私にとって
勉強になる映画でした。
daisy![]()




