内なる小さな子供をほっておかないことだ。
すべてが愛されたい子供。
一目置かれたい、認めてもらいた、愛されたい。
批判や否定ですら、気付いてもらいたい、わかってもらいたい、
= 愛されたい で出来ている。
嫌うことでそこから離れるのも手段なのだけど、それは一時避難のようなものであって、避ける=分離では解消はされないのだよね。
なんどもなんども繰り返しながら、そのタイミングがきたとき、許す。
それによって許されるのは、特定の誰かや何かではなくて、
そのパターン自体が許されるの。
以前は一人でいるときの自分が“本当の自分”とおもっていたけれど、それもあらゆるシチュエーションに応じて出力される自我に過ぎなくて、多面体のひとつの側面。
あらゆる自我とは、愛されたい子供だ。
その多面体が、なめらかな球体になったとき、どのシチュエーションにおいても変わらないおんなじ自我?が現れるのだと思うのと、どこかでそんなことを聞いた気がする。
かんじるココロケア あまのこころ